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適応障害になった話

こんにちは。miです。

自分がこれからの人生で自分のことを一番応援できる人になるために、病気のこと、日々の生活、感じたこと、将来など書き残しておこうと思います。

個人の記録ですが、私と同じような方の心の休憩所になれば幸いです。


適応障害になった経緯

私は2024年2月末に適応障害になりました。

私は、新卒で入社した会社で人事(採用担当)として働いていました。

上司の退職や先輩の異動に伴って
これまで3名で動かしていた業務を自分1人でやらなくてはいけなくなったり
経営層からのプレッシャーや繁忙期なども重なり
ご飯も食べずに働いて、夜も働いて、土日も働いてという日々を一ヶ月半続けていました。

もともと完璧主義の性格であったことや
会社自体が、バリバリ働くことが正義と考えるような会社で、その考えが自分の人生にも良いと思っていたので
仕事が終わらないのは「自分の能力不足だ」と思い込んでしまい、自分を責め続け、泣きながら仕事をするという日々でした。

しかし3月末には
・出勤中に足が動かなくなる。
・上司や家族、パートナーと話している中で不意に泣き出してしまう。
・ご飯の味がしなくなる。
・ふとした瞬間生きていることが辛くなる。

などの症状が出てきました。

ここまでくると会社にいることも苦しかったので、このまま就業を続けることは難しいと考え、やっとの思いで精神科に行きました。

そこで開口一番に「適応障害」の診断を受けました。

適応障害になった理由

適応障害になった理由は「会社」にも「自分」にもあると思っています。

しかし一番の理由は
自分のことを自分が一番許してあげられないことなのではないかと思っています。

私は周りを気にし過ぎてしまったり
ネガティブな方に目を向けてしまう過ぎてしまいます。

休職するとなった際に家族や多くの友人は
「ゆっくり休んでね」
「仕事のことは忘れていっぱい自分の好きなことしてね」
と声をかけてくれました。

しかし休職してすぐの頃は私自身が
「みんなが仕事をしている中で自分だけ休んでいいのか」と思い込んで悩んでしまいました。

そんな中で自分が解決していくべきことは

「自分で自分を許せるようになること」

「世間軸ではなく自分軸で生きていけるようになること」

「自分が一番自分のことを応援できるようになること」

これからも生きていく上で、これができるようになったら
もっと生きやすいと思いました。

これから

私は今休職中です。
しかし追々は復職もしくは転職する予定です。

今は安定している時と不安定な時が混在していますが
発症時よりだいぶ安定してきたかなと思います。

これから大変なこともあると思いますが
自分が一番生きやすいように
なりたい自分になっていきたいと思います。

そしてその過程を
ここに残せたらと思いますので
お付き合いいただける方がいらっしゃいましたら
嬉しいです。


初めての投稿で拙い箇所もありましたが
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

また皆様と会えますように。

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