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かぞく写真は、全員揃って撮らないと意味がないと思ってた


前提として、私はかぞくが大好きだ。この30年の月日の中にはいろんなことがあったけれど、それでも父方、母方の従姉妹を含めた親族と毎年集りには欠かさす参加しているほど(むしろ楽しみにしているくらい)、私にとってかけがえのない存在であり、大切に関係性を育み続けたいという想いがブレることは一度もなかった。


我が家のお正月には、親戚が一同に集まって食事を囲む。それが毎年の恒例行事だけれど、年を重ねるごとにみんなが集まることは難しくなってきた。

特にここ数年は、祖父も叔父も他界。「今年もよろしく」と挨拶を交わした一年後に、また集まれる保証は当たり前だがどこにもない。


2023年の年末、年始の集まる予定が決まった時に、いつも仕事を共にする(普段は、人生の節目を遺すインタビューライターをしている私と)長年の付き合いになるカメラマンさんが「せっかくみんな集まるなら、かぞく写真を撮らない?」と声を掛けてくれた。


祖母も80歳を越え、かぞくの平均年齢が上がっていく姿を目の当たりにしているし、なにより大切な人たちが集まる一年に一度の特別な日。私は飛び跳ねて喜んでお願いをすることにした。

ところが、直前になって全員が揃わないということが発覚した。理由もおめでたいことだったり、優先すべきことなのですぐに理解したが「さて、写真はどうしたものか」とすごく悩んだ。


全員生きているのに、その場に写らないということはいないも同然。揃ってないのに集合写真を撮ることは、私にとって「それだったら撮らなくてもいいかも」と思ったし、なんだか寂しい気持ちになるのではと思って、失礼を承知でカメラマンさんに伝えた。

「ごめん、撮影はいいや。」

すると、彼女からはこんな言葉が返ってきた。

「本当にいいの?揃わなくても、揃わなかった2024年のかぞく写真を遺したらいいんじゃない?私の家も、なかなか元旦にみんな揃うのが難しい家族だから。それでもかぞく写真を撮りたくて、お父さんと2人でもいいから撮ろうって誘ったの。

でも、最初はめんどくさいって言って写真を嫌がってて(笑)そんなお父さんが、4年目になる今では”今年はどうする?”って楽しみにしてくれるようになって、今ではお正月フォトが恒例行事!だから、揃わなくても意味はあると思うよ?」

続けて「もし撮るなら、どんな写真を遺したい?」と聞かれた時、私は素直に「みんなの普段の様子。笑ってるところとか、話してるところ。こんな日常が幸せだよねって、みんなが自分の”幸せ”を目に見えるカタチにできたら嬉しい」そう思って、やっぱり写真をお願いすることにした。

それでも、集合写真だけは心がもやもやしたままだったから、それはリクエストから外すことにした。あとは、彼女のシャッターを切りたくなった瞬間に、とだけ伝えて。


時計の針がお昼の11時を回ったところ。いつも通りみんなが集まり、ビール片手に乾杯!すき焼きとお鍋を食べたり、おせちをおつまみに駅伝を見たり、懐かしい話に花を咲かせたり……。話す内容はもちろん去年とは違うけれど、それでも「あぁ、いつもの大好きな景色だなぁ」そう思いながらその場を愛おしく思いながら楽しんだ。


翌朝。そのまま家に泊ってくれたカメラマンの彼女が送ってくれた写真を見た時、思わず涙が溢れてきた。そこには、何度でも見返したい「2024年の私たちかぞく」が飾らないいつもの姿で写っていたから。



大好きなおばあちゃん。母お手製の干し柿を食べて「おいしい~ねぇ」と頬張る姿
「あーちゃんはすきやき作るの上手ねぇ」と、褒め上手なかぞくにおだてられてすきやき奉行になる私(笑)
真剣に食べてる……
片付けをしながら、ついつい会話が盛り上がって進まないのよね
食休みを挟んでから、お茶タイム。帰るのが名残惜しくなる時間


ここに上げられるのはほんの一部だけれど、この日一日がありありと写真に遺っていて、すごく嬉しくなった。


かぞく写真は、全員揃って撮らないと意味がないと思ってた。でも、やっぱり見返した時、撮ってよかったなぁ。そう思った。(そして意外にも、この場に参加できなかった妹に送ったら「ダウンロードするからデータちょうだい~」とLINEが。やっぱり、この場にいなくてもかぞくの”今”を繋いでくれるものなんだと実感。)

ありがとう。カメラマンとして以上に、その場に私の大切な人を同じくらい大切にしてくれたayakoさんに、感謝の気持ちでいっぱいだ。



今、彼女とは「かぞくの節目に想いを遺す」family interviewのサービスを行っている。この写真と一緒に、その時どんな会話が生まれていたか。何気ない会話ほど忘れてしまうけれど、こんなにも愛おしくて面白くて、かぞくらしいものってないから。

写真を撮るように、言葉という想いも遺す。

今回、今しか遺せない瞬間があることを知っている私でさえ、自分のかぞくに対してこんな想いがあるなんて知らなかった。変なこだわりで、大切な瞬間を逃してしまうところだった。

でも、間違いなく今日遺したものは、私のこれからの人生の宝物であり、生きる糧になるものになったなと思う。


大切なものを、当たり前に大切に。私自身、そんなかぞくとの限られた時間を、これからも大切にし続けたいと思う。



人生の節目に想いを遺す corelight interview

ayako yasui|写真家
「家族の在り方」「その人の今を写す」ことで、言葉では伝えきれないけれど”確かにそこに在る”ものを写し、遺している。(Instagram




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