レトロスペクティブ ― パープルーム大学Ⅱ 熊本市現代美術館 ―
2014年、もう9年前だが、梅津庸一が主宰するパープルーム予備校(注1)は初の入学生を向かえると、その秋すぐに名古屋の山下ビル、そして年末には熊本の熊本市現代美術館と立て続けに展示を行っていた。
「パープルーム大学」と名付けられ、名前を多少変えつつ継続的に行われたパープルーム予備校による展示は、当初、梅津庸一のアトリエであり生活の場であったアパートの2階全室をパープルーム予備校と名付け、梅津が声を掛けそこへ出入りしながら制作していた作家と、入学したばかりの予備校生達、そして招待作家との展示であった。予備校という美大受験の場を「偽装」していたため、第1回目のパープルーム大学では展示内の4日は大学の4年間にあたると断言し、作家達と制作を共ににして展示へ参加する実技、トークイベントという講義を行い、多くの人々と交流するそこはパープルーム予備校生たちにとって実地としての勉強の場になっており、深夜に行われた講義には筆者も参加した記憶がある。
注1 今はパープルーム予備校という名称から予備校を外し「パープルーム」へ変わっている
筆者が梅津庸一とパープルーム予備校に関心を持ったのはとあるきっかけがあった。
アラタニウラノで梅津の個展「智・感・情・A」を訪れた時、当時筆者は十数年ぶりに美術へ戻ってきたため、ゼロ年代の美術を見ておらず美術における関係性もすっかりリセットされ出遅れた状態であった。今イケてるギャラリーというだけで躊躇するうえ、梅津は早くにデビューし活躍しているうえ作品価格もそれなりに高く、もう私程度が関係をもてるような場所でも作家でもないな、と感じていた。帰り際に芳名帳へ名前を書くと突然スタッフから「あなたが「みそにこみおでん」さんですか、先日のトークイベントで会ってみたい人として梅津さんが名前を挙げていましたよ」と言われてしまい、なんで俺のこと知ってるんだ…怖すぎるぞ…!と驚いたのを憶えている。それが興味をもつきっかけだったのだが、今思えば、梅津はSNSを徹底的にリサーチし美術家からそうでない人までリーチし展示を座組するほどツイ廃なので私の存在を把握したのではないか。ちょうど私が実況tweetを開始し美術へのつぶやきが多くなっていた頃だった。要するに垂らされた釣り針に引っかかったということだろう。
と、そんなことはともかく、出現したばかりの若いコレクティブでありマイナーな存在であったパープルーム予備校を知ることになり、初回のパープルーム大学が立ち上がる最中(搬入中)にフライングで行ってしまうなど、連日通い展示を見つつ彼らと交流した。その後に行われたパープルーム大学と名付けられた展示はほとんど見ているのではないだろうか。
前置きが長すぎたが、先日、とある撮影仕事で訪れた熊本市現代美術館は山下ビルに続く2回目の展示「パープルーム大学II (展)」が行われた場所であり、当時担当された学芸員である坂本顕子さんにアポイントを取り話を聞かせてもらった(直前の連絡だったにもかかわらず対応してもらいありがとうございます)。
展示概要は次のとおり
坂本学芸員から丁寧にまとめた当時の資料をみせていただいた。配付資料や、展示情報が掲載されたタウン誌が保管され、また展示中行われたイベントのアンケートも集計されており反応を見せてもらった。
私がもっとも関心したのは、展示のインスタレーションビューや初日のパフォーマンスについて写真撮影されていたことだった。
パープルームはSNSの中でもTwitterでの発信に力を入れており、緊張感あるつぶやきから、展示の告知、展示風景や作品画像など頻繁にツイートしているのだが、当時の梅津はガラケーしか持っていないためかあまり良い写真をアップしておらず、写真家を招いてインスタレーションビューをしっかり記録撮影するのはもっと後のことだったので、まさかこの展示が撮影されているとは思わず驚いた。さすがアーカイブのプロ。当時の貴重な画像が発掘されたのでぜひご覧になってもらいたい。
注2 twitterは現在、Xと名称が変わり、tweetもPostとされている。
パープルーム大学Ⅱ展(2014)
パープルーム大学Ⅱ展(2014)
熊本市現代美術館はゆかりの作家の展示や収集に力を入れていて、訪問した時は所蔵作品の坂本夏子《犬と坂道のためのドローイング》が出展されていた。坂本はパープルーム予備校に集う作家の一人でパープルーム大学Ⅱにも出展している。
画像にはその坂本夏子が梅津庸一と共作した作品も写っていた。その後、《開戦》と名付けられる作品は、翌年の「パープルーム大学物語」(2015)、「X会とパープルーム」(2016)、そして恋せよ乙女!パープルーム大学と梅津庸一の構想画(2017)と、立て続けに出展された。
今回パープルーム大学Ⅱの画像が発見できたことで、その後、随分加筆がされたことがわかったのも面白い。
一人で制作に打ち込む方針から大きく転換し、パープルーム予備校という作家同士で共作をする場を作っていく梅津にとって坂本はその最初の相手であり、2人で一つの絵を描くこともあった。《絵作り》が坂本と梅津の共同制作の入口である作品であるならば、《開戦》はそれが最高潮に達した作品だろう。
参考
https://note.com/maricomxxx/n/n2e943a23494f
パープルーム大学物語(2015)
この段階で《開戦》は完成状態だった。
X会とパープルーム(2016)
展示空間の奥には坂本夏子《犬と坂道》も。
恋せよ乙女!パープルーム大学と梅津庸一の構想画(2017)
中央が《開戦》。
下段左側は坂本夏子《犬と坂道》、熊本市現代美術館には同名の名前がついたドローイングとアニメーションが収蔵されている。
当時展示会場で配布されていたリーフレットとパープルームペーパーも見せてもらった。
リーフレットは福士千裕によるデザインで、KOURYOUや鋤柄ふくみの作品、梅津が描いたパープルームのマークが素材として配置され、独特なレタリングでパープルームと書かれていた。また梅津による長文のステイトメントはあるものの、目録というわけでも作品解説でもないものだった。
リーフレットは熊本市現代美術館のWEBで確認ができる。
https://www.camk.jp/old/event/g3/100/100_1.pdf
https://www.camk.jp/old/event/g3/100/100_2.pdf
またゲストを招いてニュースやコラムを一枚の紙へ印刷し配布するというパープルームペーパーが当時リリースされていた数号分会場に置かれていた。敢えて紙メディアを使うこれらは当時のパープルームを知るためには非常に重要な資料だろう。パープルームペーバーはいつの間にかリリースされなくなるのだが、日々の記録は安藤裕美による「パープルームのまんが」や美術手帖連載の「前衛の灯火」に引き継がれているようだ。
参加作家を見ると、ホーリーメン、マツモトマサヒデなどとあり、坂本夏子のほかに地元作家たちも参加していたようだ。当時、私は梅津らとそれほど交流はなく、立ち上がった展示しか見ておらず成立プロセスを知ることはできなかったのだが、多くの作家が集い制作する画家の楽園のようなパープルーム予備校、そして表現主義のような展示会場は一見すると楽しそうに見えるものの、それらは梅津によって徹底的に考え抜かれ作られたもので、絵の配置のみならず、紐の垂れ下がり具合まで計算されており、また梅津はさまざまな人間関係をホスピタリティでカバーしつつも、展示作家に熱量や展示強度と見合う作品クオリティを求めているので、展示会場のみならず、作家同士でも実は緊張感が満ちていたはずだ。
東京からあえて熊本という地方にまで出張して行われた展示も同様だったのではないだろうか。
さて、本稿は発掘できた画像紹介がメインなので、本文はさておき画像をぜひお楽しみください。
山下ビルでの第1回目のパープルーム大学も発掘できるとよいのだけれども。
参考
坂本夏子《犬と坂道のためのドローイング》(2014)が出展されていた展示は次のとおり。寄贈は甲斐寿紀雄からのもの。
CAMKコレクション展 Vol.7 未来のための記憶庫
2023.4.29(土・祝)〜 2023.6.25(日)(終了)
https://www.camk.jp/exhibition/camk-collection07/
甲斐寿紀雄コレクションについてhttps://artscape.jp/report/curator/10158888_1634.html
みそにこみおでん
コレクター。レビューとレポート主宰。
美術作品を中心にしつつアーカイブも対象に収集。美術へ言説からの価値付けをするためレビューとレポートを運営している。
レビューとレポート