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愛すべき飲んだくれたちの聖夜「海をゆく者」【観劇感想文】

※内容に触れたネタバレあり感想文です。

聖なる夜の、飲んだくれの5人の男たちの運命の一夜

2014年以来の再再演となる本作は、アイルランドの港町を舞台にしたクリスマスイブの夜をともに過ごすことになった5人の酒浸りの男たちの、ろくでもない話と喧嘩まがいのやり取りと真剣勝負のポーカーの模様がただただ綴られる物語です。

ある意味くだらなく、どうでもよく、アイルランドの社会風俗やならわしも知らない日本人にはよくわからない会話がポンポンとテンポよく継がれていきます。身内話を延々と聞かされているような状況なのです。

なにせ冒頭からしてトイレに上手くいけない盲目の兄と彼の世話をする弟の、喧々諤々のやり取りです。ところどころに笑わされるものの、なんだこの話は?と思います。でも、そういう話なのです。

酒浸りのいい歳した男たちが、くだらなくためにもならない、なんの含みもない話をただ繰り返す。そんな普通の会話で見えてくる、彼らのどうしようもなさや孤独さに、やがて愛嬌や慈しみすら覚えてくる。しょうがない人たちだなあ、という温かみある視線を向けるようになってくる。知らない国の、知らないただのおじさんたちに。そういう不思議な引力が、この舞台の醍醐味のように思います。

ただひとり、ロックハート氏という、5人の中で唯一地元の人間ではない、弟=シャーキーと因縁のある人物が中盤にやってきます。なにやらきな臭いやり取りを二人だけで行い、回りくどい意味深な台詞を吐きつつ、運命のポーカー戦へと流れていきます。

はたしてロックハート氏はその思惑を果たすのか。シャーキーに屈辱を抱かせるのか。物語のクライマックスです。しかしてその結末は、

眼鏡をはずしていたから見えなかった。エースのフォーカードだ!

飲んだくれたちの逆転大勝利となりました。
いや、なんだそれ。………、まあ、でも、いいじゃない。むしろ最高か。

堂々巡りのどうしようもないおじさんたちにいつしか親近感を抱いていたものだから、一緒に拍手したくなる。ロックハート氏には茶番に巻き込んですまない、けれどここは、場末のパブよりも非常識がまかり通るここでは、悪魔の思惑なんて飛び越えたくっだらない真実が通ってしまうんだ。悪魔がマリア様の思惑を一瞬信じそうになるほどに。

かくして聖なる夜は開ける。白々とした朝の光がやさしく部屋に満ちる。
日常が戻る。

そしていつしか、「ろくでもない兄に困らされていた弟」、という序盤の構図が、逆転していたことを受け入れていると、知る。

ろくでもない状況に陥っていた弟が、兄が視力を失ったことを契機に、家へ戻り、彼の介護をするという口実を得て生活へ戻れていたということ。

豪放な兄はすべてを受け入れて、なにもいわずに、変わらずに弟に振る舞いつづけていたこと。弟もそれを知りつつも、なにも言えずに、悪態をつきつかれて暮らし続けていたこと。

彼らの、長い長い年月の人生にかつてあったかもしれない、断絶と絶望と、そして再生を思いやる。人生は長い。くだらなかったり、どうしようもないことも山ほどある。けれど、必ず夜は明けて朝はやってきて、悪魔は現れてもまた去っていく。きっと、一生。

舞台美術と演技巧者の技を味わいつくせる一作

2014年の再演を観たことがあるんですが、当時も舞台美術の美しさに圧倒されたのですが、今回もほぼ同一の巧緻さで素晴らしかった。

クリスマスイブの一夜を描いた物語ですが、真夜中から夜明けまで、微妙に舞台後部の窓から差し込む光の明るみが変わるんですね。その窓からそそぐ光が舞台そのものを照らし出しているかのようなニュアンスで、とても自然な柔らかな光のように感じる。最終盤の夜明けの、アイルランド絵画にあるような白々とした明るすぎない朝の光の再現具合はほんと絶妙で、大好きです。

また、言わずもがなの演技に卓越した5人の役者陣のパワーがものすごい。お歳のことばかり触れるのは憚れますが、それでも70歳前後の面々がこれだけパワフルに台詞劇を繰り広げ続けるのは、並々ならぬ経歴あってのこと。お互いの間を知り尽くしたかのようなやり取りにただただ惹かれる、そういう側面もある舞台だとも思います。

最後に、「イニシュリン島の精霊」を思い出したことについて

2023年公開の、同じくアイルランドを舞台にした、
イニシュリン島の精霊」。

この作品は突然一方から絶縁を切り出された中年男性の関係性の顛末を悲哀とシニカルなユーモアたっぷりに描いた作品ですが、アイルランドの雄大な自然と、パブを中心に生きる人々の暮らしぶりが印象的でした。

酒を飲み交わすパブで親交を深め、住人達の関係性を知っていく。生活の中心、アンテナがパブにあるという密着性は、染まってしまえば暮らしやすく、違和感を感じれば二度と入りたくなるような中毒性を感じました。

そのパブが、この「海をゆく者」では個人の家という、よりパーソナルな場所へと置き換わっています。だからより秘匿性が増し、彼らの関係性も一層親密で、「どうしようもなさ」「堕落ぶり」が濃くなっているようにも思いました。

けれど逆に、そういう同じ程度にやさぐれた親しい同士しか集わない場所だからこそ、明日も生きよう、目覚めようという、どうにかなるさ、という、ちょっとした気力を得られるヒーリングポイントとして機能しているのかもしれない、とも思うのです。

そしてそういう場所を得られていることが、お金よりも名誉よりも、もしかしたら大切なのかもしれない、と。

パンフのデザイン、お洒落で素敵。大阪で大千穐楽、お疲れ様でした!

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