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絶世の美女・万葉歌人『額田王』は、ペルシャ系美人

 万葉歌人額田王は絶世の美女であったと伝えられる。額田王に纏わる話は、錯綜して決め手になるものは未だ無い。諸説あっても決め手が無い多くの場合はどれも正解でない場合がほとんどである。
 額田王が絶世の美人であったというのは小説などでは通説となっている。しかし額田王に関する記述がごく限られている以上、その容貌について物語る史料があるわけでもない。
 むしろ額田王に関する記述史料が無いのは、彼女を記述するための明確な情報が無かったものでは無いだろうか。それでも1300年以上を経て、なお『絶世の美女』として語られる。ここに謎を解く鍵がある。
 額田王に関するデータで不詳なものは、
  ①生年が不明
  ②出生が不明
  ③遺されているのは、『万葉集』に収められた歌のみである。
 額田王を理解する上では、当時の世界情勢とヨーロッパ~朝鮮半島を俯瞰する国々と民族の移動に視野を広げて見なければならない。
 本稿では、順次紀元後の世界の歴史、国々の興亡を眺めながらヨーロッパ、西アジア、中国、朝鮮半島そして日本に至る文化や民族・人の移動から眺めて行く。
 以下に章立てを示します。
 1.ローマ帝国(大秦)
 2.前秦の拡大(ペルシャから朝鮮半島まで)
 3.美女の国『新羅』と諸国の求婚
 4.『新羅美女』と日本
 5.新羅の美女軍団の団長『源花』(576年頃)
 6.天武天皇と新羅
 7.鏡王女と額田王
   8.古代朝廷とユダヤ教
 9.ローマから日本にもたらされたもの

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