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介護回顧録(4)ルーティーンにしてしまう

ちょっちだけ日記 Vol.44

両親の介護は認知症の症状が出始めた父からでした。
8年ぐらい前だろうか。
季節も覚えていないです。
実家には縁切られ状態だった私に担当のケアマネさんが訪ねてきて
父の身の回りのことをやって欲しい
と言われたのがきっかけ。
初めは半日程度の実家通いや通院同伴だったがそのうち夜中に呼び出されたりで泊まり込みの日々に。
今とは逆で自分の家に帰るのは午後の数時間。それもほぼ仮眠。
自分ちの電気代が1か月500円って信じられないでしょうね。(笑)

放蕩息子だった私。
はじめはなんか「家族のために何かできる」「自分にしか出来ないことがある」という喜びも感じていました。

誰かのために何かをするのは素敵なこと

という風潮もありますよね。

※決してそれを批判してるんじゃないです。
ただ介護の現実として

そんなんじゃ続かない

と言いたいだけです。

私もそのうちに「自分がやらなきゃ」という自己満足という名の義務感に囚われるようになってました。
その頃ケアマネさんが新しい方に交代。
最初の一言が
「頑張り過ぎてませんか?」
だった。
正直「カッコつけてる自分」にぐさりと来ました。
「ああ、流れでいいんだ」とふと思っちゃいました。
前にパニックの回で書いた「ついでにやれること」みたいなことを考えるようになったのもその頃からかもしれません。

語弊があるかも知れませんが「何も考えない私」が芽生えてました。
それでもやらないといけないことがたくさんあるのは同じです。
いつの間にかルーティーンに組み込んじゃってました。
「仕方がないからやる」のではなく流れで「体が動く」ようにする。
そうなってたんでしょうね。

簡単にに書いちゃいましたね。

でもそれも悪くないですよ。
自分の存在意義とかどっかへ吹っ飛んじゃえって感じです。
そんなこと気にしてたらいつまで続くか判らない毎日がやってられない。

ルーティーンにしちゃう効果もあります。

少なくとも日々の定番作業は頭から消せる。
その分他の大事なことや先のことを考えていられる。

自分の時間を組み込んじゃうことで被介護の本人や
普段何もやってくれてない他の家族に
「この時間は私は居ない」と認識してもらえる。

天気の悪い時や気分の乗らない時でもなんとかなる。
悪く言えば「仕方がない」と割り切れることですかね?
それも必要なことだと思います。

ただイレギュラーな事態が舞い込むとその後のルーティーンが
ぶっ飛んじゃったりもします。
でも一日ぐらいし忘れても平気なことはたくさんあるので
「失敗した」とか思わないようにしてます。
(今でもそうです。)

何も考えない自分が居てもいい。
別人格を創る逃避行動のようだけど
現実から逃げないための一つの策。

いつもうまく書けなくてごめんなさい。


ではまた。
皆さんにいいことがありますように。



いよいよ1/27(金)から始まります。

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