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わたしの価値観は捕手

多感な10代の頃は、
ほとんどの人がまだ未熟で

自分の価値観を守るために
他者を攻撃する場合が多い(と思う)。


(わたしの場合)そんな思春期後、
いろんな人と関わるようになり、
いろんな価値観を知って、自分との違いを学び、

180度自分の価値観を変えてくれた人や
絶対理解できない、したくないと思った人

他者の価値観に対して、大人になっても
攻撃し続けている人と出会うこともあった。


そんな社会の荒波の中で生き抜くために、

自分の価値観を押し殺して周りに合わせる人
攻撃することによって自分の価値観を守る人

どちらも向かう先はきっと、辛い。


自分の価値観
と違う人がいると、
その存在を認識するだけでいい

自分の価値観を無視することも
変える必要もない

自分の価値観と違う人を
変えようとしなくていい


自分の価値観
を守るためには
どうすればいいのか考え、話し合い、行動する

攻撃という方法ではなく。


攻撃によって自分の価値観を守ろうとすれば
自分の価値観に敵意を持った人から攻撃される。

そして、攻撃された価値観は傷つけられ
もとの純粋な自分の価値観ではなくなる。


それは、自分が正しいと信じていた価値観が
違う価値観になってしまったということになる。

だからこそ、自分の価値観を守るために
どうすればいいのか考える必要がある。


他者の価値観を理解できなくても歩み寄り
共存していけるように距離感を保って話し合い
折り合いをつけるために模索しながら行動する。

すなわち、
自分の価値観も守り、他者の価値観も守る
ということ(・・・だろうか?)?


生物多様性って、
多種多様な生物の生命を維持できるように
絶妙なバランスを保つことが重要で(多分)。
※人間の所為で年間
 何万種の生き物が絶滅してると聞いた。

人間社会も、同じだなと思った。
他者とのバランスを保つことが重要。

人間社会の歴史をみても、
昔からずっと試行錯誤しながら生きてきた。
だから歴史を学ぶことは大切なんだと、
改めて思いました。三田

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