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マラソンとTwitter。

おはようございます。今朝も勢いで書きます!

3月のフルマラソンに向けてハーフを走った。海岸沿いのコースで風が強かったが気持ちよく走れてタイムもまずまずだった。

さて、私はこれまでにフルマラソンに3度挑戦しているが、そのうち2度は完走し、1度はリタイヤした。リタイヤしたときは苦しいのと足が痛くてどうしようもなく走れなくなってしまった。

ただ、完走できたときも気持ちよく走れたなんてことはなく。ツラくて苦しかった。ゴール手前は泣きながら走ったこともある。できることなら辞めたかった。

でも、ゴールを目指して痛い足を引きずりながら走り、なんとかゴールした。

それから、私は3ケ月ほど前からTwitterを始めている。目標は1万フォロワー。しかし、これがなかなか思うように伸びない。基本的には毎日つぶやくのだが、一日でもやめてしまうとおそらくフォロワーは減る。

ある人から「Twitterを辞めようと思ったことはありますか?」と聞かれたことがある。そのときに思ったのは「正直、ずーっといつでも辞めようかなと思っている。」ということ。

この感覚はなんとなくマラソンと似ている。

マラソンは《走るのをやめたい》と《ゴールしたい》の感情に挟まれながら、重い足を一歩づつ踏み出していく。それをするしかない。

そしてTwitterも《もうやめようか》と《目標を達成したい》に挟まれながら最大で140文字の1ツイートをつぶやく。たったの140文字でも続けるのは簡単ではない。それもただつぶやけばいいというものではなく、ゴールに向けて前進するつぶやきでなければいけない。読んでくれた人に共感をしてもらえないと伸びない。

たったの一歩と140文字の1ツイート。

どちらもちょっとしたことなのだがゴールに向けた一歩や前進となると苦しいものになる。

途中で楽しく感じるときもある。マラソンだと沿道で応援してくれる人々の声がどれほど嬉しく力になることか。Twitterもできた仲間からの励ましがどれほど力になることか。またツイートが思う以上の反響を得られることもある。

考えれば考えるほど《マラソン》と《Twitter》は似ていると思えてきた。

マラソンは2度ゴールしたことがある。そのときはやっとゴールできたことの嬉しさやもう走らなくてよいと思い安堵する。そして、もう二度とこんなツラい思いはしたくないと考え、フルの出場はやめようと心に誓う。

それは一回目を走ったときにも思ったのだが、その後2度出場し、今度の3月にまた走ろうとしている。

Twitterはまだ目標を達成できていないが、途中の小さな目標も設定しているので、その達成感は感じられている。まだまだゴールは見えない。ゴールしたときに何が見え、何を思うのか?

そこに辿り着くまでの経験や辿り着いた時に見える世界は新しいものがありそうで楽しみ。ただ目標を達成したときは特に何も感じることなく、その後も同じようにツイートを続けているのではないかと思う。

マラソンを走り切った経験がTwitterを続ける力にもなっている気がしている。

ちなみに私のTwitterはこちらです。

では今日もステキな一日に!

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