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どうか、次の人のためにトイレのスリッパをそろえる心意気が絶えませんように

「脱いだ靴はきちんとそろえましょう」

小学生の頃から、いやもっと昔、小さいころからそう言われていた。スーパー銭湯とかどこかの共用トイレとか、スリッパが乱れていると、直さずにはいられない。それが偉いとか、褒められるからとかそういう話ではなく、見て見ぬふりはできないからというか、やらずにはいられないからというか、そんな感じ。

でも、なんでそろえないんだろう、とは思う。

もちろん、楽だからというのはきっとあるんだと思う。前向きで脱げば、振り向くという手間を省いてそのまま洗面に直行できる。いちいちしゃがんで整えるという手間ももちろん省ける。

でも前向きで脱いだら、次に使う人が履けない。全スリッパがつま先をこちら側に向けてこんにちはをしていたら、トイレに入ろうとしている人は一旦後ろ向きに振り向くという動作をするか、もしくはしゃがんで向きを変えるという動作をしないとトイレにたどり着けない。

そんなことはきっとサルでもわかること。それでもたぶん多くの人は、次の見知らぬ人のためのほんのひと手間を省いてでも、早く手を洗いたくて仕方がないんだと思う。

もしくはきっと、こう。
「従業員の人が直してくれる」。

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私は現在、プールとかサウナとか温泉とかがある温浴施設でアルバイトをしている。定期的に施設内を巡回しながら、トイレのスリッパをそろえたり、床に落ちている髪の毛を掃除したり、お風呂のイスと桶を定位置に戻したり、びちょびちょに濡れた床を拭いたりしている。

「お風呂から上がったら体をよく拭いてから移動しましょう」

どこのスーパー銭湯にも必ずと言っていいほどでかでかと掲示してあるこういう文言。濡れたままロッカーまで平気な顔して歩けちゃう人は、家の中でもびちょびちょのままリビングとか行くのかな。

夏休み。たくさんの子どもがお母さんと一緒に温泉でわいわい。巡回に行くと、1つの洗い場に隣から借りたイスが2つ、桶も2つ。桶にはお湯が溜まったまま、子どもたちがいたずらしたのか、シャンプーたちが散乱したまま。

お母さん。

この子どもたちは、公の場所では使い終わったものは次の人のためにきちんと元に戻すこと、はきっと教えられずに育つんだろうなあ。

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びちょびちょになった床を拭くたび、イスや桶を定位置に戻すたび、トイレのスリッパを整えるたび、そういえば私たちはどこで教わってきたんだろうかとふと思った。

靴を揃えるとか使ったものは元に戻すとかは、家で教わった。きっとそれは今でも多くの家で教えていることだろうと思う。小学校とかでも教わるよね、トイレのスリッパはそろえましょうとか。物は元に戻しましょうとか。

それから、昔はきっと、地域の目がそれをさせていたように思う。銭湯とか、公民館とか。ちゃんと戻しなさいって、おばちゃんとかおじちゃんとか。それにきっと、言われる以前に、皆で綺麗に使う、次の人のことを考える、みたいな感覚があったように思う。

でもそれが、“サービスを受ける側”になった途端、公の場の思いやり感覚がなくなるんじゃないかなと思う。綺麗にするのは従業員の“仕事”。お客である私たちがやることではない。みたいな感覚。

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先日、群馬県の四万温泉、積善館という宿に泊まった時の話。積善館は、あの神隠しで有名なジブリ作品のモデルのひとつと言われているお宿。四万温泉は「四万の病に効く」ということが由来になっているように、湯治場として古くから歴史のある場所。

四万温泉の中でも歴史のある積善館。もともとの湯治文化を味わえる「本館」と、文化財の建物に泊まれる「山荘」と、温泉旅館の「佳松亭」の3つに分かれていて、「本館」は湯治宿らしく基本はセルフサービス。

その「本館」に泊まった時の話。

そういう、本来の湯治文化が楽しめるような宿には、自分のことは自分で、自分のペースでのんびり過ごす、そういうお客さんが泊まりに来ると思っていた。わざわざ予約時のメールに、本館はセルフサービスが基本です、とまで書いてある律儀なお宿には。

にも関わらず、到着早々、自分勝手なお客さんの多いこと多いこと。
60代の男性は、「いつまで待たせるんだ」とご立腹。70代の女性は、「お布団はご自分で敷いていただきます」に「えー??」と驚きのご様子。「こういう立派な"ホテル"なんだからもっとちゃんとしていると思ったわ」とのこと。ここはホテルではないですよ。

ほかにも、足湯の調子が悪く利用できないことに対して、はあ?ありえないわ。態度の40代女性。タオル販売の機械の調子が悪いことにイラつく30代女性。

なんかなあ。

サービスを受けたがる人ではなく、ここの良さをわかる人に、自らできる人たちに利用してほしい。そしてそういう人たちを大切にして、湯治文化を絶やさないでほしい。
心からそう思った。

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「来た時よりも美しく」

この言葉を初めて聞いたのは、高校生の時。高校サッカーの「最後のロッカールーム」か何かで、たしか野洲高校の先生が言っていた言葉。

来た時よりも。なんて素敵な心意気なんだろう。そう思った。それからは、どこに行くときも意識している。

どうか、その心意気を持った人たちが悲しい想いをしない世界でありますように。

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ちなみに。
積善館。お風呂も食事も最高でした。
お風呂は4種類のお風呂が楽しめて、もちろん全て源泉かけ流し。なんと贅沢な。食事はお弁当と聞いていたので期待はしていませんでしたが、ご飯と味噌汁、茶碗蒸しは別でちゃんと温かく、どれも滋味深くて、染み渡る美味しさでした。

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