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石の話~ふたつの猪子石(いのこいし)

物語をさがして vol.11

子どもの頃、住んでいたマンションの駐車場の脇に、細長い植栽スペースがあり、ツバキやヤマモモなどの庭木が植えられていました。私はそこを日中の遊び場にしており、ツバキの花のつぼみを取っては固く閉じたまだ白い花びらを一枚一枚はがして中身を観察したり、ダンゴムシやカタツムリの採集を試みたりと飽きることなく遊んでいたことを覚えています。

駐車場のコンクリートと植込みの間の境目は、石で区切られており、成形したコンクリート石だけではなく、少しだけ庭園風に、いろんな形の自然石もランダムに置かれていたように思います。その中でも少し大きめで、縦長に立てられている石が、なんとなく格好よくて、その石のことを「神様」と思って水をかけたり花を飾ったりしていたことを覚えています。

石というものには、なんとなく、無条件にリスペクトさせられてしまうところがあります。命の長さが、人とはけた違いで、何か恐れ多いものを感じてしまうというのか、眺めているうちに、もしかしたら心や、スーパーパワーがあるかもしれないと感じてしまうのです。あなたはそんな風に感じたことはありませんか?

『愛知県伝説集』(福田祥男 名古屋泰文堂)を見ていると、キツネやお地蔵さんに関する話も多いけれど石に関する伝説もたくさんあります。

夜な夜な不気味な声で鳴いた「夜泣き石」(東浦町)。八竜大王のご神体とされる「八龍石」(西春町)。借りてきて家に置くと蚕の天敵であるネズミが出なくなるという「八王子の石」(扶桑町)などなど。あげればきりはなく、読んでいて、そういうこともあったのだろうなと、石の伝説を信じ伝えた人たちにとてもシンパシーを感じてしまいます。

ただ、私はパワーストーンを身に着けたりするのは好きではなくて、身に着けるものはなるべく少なくしたいという理由があるのと、仮に悪霊のようなものがいるのだとしたら、逆にそれを恐れているというサインを発して弱みを見せるようで、あえて丸腰で過ごしたいと思う派なのですが・・・それはいいとしても先人たちの伝説になった石の伝説にはとても興味を惹かれるので、近くの伝説の石を調べて会いに行ってみようと思いました。


猪の形の石(猪子石)をさがして猪子石神明社へ

名古屋市名東区に猪子石(いのこいし、またはいのこしとも読む)という地名があることは知っていましたが、本当に猪のような姿の石があるということなので、出かけてみました。まず訪れたのは猪子石神明社(名古屋市名東区神月町602番地)。

猪子石神明社には、猪の石の所在と解説がしてありました。

猪の形をした石が、近くの神社にあるとの解説。ここにはなかったようです。

看板によると、ここから近い猪子石神社には「牡石」と呼ばれる、触ると祟りがあるという石、また、大石神社には「牝石」と呼ばれる安産の神様がお祀りされているとのこと。

猪の石はありませんでしたが、ここでは別の神様に会うことができました。

痔塚神社 腰から下の健康祈願ができます。桃の形の絵馬が洒落ています
龍耳社は耳の神様。耳のある竜が捕らえられ、その耳をご神体としたのが始まりとのこと

ちょっと前の記事で訪ねた場所を思い返してみますと・・・

八左衛門の墓(長久手)・・・腕から上の病が治る
耳塚(長久手)・・・耳の病が治る
十三塚の地蔵(豊明)・・・歯が痛いのが治る

私はほとんど全身の健康祈願を網羅できていそうです。地蔵も神社も、なんだかそれぞれ専門医のように思えてきました。かつては通院や手術よりも祈りが身近にあったのでしょうか。


牡石と牝石に会いにいく

さて、「牡石」に会いに猪子石神社(名東区香坂520番地)へ。

住宅に囲まれた高台の土地に猪が横たわっていました
触ると祟りがあるとは、猪の眠りを妨げないためでしょうか

触ると祟りがあるとのことですから、恐れながらもお参りしてきました。
ほんとうに、ちょうど猪の寝姿のようです。触るといけないのでしょうが、触りたくなるフォルム。

続いて、大石神社(名東区山の手1丁目707番地)へ。こちらは「牝石」があるところ。

公園の隣の一角にひっそりたたずむ神社
こちらが「牝石」。堂々とした風格。

地中に埋まった部分が大きいのか、平べったく見えてあまり猪のような感じは受けませんでした。

中央にくぼみがあり、雨水で少し濡れています。石に埋もれた小さな石が見えます。これが「子持ち石」といわれるゆえん。さすが安産の神様。猪は多産ともいうのでますます縁起がいいですね。

ところで、お馴染み江戸のガイドブック『尾張名所図会』にもこの石は紹介されています。

『尾張名所図会』(国立国会図書館デジタルコレクション)の
牡石(下)と牝石(上)間を流れるのは香流(かなれ)川

七夕の織姫と彦星のように川を挟んで位置していますが、「お互いに会いたいのに引き裂かれた」という伝説はなく、「動かそうとすると障りがある」という言い伝えがあるので、それぞれ独立した間柄なのでしょう。

江戸時代にはすでに名物だったこの二つの石をみんなで拝み始めたのはいったいいつからなのでしょうか。石はどこからか運んできたのでしょうか。もともとは古墳の石だったのか庭園のシンボルだったのか・・・はっきりとは分からず答えは風に聞くしかありませんが、これからもずっとこうして土地に半ば埋もれながらみんなに愛され続けてほしいなあと思いました。


まんが「ふたつの猪子石」

ふたつの猪子石は長い時間、そこで何を思っているのかなあ。そんなことを思ってこままんがを描いてみました。

※獅子石の伝説については諸説あります

参考
『愛知県伝説集』福田祥男 名古屋泰文堂
『尾張名所図会』前編 巻五 岡田啓 国立国会図書館デジタルコレクション
猪子石神明社 案内図