【意志あるところに道はある】ケイイチ ちゃり旅20年の道のりVol.6 疾走アジア編④
10月19日、ケイイチはハットヤイを通過して、陸路国境の街にいた。
タイからマレーシアに入国する。
タイ・マレーシア・シンガポールの3国はビザがいらないので、気が楽だった。
無事に国境を越えると、タイとはまた雰囲気の違う風景が広がっていた。
日が暮れてきて、引き続きガソリンスタンドに寝かせてもらおうと思っていたのだが、マレーシアではダメらしい。
3軒立て続けに断られてしまった。
国が変われば文化が変わる、と言うことなのだろう。
ケイイチは納得した。
さて、どうするか。
通りすがった広い公園の中にタワーが立っていて、その周りで寝れそうだった。
もう暗くなっていたので、もうここでいいか、と思い、マットを広げる。
綺麗な月が出ていた。
ぼんやり見上げていると、人懐っこいおじさんがジェスチャーで話しかけてきた。
ケイイチもジェスチャーを駆使しての会話になる。
日本から来た、と言うととても驚かれた。
旅の中での人との交流の時間がとても楽しくなった。
様々な文化の中での、それぞれの生活。
色々な考えの人がいた。
会話の端々にある優しさが、ケイイチの心を満たしていた。
この後、マレーシアではバス停で寝れることが判明する。
スコールを避けるために、必ず屋根が付いているので、濡れる心配をする必要がなかった。
マレーシアではパンが安く買えたので、朝のうちに買ったパンで昼食を済ませた。
インド入国までの期限が気になっていた。
とにかく南下する。
首都のクアラルンプールに着いても、どこにも立ち寄らず、ひたすら漕ぎ続けた。
10月29日、シンガポールとの国境に到着。
マレーシアとシンガポールを繋ぐ橋の上の国境には、ラインではなく目印だけがあった。
自転車で一気に走り抜ける。
都市国家と言われるシンガポールは、思っていた以上に高層ビルだらけだった。
道路には街灯も整備されていたので、暗くなっても走り続けることができた。
もちろん、体力には限界が来るので、夜は止まって寝る。
止まって寝たかったが、シンガポールは野宿が禁止されていた。
寝る場所を探して彷徨っていると、緑地の公園の中に、トレーニング用の器具が並んでいる場所があった。
これは丁度いい。
暗闇の中で寝ていれば警察もきっと気付かないだろう。
ケイイチは自転車を止めて、荷物をおろすと、腹筋を鍛えるベンチのような器具の上に横たわった。
明日は早く起きなくてはいけないだろうな、と考える。
今までの経験上、こう言う緑地の公園には、朝早くから運動する人が集まってくるのを知っていた。
そして、予想通り、朝まだ暗いうちから4,5人の人が動く気配を感じたので、早々に荷物をまとめて、公園を後にした。
その日のうちに港に着く。
当時はワールドトレードセンターの工事をしていて、工事現場で働く人たちがたくさん出入りしていた。
貨物船の会社を探しては、飛び込みで、乗せて欲しいと頼む。
日本の会社もあったが、部外者は乗せられないと断られた。
工事現場の道路の脇で寝ながら、電話帳で船会社を調べては体当たりを繰り返した。
コンテナをくり抜いて作られた工事作業員用の食堂で、液体のようなカレーに茹で卵が付いて、70円ほどで食べられた。
水場も使っていいと言ってもらえて、身体を洗ったり、洗濯したりできたのがありがたかった。
ずっと同じ場所にいたので、工事現場で警備員をしていた、カルビンさんとも仲良くなった。
彼が紹介してくれた船会社にも行ってみたが、受付の人に怪訝な目で見られただけだった。
せっかく、ヒゲも剃って身なりも整えたのに。
どうしても船に乗りたくて、港で粘っているうちに、あっという間に5週間経ってしまった。
この旅が始まってから初めて、ケイイチは焦っていた。
5週間も費やして、いまだに、乗れそうな兆しが見えない。
諦めなければいけないのか。
実は、途中で出会った人から、インドまでの飛行機代を出してあげる、と言うありがたい申し出もあった。
でも、目的地はインドだとしても、そこに至る道のりも楽しみたかった。
もっといろんな人と出会ったり、現地の暮らしの様子を見たりしたかった。
貨物船に乗せてもらえないとなると、中国に戻るしかない。
ケイイチは大きなため息を着いた。
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