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安藤裕美 個展「光のサイコロジー」on Sundays

安藤裕美という作家の経歴は、彼女が所属する私塾「パープルーム予備校(*1)」の活動歴とあまりにも分かち難い。
そのことをはっきりと物語るのが、現在ワタリウム美術館内on Sundays(*2)で開催中の個展「光のサイコロジー」である。
展示されている油彩画12点・水彩画10点・アニメーション映像1点、そしてアニメーション映像の原画72点(全体の一部)は、いずれも安藤の作品であると同時に、パープルームの軌跡を記録したドキュメントでもあるのだ。

(展覧会予告動画より)

「光が相模原の街を、そしてわたしたちの失われし青春を突き抜けていく」
個展の予告動画や展覧会場には、展覧会タイトルとあわせて、上記のキャッチコピーのような文言が付されている。

神奈川県の相模原は、パープルームの本拠地である。
2013年、美術教育を独自にやり直すためにパープルーム予備校を構想していた作家・梅津庸一は、某美術予備校で講師を務めながら、その受講生の中に自らの生徒を探していた。
そこで見つけ出されたのが安藤だ。
2014年にパープルーム予備校に入塾した安藤は、2015年には東京藝術大学に合格、進学したものの藝大の教育に疑問を持ち中退した。
以来、多くの時間を相模原で過ごすこととなる。

(油彩画《パープルーム予備校生の通学路》(2019))

上の油彩画《パープルーム予備校生の通学路》は、タイトルが示す通り、JR相模原駅からパープルーム予備校へ向かう道すがらの風景画である。
若干名の予備校生たちと梅津は、この景色を飽きるほど見ているだろう。
さらに安藤によれば、脳裏に焼きついたこの景色はアニメーション作品でも繰り返し描いたこともあり、一切の下描きを経ることなくいきなり絵の具で中央部分から描き始めたと言う。

対象を「見る」ことからそれを「描く」に至るまでの安藤の躊躇の無さ(*3)は、パープルームおよび相模原を舞台としたアニメーション《光のサイコロジー》で最も実感することができるだろう。
アニメーションの制作工程ではしばしば分業が用いられるが、《光のサイコロジー》では2,000コマの制作からその動画化までを安藤が担っており、背景も人物も安藤一人によって描かれている。
単独で2,000という膨大なコマ数の扱いを可能にしたことに、制作の速度が影響していることは間違いないだろう。
視界に捉えられたものは既に絵として記憶されており、いつでも描かれる準備ができているから――安藤が絵画的にものを見ているから、という理由も一つに考えられそうだ。

(アニメーション原画)

(アニメーション原画アップ)

ところで、2,000コマといっても、原画が2,000枚存在しているわけではない。
上の画像はアニメーション原画の一枚を撮影したものであるが、アップ画像をご覧いただければ様子が掴めるだろうか。
鉛筆で描かれた部分が消しゴムで消されたり、インク部分がホワイトで消されたり……といった痕跡が残っている。
原画は変化を重ねるうちに、スキャンされたタイミングでコマになるのである。
上の原画に至っては、この一枚の上で300コマ分もの描画が繰り広げられた。
現在見られるのは、その最終形態というわけだ。

(カフェスペース奥、アニメーション上映風景)

なおこの一枚の原画が辿った変化の道程は、もちろんコマの連続としてアニメーション内で確認することができる。
アニメーション全編はon Sundaysのカフェスペース奥でモニター上映されており、またDVDで販売もされているので、どちらかでぜひご覧いただきたい。
というのも、全編を見れば、このアニメーションが絵画の特性を指向していることがより実感されるからだ。それはどういうことか。

(アニメーションDVDおよび展覧会カタログ物販風景)

同じ原画の上で消したり描き加えられたりしながら画面が微細に変化していく様は、油絵の具が塗り重ねられる工程や、そうした塗り重ねに至るまでの画家の思考の道すじを彷彿させる。
あるいは「ホワイトで消されたり」と先述したが、実はホワイトは描きこまれた何かを消すためだけに用いられているのではない。
原画を肉眼で見るのと異なり、モニター上ではホワイトが用いられた部分が地の色よりも白く「光っている」ように見えるのだ。
たとえば木漏れ日が風に揺れるとき、また外から扉を開けて薄暗い室内に人が入ってくるとき、そこには光の明滅がある。
この明滅の表現にホワイトの有無が効果を発揮しているのであり、よってホワイトも「消す」よりは「塗り重ねられている」「使い分けられている」等と表現した方が正しい。

(カフェスペースにおける水彩画展示風景)

(水彩画。上:《見晴らし小屋とパープルーム》(2016)、
下《夜のパープルーム予備校》(2019))

安藤のアニメーションが絵画制作と切っても切れない関係を持っていることは、今回の個展が水彩・油彩・アニメーションのいずれもを扱っていることと重なるだろう。
安藤の場合、もとを辿れば、水彩画の制作の継続がアニメーションの制作に繋がった。
またアニメーション制作は、上述したようにその性質自体が油彩画の仕組みに近づいていった。
そうした流れの中で、安藤は実に5年ぶりに油彩画の制作にも取り掛かるようになった。

「安藤さんはある意味で達者に描けてしまうことが問題だった。描き込めばそれなりに絵画的な強度は担保されてしまう。絵の価値とはなんだろうか、というシンプルな命題をこの5年間で考え実践してきた。アニメーション制作を経ることで、1枚の油彩画に対してじっくり時間をかけて検討できるようになった。アニメーションや漫画は手が動きすぎる安藤さんにとって一種の拘束具だった」と、安藤を見続けてきた梅津は言う。

(油彩画《壁紙のある部屋》(2019))

(《壁紙のある部屋》アップ)

当然、絵画上には梅津の影響も見られる。
上に挙げた油彩画《壁紙のある部屋》は、パープルーム予備校の一室を描いたものだ(本展の油彩画はすべてパープルーム予備校で描かれたという)。
アップ写真の、特に左下方に見られる、朱色の絵の具が上から擦り付けられたような痕跡は、梅津が自作で多用する手法を取り入れた部分である。
ちなみにピンク色の地に青~紺色で描かれた特徴的なパターンは、パープルーム予備校内に貼られていた壁紙であり、壁紙自体はパープルームに出入りしていた作家・qp(*4)の制作による。
手法やモチーフには、梅津をはじめとするパープルーム関係者からの影響やエピソードが様々に混じりあい、盛り込まれ、どこからどこまでを「安藤だけのもの」とするか判別することは難しい。

(油彩画《ジョナサンで談笑する3人
(シエニーチュアン、梅津庸一、安藤裕美)》(2019))

(《ジョナサンで談笑する3人
(シエニーチュアン、梅津庸一、安藤裕美)》アップ)

影響関係を重んじる傾向は梅津にも見られる。
たとえば作家・坂本夏子と共作した《絵作り》(2013年・高橋コレクション収蔵)(*5)においては、梅津と坂本は互いの筆致を模倣しあうことで互いになりすますなどして、一枚の絵画の中に複雑な文脈を発生させている。
このとき梅津が習得した坂本の技法は、かたちを変え安藤にも引き継がれたと梅津は言う。
上の作品画像《ジョナサンで談笑する3人(シエニーチュアン、梅津庸一、安藤裕美)》(*6)のアップを見ると、その筆致のヴァリエーションには複数の人格を見出すことができやしないだろうか。
あるいは、安藤の絵画上に見られる痕跡は、梅津や坂本からの影響に限ったことではないだろう。
人の出入りの多いパープルームならではの景色、その景色が含むエピソード、そのエピソードに関わる人物、さらにその人物が他者から受けた様式の影響までもが、延々と連鎖するように絵画上に記録・集積されているのだ(*7)。

(左:梅津庸一、右:安藤裕美)

ところで、展覧会のタイトルである「光のサイコロジー」とは何だろうか。
サイコロジーとはpsychology、つまり心理学であるから、直訳すれば「光の心理学」となる。
安藤はナビ派(*8)が好きだから、ポール・セリュジエがポール・ゴーギャンから心象に従って描くことを勧められたという、ナビ派誕生のきっかけとなったエピソードが関係しているのかもしれない。
「サイコロジー」に含まれた「サイコロ」という音から導き出される多面体が、「光」を乱反射している様も想像される(*9)。
「光」は、安藤のアニメーションに特徴的な明滅の表現に由来するだろうか。
あるいは安藤の絵画に落とされた影――無数の出来事や他者の介入――を発生させた、パープルームでの6年間のことを指すだろうか。
いずれにせよ安藤の絵画上においてすべては分かち難く地続きにあり、その分かち難さは長く苦しくもある一方で、もう次の瞬間を予感させる移ろいの中に煌めいているのである。

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安藤裕美 個展「光のサイコロジー」
会期|2020年1月25日(土)〜3月1日(日)
会場|on Sundays(ワタリウム美術館地下)
時間|11時〜20時(水曜日は21時まで)
企画・制作アドバイザー|梅津庸一

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脚注

*1…「パープルーム」とは梅津庸一が主宰する芸術家の共同体であるが、その時々の活動内容によって「パープルーム予備校」「パープルーム大学」「パープルームギャラリー」等と名称が使い分けられる。本稿ではその活動の総称として、「パープルーム」を多用することとする。

*2…on Sundaysはワタリウム美術館の地下にあるショップ&カフェスペース。

*3…あるいはこうした制作速度は、安藤がパープルームでの日常を捉えた漫画「パープルームのまんが」を量産していることにも表れている(漫画は内容的にもアニメーションとの関連が窺える)。漫画をまとめた同名のZINEも販売されているが、まずはツイッターで「パープルームのまんが」を画像検索してみるといい。

*4…qpは、パープルームが運営するパープルームギャラリーで2019年9月に個展「セルヴェ」を開催している。ほかにもパープルーム主催の展覧会に複数回出品歴がある。

*5…坂本と梅津は、2013年に旧ARATANIURANO(現ANOMALY)にて、二人展「正しい絵画のつくり方」を開催している。《絵作り》はその二人展におけるメイン作品でもあり、研究者・筒井宏樹による関連インタビューがweb上に残されている。

*6…パープルーム予備校の近くにはジョナサンがある。予備校内にはエアコンが無いため、パープルーム関係者にとって暑い夏や寒い冬は重宝する存在のようだ。店内で制作におよぶこともある。

*7…本文中では割愛したが、さらに本展では相模原という土地の特異性にも着目した油彩画《夜の相模総合補給廠》および水彩画《相模総合補給廠》にも注目である。相模総合補給廠とは在日アメリカ陸軍の補給施設のことであり、相模原は駅の北側がこのための広大な敷地となっている。またアニメーション作品中では相模原の上空をドローンで俯瞰するかのような描写が見られ、パープルームでの日常がどのような環境に隣接しているかを物語っている。

*8…19世紀、パリのアカデミー・ジュリアンに通う若い画家たちによって結成された集団。独自のルールを設けるコミュニティの在り方は、パープルームとも似通っているところがあるかもしれない。また、安藤の室内にモチーフを得る傾向にもナビ派の影響が見られるのではないか。

*9…晩年に詩「骰子一擲(サイの一振り)」を著した詩人ステファヌ・マラルメは、ナビ派に出入りもしていた。

レビューとレポート第9号(2020年2月)

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