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新たな美の扉を開けることが、自分の道に繋がって行く

山に囲まれた
この地の冬は

目の前から
色が 香りが 
消える時期
がありました

極端な例えをするならば…

南天の赤
が、唯一の色
として
存在するくらいで

ほぼ視界は
常緑樹の
緑と茶
時に雪の白一色で
埋められる

そんな感じです。

(私が住む近隣の店で
冬季に売られる花の種類は限られていたので
切花ですらなかなか見かけませんでした)

そんな環境で暮らして
気付いたこと

「物心ついてから
花が無い時期・時間を
過ごすのは
初めてのことではないか??」

地元静岡は
温暖な気候で、
花のハウス栽培も盛んだったため
冬であっても
花が街中から消えることは
ありませんでした。

他の地で暮らした際も
必ず
どこかで
花を見ることは出来ました。

岐阜であっても
1時間ほど車で走れば
市街地では
普通に 当然に
街路には
色鮮やかな花が植えられていて、

寒さ厳しいことこそあれども
色彩で
心の暖をとることは叶ったり。

摘まれ乾かされ
姿こそ変わっては居ますが
仕事柄、
ハーブと言う形で
花にはずっと触れてもいて。

だからなのか

いつからか
植物を目にする時
反射的に、

『花こそが美』

と思うように
なっていました。

花咲いてこそ
美ありき…

花こそが
美の象徴…

そんな風に
美しさの基準は
いつからか

華やかな
目を潤す
『花』
『咲いているとき』で
終われていたんだなぁ。。

冒頭の
山里の冬景色、の話しは
決して
“嫌気”を謳った・謳いたかった
のではなく

全くその逆で。

これまで見過ごして来た…
肌で感じとっていなかった…

樹々や葉
山の放つ
聡明な

知らなかった美しさとの
出逢いへの
感謝の話し、です。

あの
冬の限られた時間の中で
見聞きし、
感覚でとらえた
景色や体験は

なんと豊かで
尊いものだったか

感動を
言ったもの、です。

随分と長い間

“何か” や“何処か”の
美の基準に
従って生きてきたような
そんな気持ちになりました。

植物に見るその美は
私自身…
人間にも
同じく当て嵌まることで。

華々しく
咲いている時だけが
その命の美の瞬間
では無いのにね。。!

芽が出ない時も
枯れる時も
一生を通して
全てが
その命の美しい瞬間
なんだよ。。!

なーんて小さな美の世界に
居たのだろう!

純白の雪が
闇々しい“黒”に
感じることがあるなんて

“暮らし”が無ければ
絶対に
知らなかっただろう。

『無』や『静』の世界の中で
じっと目を凝らし
じっと耳を澄ますことで

新たな目で光を覚え
新たな耳で音を知り

その先で
仕舞われて来た
美や愛と出逢える
と言うことも。

美は光と
同じですね。

闇の中にも光/美は在り
光/美の中にも闇は在る

日本人は
微細な物を
とらえる感覚、放つ力に
長けていると思います。

私たちの世代はとくに
かもしれないけれど、
西洋の文化をきっかけに
美に魅了され
美の世界に
触れて来た気がする。

私の場合
今思い返せば、

山の暮らしを経て
美の扉が開くまでは

いつも何か
物足りないような
欠けているような
核に触れられていないような…

常にどこかに
そんな心残りが
あったなと思います。

「私は、自分と言う美を
全て知り得ていない」
その感覚と同義のような。

日本人として備えて来た
DNAレベルでの美の感覚とは

もっと微細で繊細で。

奥へ奥へ…

もっと
入っていける世界なのだと

冬の山に
教わったこと。

“微細”
“美細”

日本人として
何だかとっても
大きな宝物を
しまい忘れているのかも。

日本人として生まれて来る時に

先祖から受け取り
自身で携えてきた

美の扉を
開くとき

私たちは
自分自身の
この国の

見たことのない姿を
見るのでしょうね❄️✨


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