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メンタル地獄日記 -僕のメンタル(悪化4)-

デザイン専門学校を1回生が終わり、2回生になる頃には、1年間無茶をしたせいと冬のインターンシップと課題の波も手伝い、鬱が悪化し、手も震え、頭も働かず、課題も完成せず、地獄のような状況に戻ってしまった。
そんな春先にまた、高校のように通えなくなった。
自分は漫画や映画の主人公などではないのだから、無理は続かない。
何も学んでいなかった。
ましてやうつ病を患っているのだから、厳しい環境には最善細心の注意を払わなくてはいけないのに、プライドが高いせいで無理をしたがるというか、周りより上を目指したがる。自分より上がいるのが許せない。
『自分は凄い事を残したい、だって自分が主人公だから』
承認欲求がエベレスト級の考えも持っていたし、今もあります。
ですがそんな中で『鬱が寛解した感覚』があったので、(過去に書きましたが)重複になりますが書かせていただきます。


デザイン専門学校の2回生春先、ポートフォリオ、課題、就職活動と、1回生とは比にならないほどのことを一年でこなさなくてはならない年、真っ先に休みがちになっていました。
先も言ったと通り鬱も限界、手足が震える、眠っても疲れが取れないというか眠っても死ぬ程疲れてました。
それでも、とある授業で「行かなきゃ行かなきゃ」と思いつつ、授業が始まる時間になり、限界を超えて遅れて行ってみたら、その時の授業の先生(担任ではない)が「大丈夫か?」と言われました
外見は強面の先生だったので「めっちゃ怒られる」と思っていたのでそれが意外すぎてボロボロ泣いた。

本気で自分のことを心から心配してくれる人がいたと本能的に感じた。

という経験が、一瞬だけうつが寛解したと感じました。
その時の感覚を重複します(コピペします)が改めて語ります。

①初めて急に世界が色づいて見えた
実はそれまで見えない灰色のサングラスを通してしか世界が見えていなかった、そんな感覚。
赤が、緑が、黄色が、青がちゃんとその通りに見える感覚。
例えるなら『進撃の巨人』のジークの最期。
あれに似ている。
清々しい、許せる、ちゃんと世界を直視する、そんな感覚。
進撃の巨人をご存知ない人はすみません。

②全てに感謝できるようになった
鬱病なのにプライドだけは高かった。
傲慢で高慢だった。
でも、明るい空、草花、風、人、その他全てに感謝出来る感覚が確かにあった。

③特別でなくても生きていて構わない
この社会で生き残るための武器を作るために、デザインの専門学校に通ったし、それ以上に愛される為に、特別な能力や外見を手に入れなくてはいけないと思っていた。
けれど、『僕は何か特別なものやスキル、かっこいい外見がなくても生きていてもいいのだ』と思えた気がしました。

たった1日だったのは、心や脳の捉え方が治ったという感覚はあれど、身体のほうも同様にもうボロボロで物理的に何もできなかったから。
治ったと言っても急に何でもかんでも復活できるわけではないらしく、やはりリハビリは必須だと思います。
結局当時の担任にボロクソ言われてまた落ちました。

結局のところ専門学校はここでまた退学し、自分の人生の『希望』が遂に潰えたことで、さらにここから暗澹の時代を過ごすことになっていきます。

今日は区切りがいいのでここまでで。
いつも読んでくれる方、初めて読んでくださったかた、ありがとうございます。
いつも感謝しております。


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