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思い出を詰め込んだ古い紙袋


職場にディズニーが大好きな人がいる。彼女のディズニー好きはお母様の影響、お母様も若い時からディズニーのファンだった。先日彼女が、「家の片付けをしてたら、昔のディズニーランドの紙袋が出てきて、そのミッキーが今と違ってブサイクなんですよぉ」と嬉しそうに話してくれた。その紙袋は、ご両親が初めてディズニーランドに遊びに行った時のもの、写メを見せてもらった。「え、これ知ってる。私も持ってた。」私が友人と初めてディズニーランドに行った時の紙袋は同じものだった。(トップ画像の左側のバージョン)めっちゃ懐かしい、なんか泣ける、と感激を口にする私に、次の日彼女は、その紙袋でポチ袋を作ってきてくれて私にくれた。決して綺麗な状態ではなかったけど、その心遣いが嬉しくて私は職場のデスクのマットの下にそれを挟んで毎日眺めている。


何故あの紙袋にそこまで懐かしさを感じたのだろうか。そこでふと思い出した。
一昨年の年末、実母が入院中に弟と実家の片付けをした。母は退院したら弟夫婦と一緒に住むことになっていたので、家を引き払うための大片付けだった。ほとんどの物はゴミになった。母が大切にしていた父のピアノさえも、古すぎて引き取り先が無く、処分してしまった。母には「ピアノは弟の知り合いのところにあげた」と嘘をついた。古い写真も山のようにあった。私はアルバムに貼られていない父や母が写った写真を何枚かだけもらい、アルバムを何冊かだけ残してあとは処分した。思い出がゴミになってしまうことに心が痛んだが、これを全部置いておくスペースは弟の家にも私の家にも無いので仕方ない。


押し入れの奥から出てきたのが、そのディズニーランドの紙袋だった。中身は、私や妹が両親に送った手紙やメッセージカードだった。特に妹は、遠く離れてアメリカに住んでいたので、妹からの手紙やカードは大量にあった。こんなふうに大切に保管していたのは、たぶん父だ。妹がアメリカ(当初はカナダ)に行きたいと言った時、私は既に結婚していたので詳しい経緯は知らないが、父が一番の理解者だったと後から聞いた。妹からのカードにはどれも、”自分の我儘を許してくれた”両親への感謝が綴られていた。父は、そんな娘からのメッセージを大切にとっておいたのだ。しかし、それさえも結局ゴミとして処分してしまった。あの時は中身を読みながら「こんなの、全部とってたんだぁ」なんて笑いながら片付けたけど、今になって父や母の、親としての想いに気づいて、私は少しだけ泣いた。今は父も母も、そして妹もこの世にはいなくなってしまった。


言い訳をするなら、思い出や人の気持ちはカタチで残さなくても心の中に残ってるから、だからこそ、ディズニーランドのちっぽけな紙袋一つで、こうやって家族のことを思い出して涙を流す日もあるんだと思う。会えなくなっても、心の中でいつでも会える。


押し入れの奥の古い紙袋には家族の、両親の想いがいっぱい詰まっていた。



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