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大塚已愛『友喰い 鬼食役人のあやかし退治帖』 食うか食われるか!? 血みどろ伝奇大活劇!

 『鬼憑き十兵衛』『ネガレアリテの悪魔』と、新鮮かつ独自性の高い伝奇活劇を発表してきた作者の久々の新作は、とんでもなく尖った伝奇ホラー。江戸時代末期、富士のふもとで山廻役人を務める主人公コンビの任務は、山に潜む怪異との対決――喰うか喰われるか血みどろの死闘が繰り広げられます。

(以下、内容の詳細に触れる部分がありますのでご承知下さい)
 江戸時代は嘉永年間、富士のふもとの甲斐国で山廻役人を務める加当平九郎と坂下勇悟。その務めは、無断で山の樹木を伐る不届き者の見張り――というのは表向き、真の任務は、林奉行・小野寺甚五郎の命を受け、山に出没する有害な化け物が外に出ないように見張ることであります。
 しかし何かと受難体質の加当は、事件のたびに化け物に目玉を抉られ、四肢を奪われと、文字通り食い物にされて瀕死になる有様。一方の坂下の方は、化け物が大好物――人間離れした化け物を喰らうのを何よりも楽しみとしている、如何物食いであります。
 今日も化け物に滅茶苦茶にされる加当と、その化け物を美味しくいただく坂下。しかしそんな人の道から外れた彼らにも、それぞれ重い過去があります。そしてその過去の因縁が思わぬ形で蘇る一方で、富士周辺では奇怪な事件が続発、やがてとてつもない事態に……

 というわけで、ジャンル的にはゴーストハンターもの、退魔ものというべき本作、人間世界に侵入する魔物たちを迎え撃つ異能のヒーローたち――というお馴染みの、そして大いに盛り上がる構図なのですが、しかしその異能が独特すぎてもう阿鼻叫喚であります。

 そんな本作の主人公の一人・坂下は、飄々として人当たりの良い色男ですが、飢饉で自分を残して親兄弟が死に絶えたという過去の持ち主。そんな状況からどうやって生き延びたかといえば、周囲の――人魂を食っていたというのだから仰天であります。それ以来、人ならざるモノが大好物となった彼にとって、なるほどこのお勤めは天職というべきかもしれません。

 しかし坂下はある意味まだまし(?)であります。彼とは対照的に生真面目で無愛想な加当は、かつて「生贄」であったという過去のためか、人ならざるモノに妙に好かれる体質。いや、その好かれるが基本的に食物・供物としてなのが問題で、毎回彼の周囲、というか彼自身が大惨事という有様なのです。
 第一話からして人喰いの魔にじっくりと解体され、四肢を喰われたと思えば、次のエピソードでは、蟲の大群に体の内側から――と、この辺りで止めておきますが、いずれにせよ、万事マイルドになっていくエンターテイメント界においてよくぞ、というかよくもまあ、という狼藉ぶりであります。
(しかし冷静に考えれば、『ネガレアリテの悪魔』も脊椎のくだりなど大概だったような……)

 ちなみにそんな目にあって何故加当が無事かといえば、その後、上役の小野寺が失った部分を縫いつけてくれるからなのですが――第一話で、小野寺がかつて伏見中納言に仕えていたとサラリと語るのにはもうニッコリ――傷は治っても喰われる時は痛いわけで、同情するほかありません。

 そんなわけで、万民にオススメできるとはなかなか言い難い本作ではありますが、しかしその手の描写が得意ではない私でも楽しく読めたのは、一つには物語全般にただようあっけらかんとした、どこかユーモラスな空気のためでしょう。
 そしてまた、そんな半ば人外体質の主人公コンビであっても、心まで人外ではない――そんな身であっても、むしろそんな身だからこそ、相棒や上役に対する情誼をなくさない彼ら(いや、坂下はどうかなあ……)の姿は、一種の爽やかさを感じさせます。
(そしてこの一種逆説的な人間臭さは、作者の作品に通底するものと感じられるのです)

 もう一つ見逃せないのは、伝奇ものとしての本作の設定・世界観の巧みさでしょう。彼らは何のために、何を相手に戦っているのか。そして何故舞台がこの地なのか?
 それは伝奇ものとしてはある意味定番の内容かもしれませんが、しかしなかなかに奥深く魅力的な――そして何よりも曲者主人公たちによく似合う――この設定は、一作で終わらせるにはあまりにももったいないと感じます。
 ぜひまたこのとんでもない2人+1が、フラリと現れて、化け物たちを喰らう(喰らわれる)姿を見たいものです。


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