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朝鮮王朝実録 太祖実録総序

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朝鮮王朝実録 太祖実録総序を翻訳したもの なろう系
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#李成桂

朝鮮王朝実録 総序(6)太祖 李成桂2

 出仕から紅巾賊まで。朝鮮王朝実録は実は嫌韓本じゃないかと思い出す昨今。  高麗の恭愍王…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(7)太祖 李成桂3

 納哈出は、元が北に転じたあとに、満州地方を支配したジャライル部出身のモンゴル人。ただし…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(8)太祖 李成桂4

 ここに書かれているのは要するに、咸鏡南道を廻る李成桂を含めた女真族の勢力争いである。後…

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(9)太祖 李成桂5

 モンゴル皇帝トゴン・テムル(順帝)の皇后に高麗人奇氏がなったのだが、それを頼みにして高…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(10)太祖 李成桂6

 この編は、なろう系エピソードを書き連ねているだけである。逆に言うと1371年から1375年まで…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(11)太祖 李成桂7

 原文と訳と注を併せるとラノベ一冊分あった。倭寇に関する部分はその中でも1/10をしめている…

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(12)太祖 李成桂8

前文  本編は、阿其拔都と言う名の倭寇が出てくる部分で日本でも割と有名なのだが、調べていくうちに創作ではないかという疑いを持つようになった。その理由は、辛禑六(1380)年八月の倭寇が、これだけ大規模の倭寇であれば高麗史に記載があるはずなのに存在しない。確かに辛禑六年八月に鎭浦に現れた倭寇がいる(七月から暴れていたようだ)が、この倭寇は鎭浦で撃退されている(「倭寇公州,金斯革擊,斬四級。羅世、沈德符、崔茂宣等,擊倭于鎭浦克之,奪所虜三百三十四人,金斯革追捕餘賊于林川,斬四十

朝鮮王朝実録 総序(13)太祖 李成桂9

 胡拔都は遼東あたりに勢力を持っていた女真の一族らしい。ところで、高麗史によれば胡拔都は…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(14)太祖 李成桂10

 本編は、なろう系エピソードの寄せ集め。ここから殿下(李芳遠)の名前が出始める。王位の正…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(15)太祖 李成桂11

 この編は短い。――と言うのも次から威化島回軍に関係するので切りが良いので切ったので。 …

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(16)太祖 李成桂12

 威化島回軍を直訳すると「威化島で軍をかえした」と言う意味しか無いのだが李成桂一派による…

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(17)太祖 李成桂13

 威化島回軍の本編  五月、大軍が鴨緑江を渡り、威化島まで行くと、道中、絶え間なく逃亡兵…

みし
2年前
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朝鮮王朝実録 総序(18)太祖 李成桂14

 禑王を退位させて、子の昌が即位し退位させられる直前まで。禑王は明に反逆した首謀者として…

みし
2年前

朝鮮王朝実録 総序(19)太祖 李成桂15

 王を擁立した直後から曺敏修一派と李成桂一派の対立が始まり、曺敏修一派を排除し、曺敏修の後ろ盾になっている昌王を廃し、遠い王族を傀儡にするくだり。  請親朝使の尹承順が、京師*1から戻ってきた時、礼部*2は聖旨を奉じ、都評議使司に聖旨を送った。異姓を王氏の後にしたことを責め*3、親朝を許さなかった。このことから太祖と判三司事の沈德符、贊成事の池湧奇、鄭夢周、政堂文學の偰長壽、評理の成石璘、知門下府事の趙浚、判慈德府事の朴葳、密直副使の鄭道傳は興國寺であい、兵衛に大いにのべる