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外向けのプロフィールには載せてない事 Part 5 メキシコ留学編 Vol.3

マヤの村に課題実習へ!

はい。今回はメキシコ留学時代に僕が一番感動した食べ物について書こうと思います。
さて、メリダ市の中心地ではすっかり有名?になった「el chino」(僕)ですが、スペイン語の本場スペインではなくメキシコに留学を決意したのは、ただ単にメキシコの方が生活費が安いというだけではなかったのです。もう一つの大切な理由は、約1200年前に栄えたマヤ文明について学んでみたかったのでした。
小学生の頃、よくテレビで「世界ふしぎ発見!」という番組を見ていて、アメリカ大陸にもエジプトと同じ様に古代文明が残したピラミッドがあることを知り、いつか行ってみたいと半ば憧れを持っていました。学部の2年から3年時にかけて、ラテン・アメリカの歴史の授業を幾つか取った際に、チチェン・イッツァ、ウシュマル、マヤパンといったマヤの遺跡が点在するユカタン半島の約4000年の人類史について学び、その憧れは15年ぶりに点火され、せっかくユカタン大学の人類考古学部に交換留学するのであれば、絶対にもっとマヤの遺跡について勉強したいと強い思いを持つようになりました。

しかし、ユカタン大学での授業は僕の拙いスペイン語ではついていくのがやっと。授業の5〜7割位しか理解はしていなかったと思います。笑 しかも、授業では古い文献や教科書を授業前に読んで、そのまとめを先生と議論するスタイルだったので、授業中は必死にノートを取るのに集中していて、発言するにまで至らない。時々教授にさされて発言するにも、ノートに取ったことを復唱する程度。。。涙 なので、とにかく教室での座学は、特に初めの2〜3ヶ月は辛い経験でしかなかったのを覚えています。 

そんな中、後期のエスノグラフィー(民族誌学)の課題実習で実際に今でもマヤ族が住んでいる村に滞在して、生活様式の観察調査に行くことになりました。クラスが1チーム3〜4人に別れ、各チームでトピックを決めて2週間、自分達で行き先の村も、滞在先も、移動手段も全て決めて、その成果についてレポートを書くというプログラムでした。
僕のチームは地元出身でマヤ族の同級生2名とシカゴのディポール大学から来たリディアと僕の4名でTeaboというメリダから南東に車で2時間半にある村にすむ同級生の親戚の家にホームステイさせてもらうことになりました。

僕らの研究トピックは「テアボ村の食の変化について」で、マヤ文明が栄えた時代から今までの約1200年の間に食生活がどの様に変わったかを調査することに。これがめちゃくちゃ面白くて、昔はもちろん自給自足、地産地消で、ユカタン半島ならではの食材を匠につかってそれはそれは美味しい地元料理の伝統があったわけですが、1500年代にスペイン人に侵略されてからは、ヨーロッパからの持ち込まれた疫病(天然痘、麻疹(はしか)、チフス)により現地民の多くは亡くなってしまい、今残っている伝統料理の殆どはここ100〜200年くらいの食材と料理法だったりするのです。

それでも、マヤ文明の初期から今に伝わる食材はたくさんあります。例えばとうもろこしの紀元はマヤ低地と言われていて、日本人が古くからお米を食べてきたように、この地方の人々はとうもろこしを主食として1000年以上も食べ続けています。それから、数十種類の唐辛子、七面鳥や豚肉、香辛料、フルーツなどもたくさん残っています。(因みにじゃがいもはインカ文明が紀元、チョコレートはメキシコ中央部のアステカ帝国が紀元で、とうもろこしと共にそれらをスペイン人がヨーロッパに持ち帰り、そこでもっと万人受けするように改良されて、世界に出回るようになったのです。)

しかし、人里離れたテアボ村もグローバル経済の流通網から完全に逃れ続けることは不可能なようで、街なかの店を覗けばコカ・コーラ、ペプシ、輸入物のポテトチップスやチョコレートなどが並んでいました。

あ、本題に戻ります。そうして、いろいろな食物について、地元の人に「昨夜は何を食べましたか?」「食材はどこから来ましたか?」「作り方は?どんな味?」っと、まぁちょっと鬱陶しがられながらも、変な外国人留学生のおちゃめな質問に皆さんちゃんと答えてくれて、(ありがたや!)そんな調査をしながら、もちろん全て味見もさせてもらうわけです。(笑)その中で出会った食べ物の中で、僕が一番感動した食べ物。そして、それは僕がメキシコ・シティやメキシコ南部の州(ユカタン、カンペチェ、キンタナロー、オアハカ州など)たくさんの町でそれはそれはいろいろな食物を食べた中で、断トツで一番美味しかった食べ物なのです。

はい。前置きが長すぎました。その名は「Taco de cochinita pibil」(コチニータ・ピビルのタコス)! 

ユカタンでは、よく土曜日の朝に市場にでかけるのですが、その時にコチニータ・ピビルのタコスとかトルタ(サンドイッチ)で食べると聞きました。でもね、例えば土曜日の朝10時に屋台でコチニータを食べようとすると、お店の人は朝3時位には準備を始めなくてはいけないのですよ。そのくらい手間がかかる料理なのです。以下、コチニータ・ピビルのつくり方。

伝統的なコチニータ・ピビルのレシピでは、トレイにバナナの葉を敷き、その上にその日の朝捌かれたばかりの新鮮な豚肉(骨付き、頭、レバーなども!)を乗せます。アチョーテ(中央アメリカやメキシコ原産の樹木の赤い種子)をオレンジジュースで溶き、スパイスを加え、豚肉が完全に浸るまで注ぎます。バナナの葉で肉を覆い、これをしばらく漬け込む。その間に1メートルくらいの深さの穴に薪で焼いた石を敷き詰め、その上に豚肉の乗ったトレイを載せて、バナナの木の茎と葉っぱを被せて最後に土をかぶせます。肉が完全に柔らかくなるまで5〜6時間、地中でじっくりと焼き上げる。

とうもろこしを茹でて潰してペースト状にしたマサにラードを加えて手のひら大の円形にし、鉄板で焼いたトルティーヤにほぐした豚肉をのせて、玉ねぎのピクルスや世界で最も辛いトウガラシのひとつであるハバネロ・サルサを添えて食べるのが一般的である。

これが本当にほっぺたが落ちるほど美味しくて、ユカタンに留学中に20回くらい、いろんなところで食べましたが、テアボ村で食べた全て手作りでできたてのコチニータ・ピビルを食べた時の感動は一生忘れられません。

つらつらと言葉で説明してきましたが、下にコチニータ・ピビルの作り方の動画を貼りますので、是非見てみてください!


コチニータ・ピビルの作り方


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