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想い出の曲 #2「帰ろう」藤井風 (2020)

もう若くない私が
今時の曲をピックアップすると

「時流に合わせた」だとか
「購読層の拡大を狙っている」などど

揶揄されるのでは?と言った思いもあるが

基本、時代やジャンルに関係なく
好きな音楽に関わることが好きだ。


そんな私の影響かどうかはわからないが
息子が中学生になった頃

小学校の頃に夢中だったゲーム
「太鼓の達人」の影響や
好きなバンドとの出会いがあったことで

音楽を始めたい、と言い始めた。

これまでも色々興味を示しては
子供ならではの飽きっぽさで関心を無くし

まあ今回もすぐに飽きるんだろうな、と
高を括っていた私だったが

その1年後に私と息子は二人して
DTMを始めた。

いわゆる自宅で音楽作成の出来る環境、

パソコンで曲を作り動画を作成して
世の中に出す、と言うものだ。

中学、高校と部活に明け暮れながら
息子は熱心に曲を作り続け

高校を卒業すると
音楽関係の専門学校へ通うため
18年間過ごした地元を離れることになった。

数年間、時には共に曲を作り
時には夜を徹して音楽談義に明け暮れたりと

父子と言うよりは兄弟、もしくは同志のような
存在だった息子の独り暮らしが始まる。

引っ越しを手伝うため大阪の新居に1泊し
翌日、息子に背中を見送られた。

ウインカーを出してカーブを曲がろうとした時

ひとり、部屋へ戻ろうと歩き始めた
息子の背中がどことなく不安そうに見えた。

その時、幼少期からこれまでの思い出や

音楽に携わり始めてから意見をぶつけ合ったり
あんなことやこんなことをやりたいと話をした

その全てが
頭の中でフラッシュバックされてゆく。

それは数10年前、大学進学で県外へ行き
少し寂しそうな父親の背を見送った
あの日の私のようだった。

「寂しくなるなぁ」

助手席でふと呟いた妻の言葉を聞いた瞬間、
張り詰めていた心の中の糸が切れた。

成長を喜びながらもどこか感傷的な
何とも言えない感情に襲われ

信号待ちの間、
しばらく嗚咽が止まらなかった。

息子は音楽関係の仕事に就く、と言うより
音楽をしながら生きていきたい

いわゆる音楽を生業にしたいと言う
夢を持っている。

これから思い切り音楽に浸った毎日が送れる、

しかしそんな希望は
悪夢のようなコロナ禍によって
全て打ち砕かれた。

まず入学が終わっても登校出来ず
授業を受けることが出来ない

それから数ヶ月して
ようやく通学出来る状況までになった。

それでも楽しみにしていた実習、

例えばライブでの音響や照明、と言った
実際に現場に赴く講義は全く受けられず

ひたすら座学のみ、それも夏頃までは
常にオンラインと言う環境。

それでも息子は屈することなく
アルバイトを始めながら
これまで同様に楽曲制作に勤しみ

もちろん授業もしっかり受ける日々を
続けていた。

そんなある夏の暑い日に
息子から連絡があった。

これまで近況報告以外にも
何度かお薦めの曲のリンクを貼って
送り合ったりしていたが

この日もある曲のリンクが送られてきた。

しかし何故か私はこの日はそれを確認せず
既読のまま曲を聴いていなかった。

それから数日が過ぎたある日、
職場の有線からある曲が流れた。

ふと仕事の手を止めてしまうほどに
印象的なフレーズが聴こえる…

その声は「帰ろう…」
そう歌っていた。

これはいいな、すぐに息子に知らせないと…

仕事が終わるとリンクを送ろうと
送信ページを開いた…その時

「そっか…同じなんやな」

思わず笑ってしまった。

数日前、息子が送ってきた曲のリンク

それはつい今しがた私が添付しようとしていた
その曲と同じだったからだ。

それが・・・

「帰ろう」 藤井風

ー 無理すんなよ、生きててナンボだろ ー

この曲には色んな解釈があるとは思いますが
様々な言葉たちを自分の中で凝縮すると

私にはこう歌っているように思えた。

そしてこの曲は息子のみならず
私の心も支えてくれたように思える。

それから1年が過ぎ
好転しない現状に堪えかねた息子は

こんな感じで奨学金を受け取りながら
無駄に時間を遣うのは申し訳ない、

と、専門学校生活に区切りをつけ
地元に帰る決心をしたらしく

"あんなに背中押してくれたのにごめん"

私にそんなメッセージを送ってきた。

「気にすんな、生きてるだけで十分やろ」

私の返信を見てようやく決心がついたらしい。

そして1年後、ある寒い冬の日に
家族みんなで息子を迎えに行き、

久しぶりに全員が我が家に揃うことになる。

「あれ…聴く?」

帰り道に車の中で息子が取り出したのが

「HELP EVER HURT EVER」藤井風 (2020)

「帰ろう」が収録されたこのアルバムだった。

ふとあの夏の日のSNSでのやり取りや
この日に至るまでの経緯を思い出した私は

再び緩みかけた涙腺をごまかすのに
必死だった。

ああ全て忘れて帰ろう…♪

それはまるでまだ夢を追いかけてる途中の
息子のことのようで

今、家路へ急ぐこの日の私たちのために
流れているかのようにも思えた。

父と息子が共に薦めた曲、それが

"帰ろう"

今でもこの曲を聴くと
真冬の阪神高速道路がふと脳裏をよぎる、

そんな思い出の曲。

#思い出の曲



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