見出し画像

*読了21冊目*『忘れ川をこえた子どもたち』

『忘れ川をこえた子どもたち』マリア・グリーペ著 を読んだ。

少し前に読んだ『魔女のまなざし』角野栄子著の中で紹介されていた本で、とても気になったので読んでみた。

スウェーデンではこれを子供たちが読むのか?
というのが、まず最初の驚きだった。
深い、深すぎる。
大人が読んでも拾い切れないような深さが、物語の随所に散りばめられている。
たとえばこんな文章。

「この世の昼の面が見えるのは、確かに良いことだ。が、影の面もあわせて見ることのできる者こそ、ほんとうにかしこいのだ。」

「(「ありがとう」という言葉について)なんと不思議なことばだろう!
耳にはとても快くひびくのに、自分が口にすると不愉快に感じる。」

これにはハッとした。
今まで「ありがとう」には良いイメージしかなかった。
誰かに「ありがとう」と言われれば嬉しいし、自分も何かあれば「ありがとう、ありがとう」と大安売りのように振りまいていた。
が、「ありがとう」と口にすることに屈辱感を感じる場合もきっとあるのだ。

この物語の中では、「ありがとう」と言ってもらうことが大好きな領主が、困っている人のために施しをたくさんして、さらに自分の妻にも毎日願い事はないかと訪ねるのだが、妻は決して願い事を言わない。そしてこう言う。
「『ありがとう』って、おっしゃってみたら?」

実は妻はもともと貧しい家の娘であり、領主はこの子を妻にすれば願い事をたくさん叶えてあげられるだろうと思い結婚した。
しかし、「ありがとう」を言い続ける生活が、果たして幸せだろうか?
領主はひたすら与え「ありがとう」をせしめ続けるのに、自分は決して「ありがとう」を言う側にはなりたくないと内心思っている。

これを子供たちが読んで理解するのか?と思い、いやいや子供たちだからこそ、柔らかい心でこのニュアンスを汲み取るのだろうと思う。子供の頃からこういった作品に触れられるのは幸せだ。

この本の表紙のように、ずっと重苦しい灰色の雲が物語全体を覆っているような雰囲気なのだが、でもちゃんと魔女も出て来るし、小さな姉弟も出て来るし、しゃべるカラスも出てくる。子供たちが喜びそうな要素を満たしながら、でも決して子供向けに甘く味付けされた本ではないのである。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?