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仁木英之『モノノ怪 執』 時代小説の文法で描かれた『モノノ怪』

 2022年はアニメ『モノノ怪』15周年ということで様々な動きがありました。それは2年後の現在(2024年夏)公開中の『劇場版 モノノ怪 唐傘』に結実しているわけですが、この15周年時の大きな収穫が、スピンオフ小説『モノノ怪 執』であったことは間違いありません。
 全六話が収録されたこの小説版を担当したのは、なんと歴史・時代小説でも活躍する仁木英之――実力派であると同時にマニア精神をよく知る作者だけに、満足度の高い一冊となっています。


はじめに

 2006年、オムニバス『怪 ayakashi』の一編「化猫」で初登場した薬売り。隈取のような奇抜な化粧と傾いた衣装で身を飾ったこの美青年は、モノノ怪の気配があるところに、場所・時代を問わずどこからともなく現れては、その形・真・理を見顕して退魔の剣でモノノ怪を斬る、奇妙なゴーストハンターです。
 この薬売りのキャラクター性、和紙のテクスチャを用いた美術、そして怪異の陰の人の心の綾を巧みに織り込んで二転三転するミステリアスな物語が受けて、2007年には『モノノ怪』として五つのエピソードが放送されることとなりました。

 以降、ファンの間では続編を求める声が根強くあったのですが――15年間沈黙を守った末(その間、蜷川ヤエコによるアニメに忠実な漫画版がありましたが)、大きな動きがあったのは冒頭に触れたとおりです。
 そして登場した本書を担当する仁木英之は、『僕僕先生』をはじめとする壮大な中華ファンタジー、『くるすの残光』などの伝奇時代小説、人情ファンタジー『黄泉坂案内人』だけでなく、文アルのノベライズ等まで手掛けており、なるほど意外なようでいてうってつけのチョイスというべきかもしれません。

 私も『モノノ怪』ファン、仁木英之ファンとして大いに本作を楽しみにしていたのですが、その期待は裏切られることはありませんでした。以下、全六話を一つずつ紹介していきましょう。

「鎌鼬」

 新年、管狐の加護を得たという奥三河の村の庄屋のもとを訪れた三河万歳の門付け芸人・徳右衛門。同じく訪れていた熊野神人、傀儡師、角兵衛獅子、そして薬売りとともに宴席に招かれた徳右衛門ですが、自分たちが客間から出られなくなっていることに気付きます。
 そこに現れて、昨年家宝の管が盗まれたこと、最も優れた芸を見せたものが座敷を出て富を得ることを告げる屋敷の主。かくて、芸人たちの芸比べが始まることに……

 気持ち的には「御久」の文字が見えるような第一話。中心となるのは閉鎖空間に閉じ込められた人間たちのエゴのぶつかり合いという、ある意味『モノノ怪』らしい展開ですが――そのぶつかり合いが異能の芸人たちの技比べの形で描かれるというのは、映像で見てみたいと感じます。
 しかし興味深いのは、舞台背景や徳右衛門たち芸人の技の内容や由来をについて、本作が丹念に史実・現実を踏まえて描いていることでしょうか。アニメの『モノノ怪』が、特に無国籍的とすらいえるようなその美術や設定において、意図的に時代考証との距離感を醸し出していた一方で、本作は、時代小説の文法で『モノノ怪』を書いたという印象があります。
(もっとも、続くエピソードを読んでみれば実は本作が一番アニメに近いという印象なのですが……)

 その意味では確かにスピンオフを感じさせる本作ですが、もう一つ、本作においては完全に徳右衛門視点で物語が進行し、薬売りは完全に傍観者であって、アニメで時折見られた人間味も極力抑え気味という印象があるのも、面白いところです。
 あの決め台詞が登場しないのにはちょっと驚かされましたが、これもまた、スピンオフゆえというべきでしょうか。もっとも、芸人たちの中にちゃっかりと混じっていたり、意外に(?)芸達者なところを見せたりと、やっぱり薬売りは薬売りだと思わされるのですが……

 結末とそこに至る過程に、どこかスッキリとしない、考える余地を残す内容など、実に『モノノ怪』らしい第一話です。

「亀姫」

 少年の頃から従ってきた主君・加藤嘉明を喪い、その子・明成に仕える堀主水。しかし明成は都普請と同時に会津若松城の修築を大々的に進めるように厳命を下し、老臣たちと距離感が生まれることとなります。
 そんな中、藩家老で猪苗代城城主・堀辺主膳の子・石右衛門は、恋人で筆頭家老の娘・善を猪苗代城に棲む怪異・亀姫に仕立て上げ、明成を操ろうと企みます。
 その事実を知った主水は、覚悟を決めて会津若松城に乗り込むのですが……

 薬売り、史実と邂逅! と言いたくなってしまう本作。冒頭からしてしれっと薬売りが病の加藤嘉明の枕頭に侍っているのに驚かされますが、それよりも驚かされるのは、本作の中心となるのが堀主水――歴史・時代小説ファンであればお馴染み、いわゆる会津騒動の中心人物として後世に名を残す実在の人物であることです。

 つまり本作はこの会津騒動の秘史、前日譚というべき物語――アニメ『モノノ怪』が歴史的事実と一定の距離を持った作品であったことは先に述べましたが、本作は第一話の方向性をさらに推し進め、史実の中に立つ薬売りの姿を描いたといえます。
(もちろんこれも、スピンオフならではの趣向というべきかと思います)
 
 物語の方は、ややクライマックスが慌ただしくなってしまった感はあるものの、美しいモノノ怪の形が印象に残る一編です。
(ちなみに『怪 ayakashi』の「天守物語」では、亀姫の姉が登場しているのも、ある意味因縁でしょうか)

「玉藻前」

 深川の数町離れた裏店長屋に住む仲の良い友達同士の小春と花。小春の父で浪人の藤川高春はつくり花師のまとめ役、花の母・桂はつくり花師――仕事と称し、たびたび桂のもとを訪れる高春に疑いの目を向ける母に命じられて、仕事の様子を見に行こうとする小春。そんな彼女を花は止めようとします。
 そんなある日、不気味な影に追われた小春の前に現れた薬売りは、彼女に二つの賽を渡して……

 妖の中でも大物中の大物である玉藻前=九尾の狐と薬売りが対決する本作。しかし意外にもその舞台は下町――人情時代劇の定番中の定番である深川に設定されています。
 しかしそこで描かれるのは、妻子ある浪人と道ならぬ関係となった寡婦、親友同士であるそれぞれの娘という、人情ものというには少々湿っぽすぎる人間関係です。

 はたしてそこにいかにして九尾の狐が絡むのか――と思いきや、物語は終盤で大転回。ここで正体を現す九尾の狐の正体は、まさに『モノノ怪』ならではのものといえるでしょう。
 ここにキーアイテムとして登場する賽が絡んで展開する世界は、実に『モノノ怪』らしい、カラフルで不条理な世界であり――そしてその中を切り開いていく少女たちの想いが印象に残ります。ぜひビジュアルで見てみたい物語です。

「文車妖妃」

 幼い頃、祖父に連れられて講釈を聞いて以来、物語に取り憑かれた為永春水。以来、講釈師と作家の世界に飛び込んだ春水ですが、なかなか芸は上達せず、苛立ちは募るばかり。そして彼の近くには、書き損じを食らう小さな妖・文車妖妃が出没するようになります。
 そんなある日、かつての修行仲間であるお文から、柳亭種彦への恋文を託された春水。彼は恋文を渡さずに自分が返事を代筆するようになりますが、そのうちに種彦への恋慕に狂ったお文は……

 再び実在の人物と薬売りが邂逅することとなる本作は、ある意味芸道もの――後に『春色梅児誉美』で人情本の第一人者と呼ばれることとなる、為永春水の若き日を描いた物語です。
 あらすじだけ見るとほとんど春水の伝記のようですが、己の才のなさにもがく彼の分身というべき文車妖妃は、才も無いのに書くことに取りつかれた人間の執着を喰らいにくるという、何とも身につまされる妖です。

 しかし妖としては無害な文車妖妃が、いかにしてモノノ怪となるのか――その理は、まさに人の情とそれに憑かれた者の姿を浮き彫りにしたものであって、『モノノ怪』という作品世界を用いた芸道小説に相応しいものであると感じます。
 結末で語られる薬売りの、二重の意味で意外な言葉も必見です。

「饕餮」

 九州・月ヶ瀬藩の三老と呼ばれる家柄ながら、かつての島津家との戦いで、両親をはじめとする多くの親族を喪い、落魄した山中家の若き当主・甚次郎。同年代の若衆の中でも浮いた存在である彼は、父祖が命を落とした古戦場に、饕餮と呼ばれる怪異が出没すると聞き、興味を覚えます。
 国替え先についていくことを認められず、憑かれたように父祖たちの活躍の痕跡を、古戦場で求める甚次郎。饕餮は彼に父祖の最後の戦いの模様を見せるのですが……

 これもある意味歴史・時代小説の一典型というべき、地方の小藩もの(?)といった趣きのある本作(舞台となるのが九州の月ヶ瀬藩なのは、このジャンルの名作である葉室麟『銀漢の賦』を思い出させます)。
 このジャンルではしばしばそうであるように、地方に暮らす若者の鬱勃たる想いが中心となる本作ですが、それがモノノ怪に憑かれ、過去の記憶に惑溺する主人公の姿として描かれるのは、『モノノ怪』ならではでしょう。

 何が真であるのか、二転三転した末に甚次郎が掴んだ想いと、それの果てのモノノ怪との戦いの有様が、不思議な感動を呼びます。

「ぬっぺらほふ」

 かつて母と姉が行方不明となり、今は父・忠義の叱咤激励の下、大奥に入るために日夜文武に励む楓。刻苦の末、若年寄・堀田掃部に気に入られ、書院番組に抜擢された忠義は、楓の大奥入りへの口利きの条件として、掃部からある怪異退治を命じられます。
 本郷の加賀藩邸近くに現れるというぬっぺらほふ――見目よい男女が通ると置いてけと袖を引く、目鼻も口もない妖――をおびき寄せるため、楓は父に協力するのですが……

 ラストを飾る本作に登場するのは、ぬっぺらほふ――作中でも言及されるようにのっぺらぼうの異称であり、同時に目鼻もない肉の塊であるぬっぺふほふを連想させる名のモノノ怪です。(「のっぺらぼう」といえば――それは後で触れます)

 あまりに酸鼻な過去の一幕から一転、どこかコミカルさすら感じさせる姿で大奥入りを目指す楓を中心に展開していく本作ですが、そんな彼女の心の隙間とモノノ怪が出会った時に何が起こるか……
 胸が悪くなるような過去の事件の真相(これはこれで「らしい」という気がします)と、ある意味ストレートなモノノ怪の真と理を描きつつ、そこから楓との関係性で一捻り加える展開にも唸らされます。

 ちなみに「のっぺらぼう」といえば、アニメ『モノノ怪』のエピソードの一つ。「家」に押しつぶされ、自分というものを喪った女性を描いた物語でしたが、さてそれとよく似たタイトルの本作は――その結末には大いにギョッとさせられると同時に、なるほどと納得するほかありません。

おわりに

 以上全六話――『モノノ怪』という作品の新たなエピソードとして違和感ない内容であると同時に、時代小説の文法で『モノノ怪』という作品を捉え直す試みとして、大いに意義のある作品だと思います。
(なお、いくつか違和感のある用語の使い方があるのですが――これは『劇場版 モノノ怪 唐傘』でも明らかなように、意図的なものでしょう)

 「鎌鼬」の項で触れたように、薬売りを狂言回しとして展開したアニメ『モノノ怪』とは異なり、各話の主人公の視点から展開する内容も、スピンオフとしてみれば、納得がいくものであります。

 また、これは以前、私が作者の『くるすの残光 最後の審判』の文庫解説を担当させていただいた時にも感じたことですが、作者の作品には、超越者の力による救済を以て、事足れりとしないという印象があります。
 その点は、『モノノ怪』という作品の構造――最終的にはモノノ怪退治には薬売りの退魔の剣が必要でありつつも、単なる力押しでは倒せず、人の心に関わるモノノ怪の真と理を解き明かす必要があること――と、想像以上に相性が良かったと感じます。
(というのは牽強付会に過ぎるかもしれませんが……)

 発表当時、『モノノ怪』という作品世界に新たな風を吹き込んだ本書の続編を是非読みたいと感じましたが、嬉しいことに今年(2024年)、同じ作者の『モノノ怪 鬼』が発売されました。
 こちらも趣向を凝らした作品ですが、また別途、ご紹介させていただきます。


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