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アンティークの祝祭 父の遺産

親から子へ受け継ぐものは、現物資産だけではない。それまでのわだかまりも愛憎も、お互いの自責の念も全てを乗り越えて深い愛情が伝えられると、神様の贈り物のように感じ、この奇跡の瞬間に感謝し、また誰かにそれを渡したくなる。愛情と言う名の遺産。

『アンティークの祝祭』2020年公開フランス映画。ジュリー ベルトゥチェリ監督脚本。リンダ ラトレッジ原作『クレール ダーリング最後の狂気』。カトリーヌ ドヌーブとキアラ マストロヤンニ主演。

認知機能の衰えが目立つ老婦人が人生最後の日を覚悟し、人生を共にしてきた由緒あるアンティークをガレッジセールで二束三文で売り払いはじめる。その奇行を不信に思った友人から連絡を受けて20年振りに母を訪れる娘。家族の過去、不幸な出来事、わだかまりがアンティークの思い出と共に蘇り、自責の念にかられる母と娘。互いに反発を覚えながらも、思いやる気持ちに触れる瞬間を迎えるが…

映画で母娘を演じたのは、実際の親子。共演4度目のカトリーヌ ドヌーブと父マルチェル マストロヤンニそっくりの娘キアラ マストロヤンニ。

女性監督のジュリー ベルトゥチェリはアンティークコレクターの家系に育ち、祖母の屋敷を撮影現場にしている。元々ドキュメンタリー映画を多く撮影している監督。

母娘のすれ違いやお互いを思いあう姿を実の親子が話題性たっぷりに。また素晴らしい本物のアンティークの数々や赴きある屋敷の風景が映画を華やかに演出している。

カトリーヌ ドヌーブ演じる老婦人もレビー小体型認知症ではないか?と思われるリアルな描写が随所にあり介護士として、興味深かった。

レビー小体型認知症。ハッキリとした意識の状態とボンヤリとした意識の状態の時があり、ボンヤリの時は理解力と判断力が著しく低下する。実際に存在しない物や人物や光景、出来事等を幻覚に見たり、その妄想の出来事に怒り出したり興奮したり、落ち込む。寝ている時も幻覚を見るためか突然騒ぎ出す。半分はハッキリした状態の時があるため、自分の言動に対しての他人の反応に違和感を感じ、自分自身に落ち込む、またイライラする。パーキンソン病などを併発することが多く、所作や歩行が安定せず転倒のリスクが高いなどなど。

そして私には何より、映画の老婦人がアンティークを全て売り払おうとした気持ちと、実際に私の父が財産を全て私に内緒で処分した気持ちが重なり切なかった。

自分は身体も認知力も衰え、たった1人の娘とさえ疎遠になり、一体今まで何を守って来たのだろうかと。自分の過去も思い出も全て捨て去ってしまいたい、そんな気持ちになったのかも知れないと思った。

私が疎遠だった父と再会した時。父は認知症が進んでいて、特に夕方にその症状は強くなった。父は何度も「ゴメンな。ゴメンな。ゴメンな。何にもしてあげれなくて。ゴメンな。」を繰り返した。

実母に再会した時、実母は私を見るなりにっこりした。親戚の叔母さんにその日のことを報告したら、笑うなんてことは最近では、まずなかったと驚いていた。

映画の母娘は再会し、わだかまりの果てに心を通わせる瞬間が訪れた。

私も父と再会し、最後の時までに少しお互いの顔や姿をゆっくり見守る時間が与えられた。

実母と再会し、2人だけで正面から向かい会う機会が与えられた。

親子の思いが通じ合う瞬間。お互いに諦め、捨て去ろうとした過去や思い出の中にでも存在する愛着。期待していない素振りをしながらも、何処か諦め切れていない心の揺らぎ。そんな不幸せを払拭してしまう奇跡のような時間が与えられたことに感謝している。多分きっと映画の中の親子も、その貴重な時間を持てたことに感謝したのではないだろうか。

たかが一本の映画。だけど、自分の身におこった出来事とシンクロすると、今ここで出逢う価値の重さ、偶然がもたらす必然性を感じ、ご縁に深く感謝している。

そして、子供たちには、愛情は最後の限られた瞬間ではなく、分かりやすく日常的に伝えようと心に誓った。

…現実には、お互いに悪態をつきあいながらだけれど…私から素直になろうと思う。





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