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レイラインを利用した古墳の被葬者の推定

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古代オリエントやエーゲ文明の都市や遺跡などと結ばれるレイラインなどから、古墳の被葬者を推定しました。
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2022年1月の記事一覧

温故知新(19)一言主神(大長谷若建命) 倭讃(麛坂皇子 香坂王) 倭珍(忍熊王) 倭済(毗有王) 安康天皇(倭興 蓋鹵王) 雄略天皇(大長谷王 倭武 昆支王) 武烈天皇(武寧王 元恂) 葛城氏 秦氏 東漢氏 賀茂(鴨)氏 大伴氏

温故知新(19)一言主神(大長谷若建命) 倭讃(麛坂皇子 香坂王) 倭珍(忍熊王) 倭済(毗有王) 安康天皇(倭興 蓋鹵王) 雄略天皇(大長谷王 倭武 昆支王) 武烈天皇(武寧王 元恂) 葛城氏 秦氏 東漢氏 賀茂(鴨)氏 大伴氏

 第21代雄略天皇の大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけのすめらみこと) は、稚足彦尊(成務天皇)や、品陀真若王と同様に、名前に「わか」が含まれることから、若くして非業の死を遂げたと思われます。雄略天皇の名前には、『古事記』では、大長谷若建命(おおはつせわかたけのみこと)と大長谷王(おおはつせのみこ)がありますが、『古事記』で即位前の雄略天皇に対してみられる「大長谷王」という表記は、異例とされていま

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温故知新(20)継体天皇(丹生麿) 伊須流岐比古神社 大虫神社  若狭彦神社 白山比咩神社 今城塚古墳 丹生氏 息長氏 物部氏

温故知新(20)継体天皇(丹生麿) 伊須流岐比古神社 大虫神社  若狭彦神社 白山比咩神社 今城塚古墳 丹生氏 息長氏 物部氏

 『古事記』、『日本書紀』は、ともに第26代継体天皇(在位:507年-531年)を応神天皇の5世の子孫と記しています。『釈日本紀』の引用する「上宮記一云」という史料によると、応神ー若野毛二俣王ー意富富杼王ー乎非王ー汙斯王(彦主人王)ー継体、という系譜になります。丹生氏系図にある「大樹」(品陀真若王と推定)の子の「伊集岐」は、応神天皇の后の仲姫命と推定され、伊集岐ー長日―椋垣―田迷―峯主―丹生麿、と

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温故知新(21)用明天皇(竹田皇子 尾張皇子 聖徳太子 聖徳王) 押坂彦人大兄皇子 赤坂天王山古墳 崇峻天皇(厩戸皇子 聖徳太子 聖徳法王) 山背大兄王(聖徳太子) 推古天皇 孝徳天皇 蘇我氏 橘氏 中臣氏

温故知新(21)用明天皇(竹田皇子 尾張皇子 聖徳太子 聖徳王) 押坂彦人大兄皇子 赤坂天王山古墳 崇峻天皇(厩戸皇子 聖徳太子 聖徳法王) 山背大兄王(聖徳太子) 推古天皇 孝徳天皇 蘇我氏 橘氏 中臣氏

 第29代天皇の欽明天皇は、継体天皇の嫡男で、母は手白香皇女です。蘇我稲目宿禰の女堅塩媛(きたしひめ)を妃とし、大兄皇子(おおえのみこ、用明天皇)を儲けています。欽明天皇の時代(555年)に、蘇我稲目は、吉備国に大和朝廷の直轄地である白猪屯倉(しらいのみやけ)を置いていますが、白猪屯倉の候補地である岡山県真庭市の五反廃寺跡から出土した瓦は高句麗系のものです。また、『日本書紀』によると、蘇我氏の氏寺

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