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コロナ禍における早稲田の学生街を生き抜くために

2020年4月の緊急事態宣言以降、コロナウイルスは様々な産業や生活のあり方を変えた。東京都新宿区の早稲田、学生街と呼ばれるエリアもその一つだ。私たち大学生で賑わっていたこの街は、大学のロックダウン・リモート授業への移行によって静かな街となった。

この1年、特に学生は大学という場所に行けなくなったことによって、大学という場はなんだったのかについて考える機会も多かったと思う。この記事では学生街とはなにか、そして学生と街、大学と街の関係は今後どのように変わっていくのかについて、インタビューや調査結果の引用をもとに考えていく。

1. 学生街とは

日本全国から多くの学生が集まる大学周辺では、その大学に通う学生向けの商店が集まり、一つの街をなすことがある。関東では東京の早稲田や明大前周辺、関西では大阪の関大前や(小規模ではあるが)京都の百万遍がそれにあたる。中でも特に早稲田(高田馬場周辺)は、古くから喫茶店や居酒屋、食堂、古書店などが集まり、大学の教員や学生たちが集まる街、学生街を形成してきた。

現在の早稲田の学生街の始まりは1945年の終戦から。戦災に遭った鶴巻町に代わり、学生のための商店として早稲田通りに店を構えだしたことがきっかけだ。このころ早稲田通りに出来た映画館や古書店を中心に、飲食店や居酒屋などが高田馬場駅までの学生の帰路に軒を連ねるようになり、現在の学生街が出来た。やがて1964年の東西線開業を期に、高田馬場駅周辺は大きく繁栄し、現在の早稲田・高田馬場周辺の姿に至る。

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地図上のオレンジの線で示したエリアが早稲田の主な学生街である。高田馬場駅から早稲田大学までの早稲田通りを中心として形成されている。

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本記事では地図上に白抜きで上げた4つの店のインタビューを中心として、学生街の問題を考えたい。
取り上げる店は早稲田に多い業態である喫茶店・居酒屋・食堂・古書店から、それぞれ「早苗」「居酒屋わっしょい」「東京麺珍亭本舗」「古書現世」の4つ。場所は地図で示したとおり、早稲田通りを中心に広範に渡っている。次の章からは、コロナ禍での大学と街、それを通して見えてきた学生街の問題点について考えていく。

2. コロナ禍で起きたこと 

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コロナ禍で学生街に起きたことを話すためには、まず大学の話をしなければならない。早稲田大学が初めて感染拡大防止のための対応方針を示したのは、2月25日、課外活動の中止及び延期の要求と学内施設の停止を伝えるものだった。
翌日から10日間で、2019年度卒業式および2020年度入学式とサークル新歓活動の中止、授業開始の延期が伝えられた(最終的に5月11日まで授業開始日は繰り下がる)。その後、春学期中の課外活動の自粛期間延長が伝えられたのち、4月2日「春学期の授業の進め方について」で春学期のオンライン授業の実施が決定する。

同じくして4月7日に政府から7都道府県を対象とした緊急事態宣言が発令され、同月10日には東京都から営業時間短縮および休業要請が発表された。この大学の(事実上の)ロックアウトと政府・都からの要請により、早稲田の街はがらりと姿を変えることになる。

(古書現世・向井透史さん)
緊急事態宣言下では休業要請に基づき、5月いっぱいまで店を閉めていました。発令される直前に大学がロックアウトした影響で、すでに早稲田には人通りがすっかりなくなっていましたから、店を開いていても意味がないなというのは感じていましたね。

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早稲田大学政経学部の瀬川ゼミが2020年7月に行った調査によると、緊急事態宣言後から6月末にかけて早稲田・高田馬場に1回も言っていない学生は65・6%。約半数以上の学生が、例年であればほぼ毎日通っていたであろう場所に一度も足を踏み入れずに過ごしていたことになる。毎日多くの学生を受け入れることで、営業をしていた早稲田の店はこれによって大きな打撃を受けることになった。

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4つの店にご協力いただいたインタビューでは、コロナ禍での売上や大学・学生との関係について聞いた。
売上に関して、都の要請を受けて休業した早苗・居酒屋わっしょい・古書現世は4月5月の売上がほぼゼロ。営業時間を短縮して営業を続けていた東京麺珍亭本舗も、4月から5月の末までは売上が4分の1から3分の1を推移していたと言う。特に4月の飲食店が厳しかったのは、学生街ならではの要因もあった。

(早苗・宇田川正明さん)
<春から夏までの売上低下について>本来ならば、入学式の日とか、オープンキャンパスの日とか、あとは早稲田祭の日にはびっくりするくらいお客さんが来るんだけど、そういうのもまったくなく……。

(居酒屋わっしょい・今村浩祐さん)
本来、4月は大学の新入生歓迎コンパが行われるので、その会場としてうちの店を使ってくれることが多いんです。そのため、居酒屋わっしょいのような大きな箱を持つ居酒屋は、例年4月が年間で最も売り上げが多い月なのですが、今年はその売り上げが全滅してしまいました。一時は客足が例年の1割以下になりました。

大学の街の一つの特徴として、大学の行事によって客足が大きく増える特異日の存在がある。コンパや飲み会などで団体客を多く受け入れる居酒屋は課外活動自粛などの影響を特に大きく受けていた。しかしそのほかにも大学周辺の店は、コロナ禍以前から様々に大学の方針による影響を受けている。コロナ禍における学生街を調べる中で浮き彫りになったのが、学生街そのものが持つ問題であった。

3. 学生街の持つ問題

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写真は左から早苗、居酒屋わっしょい、東京麺珍亭本舗、古書現世。
学生街の持つ問題は大きく2つに分けられる。一つは街の構造に起因するもの、もう一つは学生という客に起因するものだ。

① 大学の街であること

学生街の店が大学の行事に大きく影響受けることはすでに述べた。実は学生街はコロナ以前の、大学の授業日程によっても影響を受けている。

(早苗・宇田川正明さん)
8月から9月、2月から3月の休業期間は授業がないじゃないですか。1年のうち8ヶ月しか学生さんが店に来ないんですね。

この間に店に来るのは、卒業生や大学と取引をしている外部の人もしくは早稲田にすむ地域の人たちである。以下の引用はコロナ禍での出来事の抜粋だが、古書現世の店主も学生街で営業する上での、地域の大切さを語っていた。

(古書現世・向井透史さん)
私自身、この状況下で店での営業と店舗外の営業を行う中で、自分が思っていたのとは違うお店の形が見えてきました。(中略)6月の営業再開直後は地元の人達が多く来店してくれたりと、学生の街としてだけでなく地域の古書店として、周囲に支えられているんだなということを改めて感じましたね。

客が来ない間は、外部の人間や地域の人に来店してもらうように工夫する必要がある。しかしそう簡単に行かない事情があった。これは学生街であることはもちろんだが、早稲田という土地特有の問題も関わっている。

(早苗・宇田川正明さん)
早稲田の学生街は、ほかの学生街と比べて特殊なんだと思います。大半の学生街は、周遊性がすごく高いんです。例えば、東京大学だと広い敷地の周りに商店街がぐるぐるとあるじゃないですか。神田神保町なんかも周りに複数の大学がある上に、道が碁盤の目状になっている。いっぽうで早稲田はキャンパスの周りをお店が囲んでいるだけなので、動線が少ないんですよ。

(古書現世・向井透史さん)
昔ならばお客さんは一軒に立ち寄ったら他の周りの店舗にも立ち寄って買ってくれるということが多かったのですが、今はネットで事前に店を選んで来ることが多いため、ひとつの街としていろいろなお店を周回することが少ないんですね。

周遊性・周回性のなさは、早稲田が学生街として出来たことに由来する問題である。下に学生街の説明で上げた地図を再掲する。

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見ていただくと分かる通り、この学生街は早稲田大学から高田馬場駅までの学生の帰路を中心に広がってできている。そのため地域の人や学生以外の外部の人が、わざわざ訪れて周辺の店舗を回ったり、何かのついでに立ち寄ったりということが少ない。またわざわざ来る人も、インターネットなどで調べて一つの店のみを目的に来ることが多いという。
現在、学生が少なくなったことによって多くの店舗が苦境に立たされている要因も、この街が学生を中心とした構造になっているという点が大きいと考えられる。

② 学生が客であること

もう一つの問題として、学生をメインとして扱う上で起こってしまうものがある。早苗はもともと麻雀と喫茶店が一体となった店だったが、2019年の2月に喫茶店のみの営業に変わった。麻雀を閉めた理由として早苗のマスター 宇田川さんはこう語る。

(早苗・宇田川正明さん)
母が切り盛りしていたころの「早苗」も、学生の麻雀離れが進んでいて、晩年はお客さんが少なくなっていたんですね。(中略)去年の10月には大隈通り商店街にあった最後の雀荘が店を閉めていたりして、もう早稲田大学の周りには雀荘が一軒もない。(中略)そういう意味でいうと、学生が変わってきたことによってなくなっていくものは、学生街には結構あるでしょうね。

2つ目の問題は、学生が変化すること。そしてその変化は過去だけのものではなく、これからも起こるだろう。居酒屋わっしょいの今村さんは、このコロナ禍によって今後起こる学生の変化を危惧していた。

(居酒屋わっしょい・今村浩祐さん)
大きな心配は、居酒屋で飲むことを知らない学生がでてくるということですね。飲み会のやり方を知らないし、「飲み会って楽しい!」とか、反対に「飲みすぎた…」とかっていう経験がない世代がいるわけです。そうすると(中略)私達にとってはピンチですね。そういったもののやり方や楽しみを分かち合って継承するのも、大学のサークル活動の一つの面だったのだと思います。大学の飲み会文化みたいなものがなくなってしまうのではないかというのは、心配していますね。

これまで時代の流れとともに学生は少しずつ変化していた。しかしコロナ禍でその変化は、大学と学生の関係がオンラインという新しい形に変わったことによって、否応なしにもたらされた。この両者の変化ゆえ今、街は変化を余儀なくされている。

その変化の中で取り入れていた方法の一つが、学生街という場所を離れた営業方法である。この状況下にどの店でもテイクアウトや通販など場所に依存しない営業方法を模索していた。以前からインターネット販売・通販をそれぞれ導入していた2つの店舗はこう話す。

(古書現世・向井透史さん)
こういった状況になってからはインターネットでの売上が二倍ほどになりました。(中略)5・6月あたりは注文がとても多く来ていました。毎日ずっと梱包して送っていた印象があります。
<早稲田古書店街の縮小に関して>高齢化に加え、学生や教員の古書店離れも進みました。そのあたりの危機意識が他のところで稼ぐ手段を見つけなければという意識に繋がり、インターネット販売の促進につながったのだと思います。古書店は学生街の他のお店に比べて、以前から大学への依存度を少しずつ下げていっていたんですね。

(東京麺珍亭本舗・小林さん)
この期間中、店での営業はかなり赤字になっていました。(中略)昔からやっている通販のほうが特に多くの注文をいただきましたね。通販をやっていなかったら、もう麺珍亭はここにないんじゃないかと思います。そのくらい売上の支えになってくれました。

学生街という場所に依存しない方法で、この2つの店舗はコロナ禍を乗り切ろうとしている。学生の街、大学の街としての依存度を下げることで、店としての経営を守ることにつなげたのである。

そうすると学生と街はこれを期に切り離されるべきなのだろうか。学生街というくくりは消えてしまうのだろうか。最後に紹介する居酒屋わっしょいのクラウドファンディングでは、これまでの学生を大切にしてきたからこそ店が守られたのだと話す。

(居酒屋わっしょい・今村浩祐さん)
4月の売り上げが大変厳しく、また5月にも客足が戻らなかったので、クラウドファンディングを活用しました。(中略)私たちはTwitterで「クラウドファンディングはじめました」の告知をしただけなのですが、あっという間に様々な方に知っていただきました。(中略)これだけの勢いで支援をいただけたのは、現役の学生以上に大学OBOGの方々が支援してくれたという点が大きかったですね。(中略)今回、彼らが「あのときのゲロの清掃代をお返しします」というふうに、迷惑代・清掃代としてたくさんの支援をしてくれたんだと思いますよ(笑)。普通の居酒屋じゃなかなかこんなには集まらないですからね。

学生によって街が変化するということは、学生が街を作り上げ、店とともに成長するということでもある。居酒屋わっしょいの場合は、学生と店の密接さゆえ、これだけの支援が形となって集まったのだと言う。

学生と密接な関係であると経営は不安定になるリスクを持ち、外部を取り入れて商売を行うことは不可欠であるが、同時に学生に親しまれることで苦境を乗り越えた店もある。学生が客であるということによって生まれるリスクも良い面も、コロナ禍で浮き彫りになったではないかと思う。

場所と客層の両面から制約を受けた学生街が、コロナ禍を生き抜くのは容易くない。売上はどの店舗も軒並み下がっており、他地域の一般の店よりも受けた影響は特段大きい。
幸いなことに、インタビューを行った4つの店すべてが、様々な営業方法を探りながらも実店舗での営業にこだわりたいと答えてくれた。インタビュー時点では例年より少ないながらも少しずつ客足は戻りつつある所も多い。学生街は少しずつもとに戻ろうと奮闘している。

しかし店だけではこの街は成り立たない。人が必要である。これを知って、問題として思っている人、そしてそれを守ろうとする人が必要だ。
そうすると学生街がこの状況下を生き抜くために必要なことは、私たち自身がこれを問題として受け止め知ろうとすること、そして私たちの問題として気にかけ続けることではないか。
この記事のタイトルは、コロナ禍における学生街を生き抜くために、「"店に”何ができるか」だけではない。むしろこの内容を受けて、「"私たちに”何ができるか」だ。

4. おわりに

(古書現世・向井透史さん)
大学がロックダウンして以降、本当に強く感じることは、早稲田という街は大学がないと何にもつながれないんだなということです。普段であったら休みとはいえ大学生は図書館などの大学の施設に来るため、早稲田周辺には人がいるものだったのですが、ここまでいなくなったのは初めてみました。大学がないとこの学生と街、その中にある古書店とのつながりは簡単になくなってしまうでしょうね。
だから、この街には大学しかないんだなあと思いますね。特異な街です。

大学が一時ロックアウトし、オンラインに移行したことによって学生の生活も、それに関わる多くの人たちの生活も一変した。それによって私達は考えることになった。「私達にとっての大学は、学問だけの場所だったのだろうか」「私達にとっての大学のある場所は、大学という建物があるというだけだったのだろうか」。ここまで早稲田の学生街の話をしてきたが、この「大学(という場)の意味」は、所属大学を問わず多くの人にこの1年間考えられてきたことだろうと思う。

学生の本分は学問だが、同時に大学でそれ以外の様々なものを得た人も多いかと思う。私達がこれまで大学を通して得たものはなんだろうか。もしそれが今後も守られるべきだと思うものなら、今無関心でいることは出来ないのではないか。
大学という場によって私達が得た大切なものが今なくなってしまうのかは、現在大学生である私たち自身にかかっている。

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この記事で引用したインタビューは秋に行い、ウェブマガジンBorderで順次公開したものである。様々な人やお店にご協力いただき、やっとまとめ上げることが出来た。各記事ではそれぞれの店主の思いや今後の展望などを詳細に語っているのでぜひそちらも読んでほしい。
新しい生活にも慣れながら慌ただしく過ごしていたら、気づけば冬になってしまった。この間にも早稲田・高田馬場地域では店を閉めたところがいくつもある。

(居酒屋わっしょい・今村浩祐さん)
「閉めた」というのは、「潰れた」のとは別の意味なんです。(中略)今後も店を続けるためには、耐えるのではなく儲けないといけないんですね。(中略)この周りで現在お店を閉めてしまったところがちらほらありますが、業績が悪化して「潰れた」というよりも、儲からないと判断して店を「閉めた」ところが多いのではないでしょうか。これ以上早稲田・高田馬場で商売をしていても、再び客足が戻るという希望が持てないと判断したところも出てきているようです。

次の春に学生が街に戻ってくるとなれば、多くの飲食店が店を続けるでしょう。ただしもう無理だとなれば、見切りをつけた飲食店から撤退していくでしょうね。潰さないことは簡単ですが、それでもどうしても先に希望が持てないというのが今の現状です。ただこの店は、今の所潰す気はありません。来年には団体のお客さんが戻ると信じて、耐えています。

早稲田大学文学学術院は12月24日、演習ゼミと一部講義科目を除く、2021年度のオンライン講義の継続を発表した。同月22日の総長室からの発表では、2021年度春学期の講義は7割程度を対面にすることを目標としているが、感染拡大の状況を見て判断するとされている(2021年1月7日時点)。

(協力)
早苗様(@wasedasanae)
居酒屋わっしょい様(@wassyoibaba)
東京麺珍亭本舗様(@menchintei)
古書現世様(@wamezo)
ウェブマガジンBorder(@borderweb_tokyo)

(引用元インタビューリンク)

(参考)
早稲田ウィークリー 「早稲田の学生街② 青春の風が吹く街」(https://www.waseda.jp/inst/weekly/column/2012/05/17/27996/
新型コロナウイルス感染症への対応について(https://www.waseda.jp/top/2020covid-19
「学生街」から早大生は本当にいなくなったのか 8サークルアンケート ― 早稲田とコロナ(https://wasegg.com/archives/2870
2021年度文学学術院における授業実施方法について(https://waseda.app.box.com/s/3te4ub0ru85cnf688nnr17ypetl8pw4j)
2020年の終わりに早稲田生に贈る言葉(https://www.waseda.jp/top/news/71348)

おわり


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