知ることから、Feel India.【#11】インドで知ったこと編(完結)
2月15日。
朝に二度目のガンジス川を撮影してから、旅の最終目的地、ムンバイへ向かう。
ムンバイはこれまでに滞在した街の中で一番の都会。ここで身体を休めながら、日本への帰路に着く準備をする。
空港に着いてトイレに入るとジェットタオルに「dyson」と刻印されていて、一気に文化圏に戻ってきたように感じた。
空港からタクシーに乗ってホテルへ向かう道は、ニューヨークの川沿いを彷彿とさせる。行ったことないけど。
ホテルからの景色もこれまでの街とは異なり、めっちゃ都会。
ムンバイ到着日はゆっくりと過ごし、翌朝ホテルの朝食バイキングに向かう。
1週間ぶりくらいに新鮮な生野菜を食べることができて、本当に嬉しかった。
ムンバイに滞在した3日間は、船に乗って遺跡を見に行ったり、ショッピングに出かけたり、スターバックスでお茶をしたり、いわゆる観光をして過ごす。
楽しく過ごしたけど、なんとなくこの辺りから「僕の今回のインド」はもう終わっていたように感じていた。
みんながドービー・ガートと呼ばれる有名な巨大洗濯場に行くタイミングで、僕は一人行動を取らせてもらう。
これまで誰かに支えてもらいながら楽しんだインドを、最後くらい一人で歩いてみようと思った。
スタバに入る。アプリで調べれば言葉はわかるのだろうけど、なんとなく憚られて感覚英語で「アウトサイドアイス」と注文すると、ラテとは別のカップに氷を入れて出してくれた。
僕は一人だと「氷はいらない」と注文することすらできない。
インドで過ごした時間を振り返る。
僕はインドで何を知っただろう。
出発前、僕はこのように考えていたらしい。
インドは、火の国だった。
屋台や焚き火で一日中そこかしこで火があがり、祈りのために火を灯し、死んだらみんな灰になる。
道で大勢に囲まれて横たわっていた蝿だらけの男がいた。翌日、その空間には誰もいなくなっていた。
死は身近で、だからこそ素直に生き、自分を良く見せることや利益を得ることに臆することもない。
そして、どうやら本当に「笑顔は世界の共通言語」らしい。
物の値段がハッキリとわかっていること、顔面からシャワーを浴びられること、空気を吸うことに警戒をしないこと、新鮮な食材を食べられることがどれだけ幸せなことかも気付かされた。
当たり前だけど、食べたもので身体は作られている。野菜や果物が足りてないと身体は不調を起こすし、スパイスを取り込むと身体は元気になった。
そして、言葉は分からなくても、現地の方のお家に招いてもらって一緒に食べたご飯はとびっきり美味しくて、嬉しい。
本当に価値があるものはお金よりも電波よりも「綺麗な水」だった。綺麗な水があれば渇きを潤せる。綺麗な水があれば手を洗える。電波は、必要なときだけ繋がっていればいい。お金は、必要なだけあればいい。
なんのために生きて、なんのために働いて、なんのためにお金を稼ぎ、何を大切にしてどうやって生きていくのか。周りに影響されず、自分に合った価値基準を見つけられると、幸せなのかもしれない。
知らない土地で、あるがままを写真に残す。そこに意図や作為はない。上手く言えないけど「本物の写真」を撮る体験ができたと思ってる。
いろんなことがあった。
大切なのは、自分で見て、自分で考え、自分で決めることだと思う。
2月18日。
別の国へ寄り道する者。
東京へ帰る者。
大阪へ帰る者。
それぞれの帰路に着いた。
空港では、ほとんど写真も撮らなかった。
インドを経ち、クアラルンプールで乗り換え、関西空港へ向かう飛行機に乗る。
深夜に乗る飛行機は、いつもより星が近く感じた。
暗闇の中、起きているのか寝ているのかわからない、まどろみの時を過ごす。
ふと画面上の地図を見ると、沖縄の上にいた。
機内食で出てきたボソボソの安っぽい蕎麦に付いていた小袋のワサビの辛味から、日本に帰ってきた実感を覚える。
無事に飛行機が着陸し、体調絶不調の伸哉さんと一緒に空港を歩いていると、職員さんが何やら看板を持ちながら声を上げていた。
職員さんに声をかけ事情を聞くと、
伸哉さんのキャリーがロストバゲージしていた。
インドから半袖で帰ってきていた伸哉さん(体調絶不調)に僕が羽織っていたダウンを貸し、2月の夜の寒空の下、僕は半袖で自宅への帰路に着く。
寒さと恥ずかしさで震えながら、僕のインド旅は幕を閉じた。
知ることから、Feel India.
おしまい
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