邪馬台国と卑弥呼…魏志倭人伝は実に正確だった 5.卑弥呼・淡路島に皆既日食が五分…暗闇の『天の岩戸』事件
ここまで4回にわたり『魏志倭人伝』の記事が正確であったことを実証して来ました。以下に要約する。
(1)『邪馬台国』は、『耶馬(やば)台国』であり、「やまたいこく」と
は読まない。
(2)『耶馬台国』(耶馬渓に近い)『宇佐港』から『水行十日陸行一月』
の意味する『淡路島』が距離でも正確に著されている。
(3)『謎の太陽ライン』北緯34度32分線は、淡路島を起点に東に向いて描
かれた
(4)『日本書紀』と『魏志倭人伝』に共通する記載【侏儒国】から逆算し
て淡路島が『卑弥呼の都する所』と一致(畿内・大和説が消えた)
これでも十分に淡路島説の信憑性が示されたと思うが、【卑弥呼と天照大神】の関係もよく取り上げられるので、これについても一つの可能性について説明しておく。
事の起こりは、初春の頃、西暦247年の事である。西暦247年は卑弥呼の死ぬ1年前(没年は中国の史書によれば248年である)の事件。
天の岩戸事件はつとに有名な話題である。天照大神が岩戸の向こうに隠れて漆黒の暗闇が訪れて岩戸から天照大神が顔を覗かせた時に太陽が再び射し始めたという話である。
今日、これを皆既日食(太陽からの光が完全に遮断されるので真暗闇になる)では無いかと検討もされて来た。
しかし、この皆既日食と卑弥呼・淡路島を結びつけた結果はこれまで論じられていない。
それでは、卑弥呼存命中の皆既日食についてNASA(米国航空宇宙局)の日食解析データを参照してみよう。
下図は、NASA(米国航空宇宙局)皆既日食Web Siteからの結果を示している。最下段の赤帯内に
★TOTAL SOLAR ECLIPSE(皆既日食)西暦247年3月24日
と記載されており、この日に皆既日食があったことが示されている。
では、この皆既日食はどれくらいの時間発生していたのだろうか?
同じくNASAのデータを参照する。解析結果の関連する部分を取り出すと
最下段のデータが西暦247年のMar 24(3月24日)に相当し、右端に最大4分50秒間(Central Dur.)であり、これは皆既日食がある幅で発生するが、その帯の中央部分に相当するのである。
これによって、発生帯の中央分付近であれば、5分近く暗闇が訪れたことになる。5分近く真っ暗というのは、人々に恐怖を与えたに違いない。
さて、この西暦247年3月24日の皆既日食は日本ではどうであっただろう。
下図は、国立天文台の解析データを示したものである。
右端の方になるが、二本の実線カーブに挟まれた部分が皆既日食が起きた地域である。
実は、淡路島は日本の実践カーブのほぼ中央に当たっている(赤丸印)ことが確認できる。淡路島では、4分50秒ほどの暗闇が突然に襲ったのである。
西暦247年は卑弥呼の死亡一年前にあたり、存命中なのである。
★事実は小説より奇なり
神話のように語られる『天の岩戸』事件が、俄然真実味を帯びてきました。
★★次稿は、この特別な日、3月24日から何が分かるのか。★★
を推測を交えてお話しします。