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3/3. 今思うこと。

phase 03. 私は私でいい。

まぁ、情緒不安定で色々と辛いことが多い日々を過ごしていたわけなんですが、それは悪化していき、学校を休んだり、自分の体を故意に傷つける行為までするようになりました。その時に、このままじゃ私ダメだ、って思ったんですよね。「変わりたい」という願望が今までにないほど強くなりました。
そこでまずは、先生に打ち明けました。私は決して友達にこんなことは相談しません。重いのは確かなんですから。しかし先生は、ある意味、生徒の話を聞かないといけない「義務」を担っていて、先生は自らその義務を受け持つことを選んだんだから、それに甘えてもいいよね、という思考回路でした笑。
それでもう号泣しながら、今までのこと全部話したら、すごくスッキリしたんです😭。話を聞いてもらい、「そっか」「辛かったね」って言ってもらえたことでどれほど心が軽くなったんだろう。
そしてその時、先生に言われたのが、「●●さん、愛されてるよ。」って。

私、どれだけ欲張りで盲目だったんだろう。
まずは家族。本当に馬鹿みたいに迷惑をかけてきた家族。
私は(すごく優秀な)兄のようにめちゃくちゃ勉強ができるわけでもない。
優れた運動神経も持っていない。
最近は家のことをやっているけど、料理をしても、変なミスして火事になりそうなこともあったし、味も母に比べたら全然だ。
掃除をしてもホコリだらけのままで母がもう1回やる羽目になっちゃうこともしばしばある。
それでも、家族はずっと変わんない。「家族だから当然」だと思っていましたが、家族だから愛されるというのは全く当たり前じゃないし、本当に恵まれているってことに気づきました。

そして友達。
どんな会話をしてそう言われたのかは覚えていませんが、友達の1人に、「病んでもいいよ」みたいなことを言われ、思い切ってその友達に悩みを相談したことがあります。
そしたら「考えすぎ。●●はそのままでいい。あと何かあったら相談してよ?」みたいなことを言われました。本当に綺麗事かもしれませんがこの言葉にどれほど救われたか…。
他にも、よく考えると、私はよく泣くんですけど、友達の前で数え切れないほど泣いたことがありますが、その時にみんな受け流したというか、「泣きすぎ」とも、過剰に「大丈夫?」とも言わず、ただそばにいてくれた人が多いんです。そして私の性格をよく知っている人たちは、私がすぐ笑うことを知って、バカなこと言って笑わせてくれたりしていました。

私は弱くて、こんなにも自分のことを好きでいてくれてる人がいることに気づけず、喋ったことがほとんどない自分のことを悪く言う人たちの声にしか耳を傾けることができませんでした。
でも、私は私のままでいい。「〇〇な私」と自分を型に当てはめない。ダラダラ過ごした日があってもいい、ちょっと太ったっていい、超真面目にガリ勉したって、超ふざけて遊んだって、いい。そのことに気づけて、自分でもそう思えるようになった時は、本当に心が穏やかになったって言うと大袈裟な、って思うかもしれませんが、本当にそんな感じなんです!😂
その人たちには、こんな私を好きでいてくれてありがとう、って言いたいですね。その人たちがこれを読んでるかは知らないけどーーー。

余談ですが、少し前に、髪を染めました。
そしたら、面白いことに、女子はみんなポジティブなメッセージを送ってくれたのに対して、メッセージしてくれた男子の99%は「ギャルすぎる」というコメントでした😂。どういう意図を込めたのかは知りませんが、その中でも明らかに「ギャル=ネガティブ」のようなニュアンスで言ってくる人もいました。
その中で1人の男の子から「JKじゃん!」って来たんです。「いいじゃん・似合うじゃん」「(悪い意味で)やばい・似合わない」というように、プラスにしてもマイナスにしても、自分の価値観を押し付けるようなものじゃないコメントを自然とできるのってすごいなぁって思いました。思い返すと、その人は普段の会話でも、あんまり人を褒める言葉も人を悪く言う言葉も発さない人で、本当に人のことを自分の価値観で見ない(英語でよく言う"don't judge"ですね)んですよ!そのような人はなかなかいませんよね…!

今でも見た目・体重コンプレックスは少し残っていますけど、以前よりはマシになりましたし、他者の評価もある程度流せるようになりました。

ごく普通のことではありますが、これが絶望的なほどできなかった私にとっては大きな前進です!😂
これからも頑張ろう、って思えました😊。

日本社会は生きづらい。

こういう経験をして、最近になってよく思うのが、日本社会って生きづらいよなーってことです。日本では、何でもかんでも「良し悪し」をつけます。

その代表的な例として、ルッキズム。
「かわいい/イケメン」って所詮、「あなたの見た目は私の好みに合っている」という意味です。しかし、自分の価値観に合っているものを「良い(かわいい/イエメン)」として、合っていないものを「悪い(ぶさいく)」と言って、「かわいい/イケメン」が蔓延している日本社会は、価値観を押し付け合っている社会であるとも言えると思います。
自分の体は本来「自分のため」のものなのに、他の人の基準に合わせざるをえなくなっているのって、よく考えるとおかしいです。

スウェーデンなど北欧の国では人の見た目にコメントをすることはタブー視されているそうです。「可愛いね〜」「かっこいいじゃん!」という言葉が小さい頃から飛び交う日本とは全然違うなー、と思いました。
「見た目」を売りにしているモデルの職業も、見た目ではなく、ウォーキングやポージングなどの技を基準に選定するような社会が本当に実現したら、どれほど多くの人が楽になるんだろう。

正直、私には人のことをどうのこうの言う資格はないかもしれません。私もルッキズムに洗脳されている1人です。「かわいい/かっこいい」を口に出さないようにと、心がけようとはしてるけどなかなか実現できないんですよね…。
ただ、次世代には絶対に同じ思いをさせたくない、一人一人が自分の見た目を好きになれる社会にしたい、とは強く思っています。
だからこそ、「ルッキズム」とかの問題があることを知り、そして伝えることは大事だと思っています。

日本では他にも、
・「不登校=学校に合わない=落ちこぼれ=悪い」
・「精神疾患=根性が足りない=悪い」
というような、負の価値観がたくさんあります。
しかし、負の価値観を持つことは競争社会を生み出し、競争があることで傷つく人は多くいる反面、競争なしでは発展できない、というジレンマがあり、難しいなぁと思うところです…。

しかし、怖いなと思ったのが、日本では「命」にまで善悪の価値をつけています。死刑制度が機能していることがその証明だと私は思っています。
これに関しては、いろんな意見がありますが、少なくとも私はいくらなんでも人の命には手を出すな、と思います。
そこで、そもそも「法律」という「善悪」の代表制度に疑問を持ったんですよね。例えば、薬物は違法なのにお酒は合法、ということに対し、それは何を根拠にしているのだろう、と。お酒より体への影響が少ない薬物もありますが、薬物は「違法」だからと言って「人間じゃない」だのメディアやネットに叩かれる。
それって、変じゃない?って思ったんですよね笑。
まぁそんなこんなで、法律の分野により興味が強くなりました。😂

社会に関してまだまだ問題はたくさんありますが、それに気づけてない人も多いと思います。
そこで、この文が少しでも何か「気づき」「発見」になれれば、と思います。

拙い文章でしたが、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!!😭
いつでも、意見でも思ったことでも、何かあれば軽く言ってください!(:
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