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『相手の立場にたつ』をやめてみた結果

ブエノスアイレスで、アルゼンチン人に囲まれて暮らしていると、「ちょっと考えてくれたらわかるのに…」と思うことが頻繁に起こる。
約束の時間より遅くなっていたら、「相手が心配しているだろうな」とか、何かが仕上がらない時に、「予定通り取りにきたら二度手間になってしまうな」とか、普通思うでしょう?

相手の立場に立って考えることが当たり前の日本人には、びっくりなのだけど、それって教わらないと分からないことだったのだ。日本の道徳教育ってすごいよね。

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ところが一方で、この相手の立場になって想像を膨らませたり、起こりうる場面を複数想定して対処したりする素晴らしい癖は、時々、重荷になったりする。
トラブルを回避して、より順調に物事を運ぶ為だけに、この能力を使えばよいのに、いつの間にか、自分を犠牲にして相手を優先してしまうモードに切り替わってしまうのは、どういう訳だろう。

アルゼンチン人を見習って、相手の気持ちを汲み取り過ぎる癖を、ちょっとやめてみたときに Novioとわたしに起きたことのおはなし。

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彼はわたしと居るのが心地良いと言い、わたしの家でずっと一緒に過すのを好む。
もちろん楽しいあたたかな時間なのだけれども、わたしはひとりの時間もスペースも愛しているので、ひとりになりたいと思うこともよくあるのだ。
でも、ずっと言えないでいた。

それを言ったときの相手の心情を想像するのはいとも簡単で、その後こうなって、ああなって、最後に収集をつけるまでの道のりはかなり面倒だなぁ、というところまで想像できたから。そんな想定、日本人女子なら誰でもできる。
でも言わなかったところで、イライラが溜まって、ギスギスした対応をしがちになり、結局もっと悪い険悪ムードを生んだりするからタチが悪い。

だからもう深読みしないで、最近は希望を伝えるようにしている。

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さすがに「帰って」は言えなかったので、「2人の時間も好きだし、ひとりの時間も大好きなの。」にしてみた。
何度も何度も呪文のようにこのフレーズを使っていたら、うまい具合に機能してきた。「創作活動がしたいから帰るよ。君もひとりの時間を楽しんで。」とご機嫌で帰っていく Novio を見たときは、思わずガッツポーズ。

わたしが、彼の希望を叶えたいと思うのと同様に、彼もわたしにそれを与えることで達成感を得るのだ。
「拒絶感を与えてしまうかも」というわたしの取り越し苦労は、彼のサービス精神を発揮させる機会を奪っていたんだなぁと、ちょっと反省。

相手の立場にたつことを、ちょっとやめてみた時に見えてきた、新しいふたりの関係なのでした。




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