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芸術のいらない国

〜みたにノ戯言P.6〜


 そもそも資本主義的世界において、芸術は存在しにくい。他者に対するサービスや物事を金銭に変えるシステムは、芸術行為を行うにあたって、高い壁となり、目の前に立ち塞がる。


 芸術家という生き物は、他者に対しての忖度と生き残る為の金稼ぎを行う事が少ない為、殆どが自身の感じ考え共有しようと思った事がきっかけであり、大勢の顧客の考えを読み、それに合わせて需要と供給を生み出し続ける社会では、存在意義が問われる。


 もちろんだからと言って、社会主義や共産主義や君主制の世界で上手く行くわけではない。元を正せば貯蓄、交換ができ、価値を与える貨幣との相性が、とことん良くないのだ。貨幣(資産)の量=社会的地位となりやすいこの国では、尚のこと芸術という表現が世に認められにくい。


 資本主義の世界でもヨーロッパは、芸術が日本より随分と高待遇である。それは今まで築いてきた歴史と文化が、
芸術と密接に関わって出来ているから、とも言える。また生活と一体化しながら、その存在を明確に他と分けているから、とも言える。


 もちろん日本でも古来から陶芸や歌舞伎など、芸術が庶民の生活に関わってきた文化がある。しかし、彼らがそれらを芸術と捉えて考えていたかというと、それは無いのではなかろうか。決して無いと言えるほど、僕も下調べを行なっているわけではないので、推測と想像の域を脱しえない。

しかし

 日本に芸術という言葉はもともとなかったのである。芸術は明治時代になって、初めて日本語として登場した。思想家で有り哲学者である西周が、リベラルアーツの訳語として使った事により誕生した言葉だ。それまでは芸能や芸道と呼ばれていたり、単に技術として扱われていた。


 それまで芸術が無くても問題が無かった国で有り、
さらに明治以降の日本は、主に経済に力を注いできたのだから尚更、芸術に関心が無いのには頷けるというものだ。


そして、芸術に価値をつけ、貨幣に変換する事は困難だ。


諸外国、特にヨーロッパでは国が芸術を後押ししていたりなど、日本とは国としての向き合い方が違ったりするが、
芸術家は食えないという根本的な問題は、そこでは無いだろう。


そもそも興味がない人が多い。


 これに尽きると思う。興味がないから、みんな金をかけないし、興味がないからやる人が少なく、発展していかない。日本の芸術において、新しい技術や思考の開拓がなかなか進まない。広まらない。また、もしかしたら芸術家の中には、金銭的価値そのものを付けたくない人もいるだろう。

 もちろん原点として、芸術に価値を与えるのは、人それぞれの受け取り方で有り、値段をつけてしまうことで、芸術的な価値を下げてしまうものもあるだろう。でも、古くから芸術は金銭でやり取りされてきた。価値をつけれないものもあるが、そこは金銭的価値をつけるかどうか決めて、メリハリをつけていけば良いと思う。


究極の選択は、金がない世界に行くことかもしれない。

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