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翳に沈く森の果て #3 幼

 考えてみると、璃乃は小さい頃は活発で、男の子と公園で遊ぶような女の子だったが、小学生の頃に何も自覚症状がないのに内臓の不調で入院し、体育の授業や風邪を引くことなどを禁止され、夏休み丸々入院しなければならなかった年があった。その期間の記憶はほとんどなかった。 一つだけ、夏休みの宿題の工作でログハウス風の貯金箱を病室で作ったのを覚えている。父がカッターナイフでカットできる薄い木材を用意してくれたのだ。ものづくりが好きだった璃乃は創作って楽しいと感じていたのを思い出した。 
「そういう感情は長い時間が経っても消えてしまわないものなんだな。」
  
 ただ母にはいつも余計な心配をかけていて申し訳ない。他の子とは何か違って迷惑をかけている子供なのだろうか?という推し量りをしていたことを憶えている。そして育ち盛りの元気だった子供が何だか身体的にも精神的にも急にブレーキをかけられて躓いて何か失速していくような気がしていた。置いていかれるような感じ。みんなと同じことをしてはいけない不安、孤独感。小学生低学年までは運動神経が良かった記憶がある璃乃だったが、それ以降は下降していって活発さと共に何かが自分の中からスーっと消えていくような感覚が、遠い記憶ながら確かにあった。


 そんな健康に自信を持てなくなった小学生の璃乃にとって、一番好きだったことはピアノを習わせてもらっていたことだ。そろばんや習字も習っていたけれど、圧倒的に音楽が楽しかった。クラスのカリキュラムは簡単に感じて、先生も璃乃を早いテンポで上のクラスに移らせくれていた。きっと音楽が好きだった父の影響なのだろう。幼少期にヘッドフォンをつけてレコードを聴いていた記憶がある。随分と大人になってから「ピアノを習いたいと言わせるためにお父さんが璃乃を楽器店へ連れて行ったのよ」と母に聞かされたのだった。

「そうだったのか・・」

 都会の地下街のある楽器店の店頭で、ピアノの前に座ったお姉さんが
綺麗な曲を弾いていた光景をよく覚えている。
「あんなふうに弾きたい。」というキラキラした感情が不思議と今でもそのまま蘇らせることができた。


 少し暑い日が増えてきて、まもなく梅雨入りという晴れた日の朝、ここのところずっと観察してきた駅までの道の途中にある信号の手前に毎年咲く青紫色の紫陽花が満開になっているのを眺めながら青信号を何度かやり過ごして、璃乃は写真を撮りながら「父のお陰で今音楽を深く感じられているんだろうな」と胸の底の方が少し湿ったような微妙な暖かさを感じた。

父のお陰。(もちろん母のお陰でもある) 

 「しばらくピアノ、弾いてないな」


 家にピアノを置いているものの、気が向いたときに弾いていたピアノだけれど気が向くほど時間にも気持ちにも余裕がないことがまた切ないな、と感じる日々がかれこれ数年続いていた。


「何にも考えずに、好きなように好きな時間だけ弾けたら。また歌も作りたいな。」


 小学校一年生の時に始めたピアノ、中学生の時には歌詞のない曲を作ったりしていた璃乃はその後歌詞も書いたりするようになり自由に音楽を楽しんでいた頃のことを思い出していた。

「あの。わたし、藍と言います。集真 藍。」
 砂を踏む音をする方をみると同じくらいの歳の女の人が近寄ってきて璃乃に声をかけた。優しげな表情だった。


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