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もっと早くに読みたかったコレ


本を読むことが好きだ。しかしそれは小さい頃からずっとというわけではない。小中学生の頃は夏休みの宿題の“読書感想文”を書くためだけに四苦八苦しながらやっとのことで一冊の本を読んでいた。いや、読んでもいなかったかも知れない。飛ばし読みして中身のないふんわりした感想文をとりあえず書き上げて提出していた。今これを書きながら思い出したのは、我が家には子ども向けの“世界の名作”シリーズがズラっと本棚に並んでいて、小学校低学年の頃はそれなりに本を読んでいたし、お気に入りの本もあって何回も読み直したりしていた時期もあったこと。ならば、何故いつからか、本を読むのを苦痛に感じ始めたのだろう。その答が、ある本を読んで見つかった気がする。


教科書御用達小説の主人公は クズでヘタレばかり/佐藤 功



きっと国語の教科書がつまらなかったのだ。いや多分、“学校の勉強”として読むのと、自ら望んで読むのとでは、同じ“読む”という行為であってもそれは全く違う種類なのだ。国語の教科書に載っている話が面白いわけがない‥そんな先入観もあっただろう。
数年前に、“源氏物語”がめちゃくちゃ好きな同僚がいて、その人は源氏物語に関するありとあらゆる本を集めていたのだが、その中に源氏物語をまるで女性週刊誌みたいに3面記事仕立てで読み解く本があって、「面白いわよ」と言うので貸してもらったことがある。読後の感想は、「もっと早くに読みたかったよー」私は古文の授業が大嫌いだった。もし先生が違うアプローチをしてくれていたら古典の世界に興味津々、活用形なんかも率先して覚えたかも知れない。


さて本作も、読後の感想はまさにあの時と同じ。こちらは古文ではなく現文の授業ということになるが、

『羅生門』の下人は、無抵抗な老婆を蹴飛ばして逃げました。
『山月記』の李徴は、自分のプライドのために仕事を辞め、妻子を苦しめます。
『こゝろ』の先生は、友人を裏切ったうえに、妻を悲しませている。
『舞姫』の豊太郎は、妊娠させた踊り子を捨てて日本に帰ってきてしまう。
『檸檬』の主人公は、借金の腹いせに高級輸入セレクトショップを爆破したいと考えます。

それを最初に言っといてもらって、
「ではここから、主人公がいかにクズだったかを勉強しますよ」とか
「主人公がヘタレだということが分かる表現はどこでしょう?」とか
「主人公がいかにもメンドクサイ男だと分かる箇所を答えなさい」
なんて授業をしてくれていたら、いわゆる日本の純文学と呼ばれる作品をもっと身近にもっと親しみを持って、読み解くことが出来たかも知れない。


なぁんてのは、後出しジャンケンみたいなもんで、そんなことを言われなくても純文学の面白さを知っている人は多勢いるわけで、私はただ自分が何故授業中に退屈していたかの言い訳をしているだけである。


面白かったのは、一人称で語られる小説は、言葉を鵜呑みにしちゃいけないってこと。私たちだって、自分のことを語る時はちょっとカッコつけちゃったり、ダメなところを隠そうとしたりする。それは小説の主人公も同じなんだって。反省してると見せかけて実は人を見下してる、なんて、そこまで深く読み解く自信ないわ。だから相変わらずふんわりした感想文しか書けないんだろうな。

本作の作者は高校の国語の先生、高校生への授業だけでなく一般の方向けの講座を開いていらっしゃり、大変好評のようだ。私と同じように、もっと早くに聞きたかった、知りたかったという人が多いのだろう。気持ち、分かります!



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