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自己肯定感が低すぎるが故に起こること

自己肯定感が低すぎるが故に沢山の悲しい思いや辛い思いをしてきました。
今でも、自己肯定感は低いと思います。
何も変わってない。
でも、たくさん歳をとった分少し、図太くはなりました。
抵抗するよりも、「あぁ、私はこんな残念な人間なんだ」と悲しいけれど受け入れるしかないとも思うようになりました。

勿論、ここに来るまでにさんざん抵抗したし、何とかしたいとずっと思ってきたけれど、
いつまで続く人生か分かりませんが、もう人生の半分以上も悩み続けてきた問題を解決するには、もしかすると悩んできた分の人生が必要かもしれないし、もっとかかるかもしれない。
だったら、もう考えるのも悩むのも馬鹿らしい。
そんな気もしてきました。

口癖と現実

私の口癖は「私なんか」でした。
「私なんかと仲良くしてくれてありがとう」
「私なんかと付き合ってくれてありがとう」
心の中にも「私なんか」と口ずさむ私が居ました。

「私なんか」とい言い続ける私には、「私なんか」が相応しい現実が用意されます。

友達だと思っていても、いつの間にか上下関係が出来上がってしまいます。
対等という立ち位置でなくなると、現実は一気に悲しいものへと変わります。

親切にしてくれる人だと思っていても、その親切や優しさが心地悪くて
やっぱり、悲しい現実が巻き起こります。

誰かを傷付けたり、いじわるしたりはしないのに、
何故か上手くいきません。

自分発信でうまくいかなくなっていることは分かっていても、
じゃあ、どうすればいいのかは分かっていません。
答えが見つからないのです。
私はただ、こんな私を受け入れることしかできないのです。


抵抗をやめて自分を受け入れること

抵抗をやめて自分を受け入れることで、少しだけ、この悩みから解放されたような気がしました。
自信が持てるようになったとか、自分が好きになったとか
そこまでの域には達せていないけれど。
もう、抵抗しても考えても解決できない問題なのだ。
そう、力づくて片づけてしまうことで、自分が楽になりました。

「私はそういう人間なんです」という開き直りというか。
残りの人生も、この問題で悩み続けるのか・・・と自問すると
「もうどんなに考えても解決できないだろう」ということになり、自己肯定感の低い私はこれからも、こんな私として生きていくという決断を下すしかありません。

自己肯定化が低いがゆえに、うそぶかれること、裏切られること、カモにされること、馬鹿にされることが沢山あります。


そんな私の話を書いていきたいと思います。

私の話を読んで、こうはなりたくないなと思ってもらえたら嬉しいですし、
自分を大切にすることに気づいてもらえたらいいなと思います。


誰かの気が晴れたり、元気が出るようなブログにはならないかもしれない。
でも、こんな私よりはマシだと思えたり、この人ほど酷くはない。
と勇気づけれられる人が一人でもいてくれたらいいなと思い、
私の話を書いていきたいと思います。

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