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推し活のSNSを1つやめてみた

推し疲れ。
推して推しても、引くのも自分。

40代でXをはじめました。


40代になって、まさか男性アイドルを推すことになろうとは思わなかったけど、キラキラしたアイドルたちへのときめきはここ数年、加熱を増していました。
推しの行くところ、どこへでも。

グッズや円盤系には執着しない一方で、ライブや舞台などのホンモノを拝める機会には飛びつきます。

そんなホンモノを間近で見る機会が一度あり、大変な恍惚感を味わいました。
推しに会えて幸せ絶頂な私は、それを共有できるヒトがいると楽しいかもと、X(旧Twitter)を始めました。
最初は推しについて1人語りする場所でした。

構造と中の方たちに冷めてきた

その後、気持ちを分かち合う同世代の同担やハコ担の方とも少しずつ交流をもつように。
ちょうどグループ人気が急上昇する時期。
Xの中では、たくさんの同じファンのポストが流れ込んできます。
誰かのポストにアクセスしたりコメントしたりすると、それ関連の交流のない方のポストがきて、それが五月雨式に。

ここらへんで、Xの構造に気付き始めました。
ハッシュタグをつけさせてトレンド入りを狙いにいく。
たくさんの他人のポストを目につかせて、Xは勝手に輪を広げようとする。
たまーにブラックなポストも見てしまう。
それを注意するポストもくっついてくる。

さあ、私の中には別の黒い…ネガティブな感情が生まれます。
「これは、私の思っている枠(キャパ)を超えてきたぞ」
誤解しないでください、私のフォロワーさんは良い人ばかりです。
でも、なんか違う「世界」。
「私にはこんな情熱はないぞ。毎日推しに挨拶とか語りかけとかできないぞ」

誰かが共感してくれたら、いいねしてくれたら嬉しい。
推しもエゴサーチをしているので、ポストを見つけて読んでくれているかもしれない。
私も実際推しに向けて#をつけてポストしたことは何度もあります。
ポストは基本自由、そして自己満足の世界。

でも、私はどうやら冷めている。
私には、X版のネットリテラシーと某事務所ファンの間に存在する暗黙のマナーというものがきちんと備わっていないのかもしれない。
それに多分、SNS上の会話のあいまいさを理解していないのかもしれない。

とくに大きなトラブルはなくとも、フォロワーさんとの付き合いに疲れてしまったのです。
こういった交流や気遣いは私には合っていないことを認識しました。

Xの仕組みも合わない。
怒涛のようにどんどん流れてくる推しの出演情報、ニュース。
怒涛のようにどんどん流れてくるファンのつぶやきやファンコールを目にする中で、なんだか推し本人たちにまで複雑な感情を抱きそうに。
ヤバい…ヤバい…

ということで、

私、Xをやめました。


フォロワーさんごめんなさい。
コメントではなくメッセージをくださった優しい方もいて。
離れていてもすこしつながりを感じました。
いつか会えて、推し活に同行する可能性もありました。
ライブやイベントも誰かと行った方が楽しいだろうな。
と思ったのも、Xを始めたきっかけでした。

やめてみて、どう?

やめると、以前とは相対的に推しを検索しまくることがなくなりました。
必然的に他のSNSを見る機会も減りました。
たぶん、私が受ける情報は1/3に減ったと思います。
SNSを駆使しないと、推しの最新情報すべては見れないかもしれない。
でも、全部が全部知る必要はない。
敢えて見ない方が良いこともある。
情熱がなくなったのではと言われるとそうかもしれないけど、
知り得た出演情報で見たいものは見るし、やっぱり彼らは好きです。
私に昂ぶりをくれる存在なのは変わらない。いつでも会いたい。

そうして推しに使う時間が減りましたが、その分時間ができました。
今は読書に充てています。

推して推して、引くのも自分次第。

私はSNSに踊らされかけていた。
推しや関連企業が流すSNSも「推すこと」「バズらせること」「認知度を上げること」を加速させる戦略があるのは承知。
でも、その沼にハマるか否か。
私はハマりかけて、自分の中で危機感を感じ足を抜きました。
これが私にとって、しあわせだとは、充ちているとは思えなくなったから。

どこで引くかは自分次第。
結果、引いてすっきりした!

推し活用Xをやめたものの、仕組み自体はビジネス向きだと思うので、ビジネスアカウントの方は残しています。
合わぬ蓋あれば合う蓋あり。
まあだから、推しも関連企業さんもビジネスライクに流しているんだろうなあ〜
と、あわわ、、これまた邪な見方をしてしまうのでした。

_終わり

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