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「消えてしまいたい」と思うのは

希死念慮に分類されるらしい。

分類される"らしい"というのは、「消えてしまいたい」が希死念慮だと知って驚いたからです。

そんな認識全くなかった。
「消えてしまいたい」って、物心ついた頃から割と思ってたよ。

私って、そんなに昔から生きづらい人なんだなぁ。

※かなりセンシティブなテーマを扱います。
例によって自分のことを振り返って軽く自己分析しているだけではありますが、影響を受けやすい方は回れ右してください。
こーいうのって引っ張られちゃいますから。
見たいけど…ちょっと嫌な感じがすると思った時点で回れ右です。

お馴染みさんたちも遠慮なく回れ右してくださいね。
無理に「スキ」押す必要もありません。

自分の心は自分で守る、いのちだいじに、が合言葉です。

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他の記事のが真っ当だし、マイルドです。
回れ右する方、よかったら覗いて行ってください。



「消えてしまいたい」と思う気持ちは希死念慮らしい

「死んでしまいたい」と思ったことは、過去を遡ってみてもなかったと思います。
だって、痛いのも苦しいのも嫌だし。
そこを乗り越えてまで死に引き寄せられる、というのは余程のことだと思っていました。
なんていうか、ラスボス的な感じ?
希死念慮を調べると決まって「死にたいと思うこと」って出てくるし。

だからこの「消えてしまいたい」が希死念慮だなんて、考えたこともありませんでした。
まして「消えてしまいたい」なんてワードで検索しないし。
30年以上生きていても、知らないことってあるもんだなぁ。
何かの記事でたまたま知って、本当にびっくりしました。

なお、今回この記事を書くに当たって初めて「消えてしまいたい」ワードで検索してみました。
そしたら真っ先に、こころの健康相談ダイヤルの電話番号出てきた。

笑っちゃいました。

しっかり希死念慮認定されてるじゃないか。


私の「消えてしまいたい」の中身

「まだ死ねない、死にたくない」と強く思っています。
可愛い子どもたちの成長をまだ側で見ていたいし。
夫や子どもたちを自死遺族にはしたくない。
私の大切な人たちを苦しめたくはないです。

それに、旅行でまだ行けていない場所もたくさんあるし。
気になるけど読んでない本だってたくさんあるし。
いま人生を終わりにするには惜しいと思っています。

でも、それとは全く別枠、というか。
突然「消えてしまいたい」と思うんです。

自分が「今いる場所」が苦しかったり、しんどかったりするから、その場所から自分を消したい、リセットしたい、みたいな感覚になるんだろうな。多分。
今まさに渦中なので、真っ当に分析できているかはわからないですが。
そんなとこだと思う。

実行してしまいそうな自分が怖い

死にたくない、けど消えたい、となると失踪くらいしか思い浮かびません。

厄介なのが、実行してしまいそうなところ。
旅行好きで、無駄に行動力がある私。
サクッと実行できちゃう気がするんだよなぁ。国内くらいだったら。

誰も私のことなんか知らない場所に、ひとり。
会社員でもなく、妻でもなく、母でもない私。
私でしかない私。
想像するだけで途方もない開放感。
そして、すべてを手放したことについての絶望。痛み。

そういえば休職中も、沖縄の離島に一人で行きたいとか、出家したいとか思ってました。
コロナ禍じゃなかったら実行してたんだろうか。

実行したら後悔するのは分かりきっているんです。
何なら寂しくなって、夫や子どもたちが気になってのこのこ帰ってくると思う。
もしくは、失踪した先で自己否定の嵐に飲み込まれて、自己否定に"殺される"可能性もある。

でもうつ期でも案外抑止が起こりづらい私は、いずれ実行してしまうんじゃないだろうか。
そんな自分が怖いんです。

なお、「消えてしまいたい」が現れた後のお決まりとして、内なる私に三方向から責められます。

会社員の私が、「お前どうやって収入得るんだよ、0から始めるのめちゃくちゃしんどいよ」と淡々と脅し。

妻の私が、「あんなに優しい夫を苦しめたいのか、残された家族の生活が破綻するんだぞ」とドスのきいた声で呟き。

母の私が、「子どもたちの不安な顔、悲しい顔を思い浮かべろ。大切な子たちにそんな思いをさせるなんてバカじゃないの?」と激しく罵ってきます。

そんな声を聞いて、何者でもない私が「分かってるよそんなの。でも消えたいんだもん…」と呻きます。

大体このへんで途方もなく虚しく、絶望的で、悲しい気持ちになる。
悲しすぎて泣く。
ここまでがワンセット。

そもそも肩書のないまっさらな「私」は、とらえどころがないくらい曖昧。
何せそのことについて、もう1年半もnoteに書き続けているくらい。
いい年して自分探し中なんです。
肩書がなくなるほうが、道が分からなくて怖いんじゃないか、と思う私もいる。

でも、何かの拍子に内側からのツッコミが入らない(もしくは聞こえない)状況になったら、多分実行しちゃうんだろうなぁ。
たまらなく怖い。でも消えたいんだよなぁ。

「消えてしまいたい」なんて思いたくない

私は今まで、消えたい気持ちを人に話したことがありません。
だって自分でも持て余しているし、自分がどうしたいのかも分からないし、言われた相手も困るって分かっているから。
そして「そんなこと考えないで」と言われてしまうのも怖い。

だって「消えてしまいたい」なんて物騒な事、思いたくないんです。
少なくとも夫や子どもたちは、私が消えたら悲しんでくれることはわかります。
私の手で彼らに苦しみや悲しみを与えるなんて、耐えられない。

それなのに、そう思ってしまう。
そして実行してしまいそうな自分が、怖くて仕方がない。
どうしたら良いのか、自分でも分からないんです。

この「消えてしまいたい」という気持ちが希死念慮と呼ばれるものならば。
病気や、思考の癖が、そう思わせているのなら。
時間はかかっても、直せるんだろうか。
受け流せる、もしくは弱まるような日は来るんだろうか。

物騒な話を読んで頂きありがとうございました

ここまで読んでくださった奇特な方はいらっしゃるのでしょうか。
どうにもならない気持ちをただ羅列して、特にオチも答えもありません。
きっと未来の私が振り返りと分析に使うのだろうから、「消えてしまいたい」私の気持ちを記録しておきました。

今まさに希死念慮に苦しめられている方、全然自覚なかったけど、私も仲間でした。
どうすれば良いのか私にもよく分かりませんが、いずれこの嵐は過ぎ去ると信じて、共にじっとしていましょう。
いのちだいじに。

完全に個人的な話ではありますが、それでも読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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うつ期に「動けてしまう」話


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