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梅津庸⼀・神崎倍充 ⼆⼈展「ひげさん」 レポート

2024年1月31日(水)まで、美術家である梅津庸一と伝統工芸士の神崎倍充の二人展が艸居、艸居アネックスで開催されている。本レポートでは梅津のテキストを引用しつつ展示を紹介したい。


古美術商が立ち並ぶ一角にある艸居。
ウィンドウには神崎の工芸製品(作品?)が美術然として置かれていた。壁には梅津の陶板作品が。


本展について
本展は信楽で丸倍製陶を営む神崎倍充と美術家である梅津庸⼀による2 ⼈展です。通常の2 ⼈展とはやや趣向が異なります。というのも神崎は⼯⼈(職⼈)として、梅津は作家(美術家)として活動しています。したがって神崎は⾃分が作るものを「製品」、梅津は「作品」と認識しています。では「製品」と「作品」の違いとはなんでしょうか。ここには「⼈がものをつくるとはなにか」という本質的な問いが横たわっているように思います。

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テキスト:梅津庸一


会場に入ると正面に梅津と神崎が対談をする解説動画が流れていた。
右には梅津の巨大なドローイングと焼き物。


ひとえに「焼き物」と⾔っても⽇常で使うもの、建材、伝統⼯芸、オブジェと⽤途や受容のされ⽅はさまざまです。また「製品」と⽐べて「作品」は⼀点ものであること、そして独⾃性が強調されがちです。けれども「製品」が必ずしも均質的で代替可能なものとは限りません。神崎と梅津が拠点とする信楽の現在の状況を辿りながら考えてみたいと思います。
周知の通り信楽は⽇本有数のやきものの産地であり六古窯のひとつに数えられます。古琵琶湖層から良質な粘⼟がとれ、さらに陶⼯たちの⾼い技術⼒も相まって「⼤物」を得意としてきました。
⼟味を⽣かした素朴な味わいも特徴のひとつです。また信楽は時代のニーズに合わせ壺、たぬきの置物、傘⽴て、蘭鉢、花器、洗⾯鉢、浴槽など様々な物を⽣産してきました。昭和初期には、⽕鉢の国内⽣産シェアの80%を占めていました。信楽は他の産地と違い現在でも機械による⼤量⽣産ではなく職⼈の⼿によって⼀点⼀点作られています。つまり地元の粘⼟を使い職⼈たちの⼿で作られるという点が信楽焼のブランドを担保してきたと⾔えます。それは「製品」でありながら個体差があり「作品」的な特徴も兼ね備えていることを意味します。

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テキスト:梅津庸一



梅津の焼き物と、神崎の信楽らしい焼き物が什器の上に等しく並んでいる


しかし現在、質の良い粘⼟は枯渇しつつあり信楽の粘⼟を使っての⽣産は難しくなっています。
また、その⼟地の粘⼟で職⼈の⼿によって作られる「⼈と⼟と炎の出会い」といった物語性を帯びた「信楽焼」は過去のものになろうとしています。それでも職⼈のノウハウ、⼤きな窯、粘⼟や釉薬の膨⼤なデータベースなどは健在であり、それを求めて多くの「作り⼿」が国内外から信楽を訪れています。最近では特に現代アートの作家が⽬⽴つようになりました。かつて量産品を作っていた信楽の窯業のインフラの⼀部は現代アート作品を⽣産するための下部構造となっているのです。という僕も丸倍製陶の⼀⾓を間借りさせてもらっています。

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テキスト:梅津庸一



オブジェに見える中央の作品は鉢を置くための台のようだ。



ところで本展のタイトルになっている「ひげさん」とは髭をたくわえた作家先⽣の呼称です。「ひげさん」はどちらかと⾔えば「作家」をやや否定的に捉えた蔑称でした。かつて信楽ではいわゆる個⼈で好きなものを作る陶芸家=作家よりも⼤きなのぼり窯や製陶所を有する職⼈の⽅が、強かったのです。それは現在の信楽の街並みを⾒ても⼀⽬瞭然でしょう。
このように「焼き物」をめぐる現在の状況はたいへん⼊り組んでいます。かつて絵画や彫刻などは「純粋美術」と呼ばれ、焼き物などの⼯芸は「応⽤美術」と分類されてきました。しかし近年では「伝統⼯芸」「クラフト」「現代アート」などの境界や定義は曖昧になりつつあり「焼き物」がどこに分類されるかは「作品/製品」⾃体の形式よりもそれが発表される場所や属するコミュニティーに規定されるようになりました。繰り返しになりますが本展は神崎と梅津による2 ⼈展ですがそれぞれの作った成果物を紹介するのみならず、美術/アートと産業をセットで捉え直すことで「ものをつくるとはなにか」「⽂化の担い⼿は誰か」という命題に少しでも近づきたいと考えています。

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テキスト:梅津庸一




本展で問われているのは焼き物の問題だけでは無い。
焼き物とともに梅津のドローイングも点在している。100年前のジャワの布が貼られたパネルの上に配されていたり、それどころか軸装までされているものまであった。


梅津庸一 《テリトリー》 2023

ドローイングが貼られているのは100年前のジャワの布。「「伝統⼯芸」「クラフト」「現代アート」などの境界や定義は曖昧になり」と梅津は言うが、インテリアショップにあるちょっとおしゃれな壁掛けのようにも見えて危うい。美術作品として成立するとは何か問うているのだろうか。



梅津庸一 《目玉たち》 2023

軸装されたドローイング。偶然手に入れた軸は交流のある表具師のもので、神崎の製品とは違いこちらは梅津作品の一つを構成するものとして組み込まれている。


待合のような空間の畳の上に焼き物がおかれモダンデザインの軸がかけられると、艸居で見てきた展示が偏っていたせいで忘れていたが、ここが京都の町家を改装した和風な空間をもつことを思い出し、設えの提案に見えた。
しかし異様に描き込まれたドローイングと、なんの用途も無いが造形と強い色彩を追求する焼き物を見ると、作品がインテリアとならず美術として屹立するため戦っているかのようだった。



そして奥の空間へ進むと、六曲一双の屏風と、二曲一隻の屏風が空間を占拠していた。前者は部屋を丸ごと覆ってしまうほど大きいが、蛇腹の構造で床に自立しているせいか意外と窮屈さを感じない。しかしドローイングとしても作品としても梅津作品の中では最大級の大きさだろう。

古裂や軸装そして屏風作品は、焼き物の問題と別角度の問いがあるのかもしれない。



梅津庸一 《泡と花粉》 2023

水玉模様が際立つ屏風。
近くでみると、屏風の金地、絵の具の特性や色、それぞれをよく理解した上で複雑に組み合わせ表現していることが分かる。筆者が訪れた時にはすでに売約済みであった。




ところで筆者は梅津から本展の制作模様を見てはどうかと誘われ、展示前に京都へ見学へ行っていた。


制作がいかに大変か語る梅津。
艸居のスペースを借りて制作していたが、鈍い光を放つ金色の巨大な屏風を前に困惑し、タイトなスケジュールの中なんとか制作に取り掛かり、絵の具を流すため一人屏風を立てた作業はひたすら大変で孤独だったという。


筆者に説明をしつつも制作を進めていた。



ほぼ完成した屏風。
「泡と花粉」にはこの後さらに手を入れていた。


展示と作品解説のトークを始める梅津。
動画撮影しているのでどこかで公開されるかもしれない。





翌々日、再び制作現場を訪ねた。



屏風とは別に巨大なドローイング《地方色》の制作に取り掛かっていた。





ドローイングを大変なスピードで仕上げ、1時間も経つと作品の表情が大きく変わっていた。なお、これらは動画記録があるのでもしかしたら公開されるかもしれない。



なぜか最後にパープルームTV用の対談を収録。




梅津庸⼀・神崎倍充 ⼆⼈展「ひげさん」
会期:2023年12⽉14⽇(⽊) ‒ 2024年1⽉31⽇(⽔)
会場:⾋居、⾋居アネックス
開廊時間:【⾋居】10am‒6PM 定休⽇:⽇・⽉、【⾋居アネックス】1pm‒6 :30PM 定休⽇:⽇・⽉

作品一つ一つの画像とインスタレーションビューは艸居のWEBで確認できます。
http://gallery-sokyo.jp/


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