映画『怒り』 映画評論
この作品は、千葉、東京、沖縄の三つの場面がそれぞれ独立して描かれる群像劇である。それぞれの地に、一年前に八王子で起きた夫婦惨殺事件の犯人と顔が似ている男[千葉・田代(松山ケンイチ)、東京・直人(綾野剛)、沖縄・田中、犯人・山神(森山未來)]がいる。その人を犯人だと疑うのか、それともこの人は違うと信じるのか。人を信じることの難しさや脆さにスポットライトを当てた作品である。
冒頭の何秒かで、一気に感情が揺さぶられた。夜の住宅街が上から映され、徐々に下に降りていく。そして、その中の一つの家にカメラがズームし始めると、次の場面ではその家の中で惨殺された夫婦の死体が映される。刑事らが捜索していくと血で書かれた「怒」という文字を見つける。
ここまでの約三分間で、「怒り」という感情が自分の中に渦巻いた。まず、普通の住宅街を上から観てそこから殺人現場を観ることで、これは、どこの、誰にでも起こることなのだと思わされる。そして、その後「怒」の血文字を観ると同時に、殺しをした人に対しての「怒り」がこみ上げた。犯人捜しに私自身もいつの間にか参加させられることで作品の世界に入りこまされた。冒頭からタイトル通りの感情を呼び起こされ、とても引き込まれた。
この作品は犯人を捜すミステリーの体をとっているが、それは作品を観ていくための灯台であり、「信じること」が本当のテーマだと感じた。それぞれの場面で、違った形の信じることの難しさが伝わって来た。
まずは千葉の場面。愛子(宮崎あおい)は愛子の父親、洋平(渡辺謙)からみると信頼できない存在だった。愛子は家出をし、しかも歌舞伎町の風俗店で働いていたところを洋平が連れ戻す。それでも、洋平は愛子に対して強く怒ることはしない。そういった場面から彼が、彼女の普段の言動、行動から一種の諦めを感じていたことが読み取れる。
愛子がいない間に洋平の働く漁港に住み着いた田代と愛子は徐々に恋仲になっていくが、洋平は二人を素直に応援することができない。
田代のことを信用しきれていないことがその理由の一つだが、同時に愛子のことも信用していないことも理由の一つだと思った。愛子を信用していれば、愛子の信じた人ならばいいかと黙認するはずだからだ。
洋平は田代の過去を調べ、千葉に来る前に田代が働いていたという軽井沢のペンションに行き、そこでは田代が違う名前を名乗っていたことを知る。愛子にそのことを話すと、逆に愛子から洋平が知らなかった田代の話(両親の借金を背負い、借金取りから逃れるために名前を変え、各地を転々としていた)を聞く。その後、洋平はテレビで田代に酷似している男が指名手配犯になっていることを知り、それを愛子に伝えると、愛子は「愛子だからそんなこと言うんでしょ」と自分のことを信じてくれない洋平に憤りを覚える。
しかし、結果的には愛子が「田代が犯人かもしれない」と警察に通報してしまう。つまり、愛子は田代のことを信用できなかったと同時に、自分のことも信じることができなかったのだ。
自分を信じて欲しいといったが、自分が自分の判断を信じきれなかったという結末に凄く哀しさを感じた。しかし、最後には愛子が東京駅に逃げていた田代を迎えに行き、二人一緒に千葉に戻ってくる。一度壊してしまった信頼関係も戻せるという希望が見えて、少し救われた気持ちになった。
この千葉の場面では、親と子の信頼関係が中心に描かれていた。¹核家族世帯は2001年2689.4万世帯、2016年3023.4万世帯と着実に増えている。娘や息子を赤の他人と生活することを許すということは、その相手はもちろん、自分の子を信頼しなければできないことなんだとこの千葉の場面では強く感じた。
次は東京の場面。ゲイの集まるクラブで、優馬(妻夫木聡)と直人は出会い、その場で性交渉をする。直人は次第に優馬の家に住むようになり、末期がんである優馬の母親とも直人は仲良くなる。一緒の墓に入ろうという話までする仲になった。
優馬が初めて直人を母親に会わせた時、母親が言った「あなたは昔から大切なものが多すぎる」という言葉が心に刺さった。母親は直人が優馬にとって大切な人だと気付いていたのだろう。
優馬は警察から電話で「大西直人さんをご存知ですか?」と聞かれ、怖くなり「知らない」と言ってしまう。しかし、実はその電話は直人が持病の心臓病が原因で公園で倒れてしまい、亡くなったことを知らせる電話だったのだ。
優馬は母親のお葬式に直人を呼ばなかった。友達にどう説明すればいいか分からなかったからで、警察からの電話に出なかったのも今まで自分が抱えてきた大切なものが犯罪者と関わっていたということで失ってしまうのが怖かったのだろう。最後に、直人の幼馴染から直人が「大切なものは減っていくものだ」と言っていたと聞き、直人にとって唯一大切なものは優馬だったことを伝えられたシーンは優馬の気持ちに共感し、感涙してしまった。
東京の場面では、自分の大切なものを支えてもらっていたのにも関わらず、その人の大切なものは何も見えてなかったといなくなって初めて気付くという切なさが残る結末だった。
沖縄の場面では、社会問題に深く踏み込んだ内容で胸が詰まったし、怒りも覚えた。特に泉(広瀬すず)がアメリカ兵にレイプされたシーンは辛く、複雑な気持ちになった。泉がレイプされているのを何人もの人が無視した。窓から見ていた親子はカーテンを閉めて自分たちには関係ないと別の世界のことのように泉を見ていた。私たちに向けて、映画が「お前も無視している内の一人だ」と語りかけているようだった。カーテンを開ければ、すぐに見える場所で問題が起こっているのにも関わらず、私たちは普段見えないふりをして生きていることに気付かされた。泉は泣きながら辰哉に「誰にも言わないで」と言う。こうして被害者は追いやられ、叫びも届かないという構図ができてしまっていることを知った。
辰哉が「あんなことして本当に変えられるのか」と、辺野古基地建設反対運動に参加する父に対して言い放つ。泉はそんな辰哉に「辰哉君言ったよね。あんなことして何が変わるのかって。いくら泣いたって、怒ったって誰も分かってくれないんでしょ、訴えたってどうにもならないんでしょ。」と怒りをぶつける。
沖縄の場面では、「何にも変えられないかもしれないが、それを無視して何もしないことは違う」という強いメッセージが伝わって来た。
²現在、米軍基地の約70%が沖縄にある。短絡的に沖縄から米軍基地を排除しろと言うことはできないが、騒音問題や自然汚染、米軍の兵隊が起こす犯罪などの問題から目を逸らしてはいけないと思った。
犯人は結局田中だったが、犯人が分かる伏線として、泉が一週間ぶりに田中に会いにいった時、田中が逆立ちをしていて、怒り=頭に血が上るという行為をしていたことや、泉から「田中さん」と呼ばれた時に振り向かなかったこと、三人の容疑者のなかで怒りを表していたのは田中だけだったことなどが挙げられる。
もちろん他の二人にも怪しい部分が用意されていたが、「怒り」というキーワードに当てはまるのは田中しかいなかった。感情でその人が分かる、つまり心は隠せないということを監督は伝えたかったのではと思った。
³2010年公開、同監督・同原作作品『悪人』でも、悪人の定義、人の怒り、信頼関係などの「人」を深く掘り下げて描いていて、大きく心が揺さぶられた。李相日、吉田修一のコンビの作品は「人」を考えさせられる作品が多く、この『怒り』もまさしくそういった作品だった。
『怒り』は難しい人の感情を扱う分、俳優さんたちの演技が重要になるが、一人あますことなく素晴らしい演技だったと感じた。特にラストシーンで泉役の広瀬すずが海に向かって叫ぶシーンは感動し、心が凄く響いた。
SNSの発達などで、人同士簡単に繋がれるようになったが、信頼することは昔に比べ、より難しくなったように感じる。この映画を観終わった後、「あなたは隣にいる人を本当に信用できているか」、また「その人を本当に信じていいのか」と直接問われた気持ちに陥り、頭を抱えてしまった。
愛する人を信頼することより自分の身の安全を優先してしまったことに対する怒り、信じていた人に裏切られたことへの怒り、怒りを無視する社会に対する怒り、様々な種類の怒りがこの映画には込められていた。それぞれの怒りに共感し、私自身も怒りの感情で溢れた。感情が動くことを感動とするならば、今まで観た映画の中で最も感動した映画だった。
参考文献
1増える核家族と独り身世帯…種類別世帯数の推移をグラフ化してみる(最新) 2017/07/05 05:09 www.garbagenews.net › 国民生活基礎調査
2沖縄の米軍基地/沖縄県
www.pref.okinawa.jp › 沖縄こどもランド › 沖縄のすがた
3『悪人』監督李相日、原作吉田修一