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「 PERFECT」でもない暮らし

 今朝もラジオで「 PERFECY DAYS」が取り上げらにれていたが、主人公の住む町について触れられることはほぼない。しかし、私は単なるひとつの設定、ロケ地を越えていくリアリティが表現されていたと思っている。多分それは界隈を知る人が感じる「無縁性 」や「匿名性」が風景とそこにひっそり佇む建物などに根付いていたからだろう。記憶の中の昭和30年前後の下町には案外あちこちにあった「片隅」だ。ヴエンダースやロケ地担当のスタッフがそのあたりを意識していたかはわからない。それでもそういう町筋に作り手が惹きつけられていったのは「脚本」だけでない町の風景に吸引力があったためだろう。短期制作の映画だったと思うが、あの町のあんな風景を描けたことは大きな収穫のひとつだったはず。

 ところで、東京の町、特に下町は関東大震災、東京大空襲といった2つ大きな惨禍を経験していることもあり、その度ごとの「復興」により街並みが少しづつ変わってきたのだが、その界隈の歴史性の上で、自然に引き継がされてきたネガティブなイメージが基層を成しているところがあった。そんな場所だからこそ世捨て人のような、あるいは訳ありの、さらには流れてきたような人たちが棲み付いた時代があった。東京にいくつかあった「簡易宿泊所街」。多くは木造モルタルのアパート。もう少し戦後に近い時代であれば「木賃宿」だった。職業安定所経由、もしくはそこを通さないでその日限りの仕事を募集する輩から日雇いの仕事に従事する人も多かったから、その日銭での宿代が原則だった。したがって簡易ベットを並べた「ベットハウス」などの宿もあった。

江東区某所

 労働者の人々は、仕事から帰った後も、まさに「 PERFECT DAYS」の主人公のようにいきつけの酒場で簡単に飲み食いしそのまま宿に帰るという生活を繰り返していた。映画の中では石川さゆりが演じる「スナック」で週に1度ぐらいか、ちょっと金を使っていた。唯一の楽しみだったことがよくわかる。時代は変われど、労働者の心情のようなものが、このスナックの2つのシーンによく出ていたと思う。そういえば、スナックの客には「あがた森魚」さんが出ていた。すでに十年以上前になるが、雑誌「東京人」の特集で彼を葛飾区の片隅の町で撮ったことがある。彼はすでにして、東京の東のほうの街並みに同化していのかもしれない。

台東区某所

 さて、どこまで話したか。「 PERFECT DAYS」の主人公に戻すと、アパートや街並み、浅草地下街の焼きそば店などでの暮らしぶりは、原則ひっそりという立場で、それがまた映画評にも語られる「美学」の表現であっただろうが、映画の公開後、年明けに大きなニュースが入ってきた。

 入院中の男性が、自分がかつての過激派で指名手配中の人物であることを伝えたというもの。このことの重大さはもちろんあるし、 70年代の社会状況をもう一度検証してみる価値もあるが、誰もが、この男性の指名手配後の生きてきた道筋を想像したはず。決して一人で生きてきたわけではないだろうが、テレビニュースに出てきた「住処」は倹しい暮らしぶりと、隠れて暮らしているかのような断片映像を見せていた。それはどこか「PERFECT DAYS」の主人公に通ずるものを感じた。役所広司演じる彼もまた「訳あり」だったのである。その心情は語られることはなかったが、妹と対面し別れ際に涙を見せる。それは思わぬ述懐、懺悔だったのだろうか。その短い時間の流れにのみ、この度、本名を告げつつ亡くなった手配犯の存在が重なる。人は時に闇や、深い悲しみを抱えて生きていることを示している。そのトンネルをほんの少し抜けた時のみ、光り輝く瞬間をもらえるものだろうか。

墨田区某所

 この文章は下町のアパートなどの佇まいについてちょっと書くつもりが、妙な「映画感想」になってしまった。やはり仕事ではなくとも文章を書く学びは必要だ。


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古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。