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“愛と幸せはいま、圧倒的に足りていない”ーーキュンチョメ個展『魂の色は青』レポート & 超ロングインタビュー

幸せのための作品を作りたいな、とおもいました。
それは実は、小石一つでもできてしまうのかもしれません。4月のある日、私は海辺に寝転がって「自分のヘソにあう石」を探しました。いくつか石を手に取って、一つずつヘソにはめていくと、ある一つの石がぴたりと私のヘソにハマりました。その石は太陽の熱をたくさん吸収していて、私の体の真ん中からその熱がじんわりと伝わってきました。それはなんだか地球と自分の体がもう一度繋がったような、不思議で幸せな感覚でした。
今回の展示では、海とか、太陽とか、小石とか、呼吸とか、郵便物とか、そんなものを通して幸せのための場所を作ります。ちょっと特別なコーヒーを飲める場所も用意しました。時々アイスクリームも現れます。
黒部市美術館はもしかするとあなたが住んでいる場所からは遠いかもしれません。でもここには凄く立派な山があって、海があって、思い切り深呼吸ができるような場所です。そんな場所でこそ見てほしいと思えるものができました。だからぜひ、少し時間を作って来てください。あなたがこの場所で幸せな時間を過ごせますように、心から願っています。
キュンチョメ

展覧会ステイトメントより引用


「アートはね、タイパ悪く行かなきゃ。それが幸せの近道なんじゃないかい?」
「なんていうか、自分自身の呼吸とこの世界がリンクしてるんだってことを、一瞬でもいいから感じて欲しいんですよ」

インタビュー中、キュンチョメのホンマエリとナブチはアートと「タイパ」と幸せ、そして「呼吸」についての関係を、前者は自信に満ち溢れた調子で、後者は少しずつ考えを噛み締め、吐き出すように何度か語っていた。

東京駅から富山県の黒部宇奈月温泉駅まで新幹線が約二時間半、そこからタクシーで約15分の場所にある『黒部市美術館』での個展は、震災を機にした12 年前の結成以来、目覚ましい活動を続けるユニットが発表に選ぶ/選ばれる場所としては、少なからず意外さの感を受けた。
首都圏から直通の新幹線停車駅が出来たことで、コストはともかく、富山という遠方の不便さを距離ほどには感じさせない美術館は、ここ十年ほど、積極的に先鋭的な現代美術の作家を取り上げた企画展を開催してはいた。けれども、原子力災害を筆頭に、複雑な政治や社会的イシューに対して、独自のユーモアの鎧をまといつつも激しく熱い意思表示をしてきたこれまでのキュンチョメのスタイルからすると、あまりに遠く隔たった、美しすぎる場所ではないかと。

事前に抱いていた筆者のそんな疑問は、展覧会を観て、二人と話すうちに氷解していった。このユニットが昨年から国外に滞在して得たもの、それによって変わったもの、その結果向かおうとする表現の場所と、現今のアートのあり方に投じる疑問の一石…。
以下に掲載するキュンチョメのロングインタビュー、および展示全景のキャプションによるレポートは、それらについて観察し、聞き取った結果を示すものである。長文にはなるが、是非お読み頂き、できれば残りの会期で多少無理をしてでも1日かけて現地を訪れて下さればと思う。勿論、それだけの価値がある内容だから、だ。キュンチョメの提示するものは、あなたの、現代の都市文明を生きる人間ならばどこかしら強張ってしまっているであろう精神の凝りを緩やかにほぐし、「幸せ」にしてくれるだろう。



インタビュー・テキストの前に、展覧会と作家について、外形的なデータを簡単に示しておく。
キュンチョメは東日本震災を機にナブチ、ホンマエリが結成したアート・ユニットであり、制作を「新しい祈り」と捉えて、社会にコミットする様々な形態の作品を勢力的に発表している。2014年の第17回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)で太郎賞を受賞して以後、「あいちトリエンナーレ2019」(愛知 2019年)や、「六本木クロッシング2022:往来オーライ!」(森美術館 2022年)等、国内外の様々な美術館やギャラリーに招聘されてきた。黒部市美術館で10月7日から12月17日まで開催される本個展は「新しい幸福」を提示すると銘打たれ、2022年にACCと文化庁の助成で滞在したハワイ、フィリピンでの体験から作られた11点の新作を中心に構成されている。
インタビューは10月25日(水)の午後に黒部市美術館で行われ、担当学芸員であり企画者の尺戸智佳子氏も同席した。






「記憶の交換」with アイスクリーム

キュンチョメ『記憶のアイスクリーム』:来場者のアイスクリームにまつわる記憶とアイスクリームを交換するリレーショナル・アート作品。アイスクリームの種類はバニラ、ときどきクッキーアンドクリーム。10月いっぱいまで、キュンチョメ来館時、美術館入り口で不定期開催されていた。



ーー今日はわざわざご足労をいただきありがとうございます。まず、普段は突発で行ってらっしゃるというサテライト作品『記憶のアイスクリーム』を体験させて頂きたいと思います。

ナブチ:これは、アイスクリームの記憶と本物のアイスクリームを交換する作品です。東間さんも是非、その紙にご自身のアイスクリームの記憶を書いて、この箱に入れてください。

ーー(自分の『記憶のアイスクリーム』を書きながら)こういう「交換」の作品って、対話する形式が多いし、キュンチョメならそれが自然かなという気もするんですが、違うんですね。

ホンマエリ(以下、ホンマ):そうですね、自分の記憶の中にダイブしてもらいたいので、対話すら余計かなと思ってます。

ーーなるほど。素朴な疑問なんですけど、どうしてアイスクリームを選んだんですか?

ナブチ:アイスクリームはきっかけというか、記憶のスイッチになると思ったんですよ。

ホンマ:アイスクリームって、世界中どこにでもあるんですよね。どこにでもあって、尚且つわたしたちも、あらゆる場所で食べたアイスを凄く覚えていて。チリン、チリーンみたいなアイス屋さんの自転車から音が鳴るとみんなワーって寄ってくるみたいな光景。年齢、性別、国を問わず記憶のスイッチになっているものは何だろーなと考えたときに…アイスだなと思ったんです。

ーー(書きすすめつつ)どういう内容が多いんですか?あと、文量とか…。

ホンマ:けっこうみんながっつり書いてくれて。70、とか80くらいの年配の方は「私の子供の頃はね…」とか「アイスっていつからあったかなあ?」とか、60年くらい前の記憶にダイブしてくれたり、そういうのが多いですね。高校生とかだと、生まれて初めてアイスを食べた時の記憶を覚えていたり。



キュンチョメ『記憶のアイスクリーム』:来場者は紙に書きつけたアイスクリームにまつわる記憶を箱に入れ、キュンチョメからアイスクリームをもらう。



キュンチョメ『記憶のアイスクリーム』:アイスをサーブするナブチとアイスクリーム。取材日は秋晴れで、絶好のアイスクリーム日和だった。



ーー(交換したアイスを食べながら)若者の場合、「昔」の記憶が小学校だったりするし、ご高齢の方との差が面白いですね。ちなみに、これ自家製なんですか?

ホンマ:やっ、自家製ではないです。自家製でできるといいんですけどね。
ナブチ:自家製アイスを提供するのって、法律上難しいらしいんですよね。日本はアイスクリームにやたら厳しい(笑。喫茶店で出す場合でも容器の洗浄とか色々大変だそうで。

尺戸智佳子(以下、尺戸):食品提供する資格等がクリアされていれば大丈夫なんですけど、そうでない方が何か作って売ったりは勿論、ふるまったりするのでも、公の施設だと何かあった場合を考えるとなかなか自家製を許可するのは難しいですね。

ーー食中毒とかのリスクもありますからね。とはいえ、今後も展開するなら自家製も食べてみたいけど(笑。



フィリピンとハワイ、移民、福島、ジェンダー、そして盆踊り

キュンチョメのナブチ(左)とホンマエリ(右):美術館入り口脇のベンチにて。取材対応のため、レジデンス先の民家から来館して頂いた。



(『記憶のアイスクリーム』を食べながら、すぐ横のベンチにインタビューの場を移動)

ーー基本的な情報からざっくり聞きたいと思います。今回展示される新作は、文化庁の新進芸術家海外研修制度とACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)の助成を受けて滞在した場所の体験を基に制作されたものですが、文化庁がフィリピン(令和三年度採択)で、ACCの助成(2021年助成)で滞在したのはハワイなんですよね?

ホンマ:そうですね、元々はバラバラで申請していて、全然別の年に行く予定だったんですけど、コロナで両方ずれていって、連続する形になりましたね。

ーーパンデミックで滞在期間なんかも影響を受けたかと思いますが、結局それぞれどのくらい滞在したんでしたっけ?

ホンマ:フィリピンは一年、ACCは半年の予定だったんですが、ハワイはめっちゃ物価が高くて、5ヶ月間で予算が尽きて帰ってきました。

ナブチ:ハワイの物価は日本の約三倍です。六畳一間でトイレシャワー共用の部屋の家賃が月23万円。生活するのも一苦労でしたね。

ーーさんざん聞かれていると思いますが、どうしてハワイとフィリピンだったのか、何がそれらの場所へお二人を向かわせたんですか?

ホンマ:ハワイは、わりと我々が今までやってきたテーマが集約されている場所だったからですね。自然災害が頻繁していて、沖縄や福島からの移民人が凄く多くて。

ーーああ、福島の人、特に浜通り出身者が多いんですよね。

ホンマ:その日系移民が住んでいた場所が2回、津波の被害にあったりしています。移民なので条件の悪い場所に住まざるを得なかったんですよね。

ナブチ:福島系の移民の人たちは、福島音頭(相馬盆唄)という盆踊りをハワイで流行らせて、今でも頻繁に踊られているんですよ。

ーーハワイへの福島音頭の伝承といえば、第44回の木村伊兵衛賞に選ばれた岩根愛さんの写真集『KIPUKA』でも「ボンダンス」「FUKUSHIMA ONDO」として紹介されていました。

ホンマ:うちらもハワイでめっちゃ踊ったよね、福島音頭! 日本の盆踊りよりBPMが二倍ぐらい早くて、めちゃくちゃアップテンポなんですよ。若い人たちもたくさん参加していて、みんな汗だくになりながら超熱いバイブスで踊るんです。

ナブチ:それと、ACCに申請したのは2019年なんですが、当時、沖縄を主題にした作品(『完璧なドーナツをつくる』)をつくっていたというのもあります。

ーー確かに、沖縄もかつて主題になっていましたね。『完璧なドーナツをつくる』は、ともすれば硬直しがちな沖縄の置かれた政治的な状況へ、「ドーナツ」という象徴的な媒介を用いることでキュンチョメらしい視点を提示する印象的な作品でした。福島、沖縄とのつながりからハワイを選ばれたのは分かりましたが、フィリピンは何故?

ホンマ:フィリピンは…どこからだっけ?

ナブチ:もともとはジェンダーに関する事柄に興味があって…国連が発表しているジェンダーギャップ指数がアジアで一番良い国(WEF16位)なんですよ。日本は125位とかなんですけど。

ーーそういえば、フィリピンは今年もアジア首位を維持してますね。東~東南アジアは全般的に100位以下に沈んでる国ばかりですが。

ナブチ:そんなに凄いんだったら一回行かなきゃなと思って。ちょっと調べてみると、母系社会だったり、キリスト教が入ってくる前とかは女性が強かったりだとか、色々あるみたいで、そこにも関心を覚えたんです。



命懸けの潜水――「祈りの泡」

キュンチョメ『魂の色は青』:会場入り口。右側は物販コーナー。展示作品『洗濯物美術館』にも使われているTシャツやドローイングが販売されている。



キュンチョメ『魂の色は青』:会場インスタレーション・ビュー。照明の量が絞られた会場は、入り口の光から海の中へ入っていくようなコントラストが設計されている。



キュンチョメ『ためいきでうかぶ』:ホンマが自身の「ためいき」を風船に吹き込み、フィリピンの海に浮ぶ姿を捉えた映像作品。およそ5分ほどの間に左から右へとホンマが漂い、画面外へ消える。穏やかで美しい海の上を漂流物のように漂うホンマの姿は、どこか無常を感じさせる。



キュンチョメ『魂の色は青』:会場インスタレーション・ビュー。光量の落とされた照明とスクリーンに映される海中の「青」で部屋中が満たされ、潜水者の呼吸と気泡の振動から生じるシュー、ゴボゴボという特有の音が響く。



キュンチョメ『金魚と海を渡る』:金魚と共にフィリピンの海を泳ぐホンマを撮影した映像作品。美しさのために品種改良を繰り替えされ、狭い場所で生きていくことを余儀なくされている金魚と共に、大海原を泳いで渡る試み。突拍子もない発想に感じられるが、画面からは、冗談やユーモアの雰囲気ではなくある種の神秘性が感じられる。



ーー午前中に、館内の映像とスチールの作品(『ためいきでうかぶ』『海の中に祈りを溶かす』『「死なないで」「幸せでいて」「海が青いままでありますように」』『金魚と海を渡る』)を撮影したんですが、あれはフィリピンとハワイ、どちらで制作されたんでしょうか?

ホンマ:えーと、金魚とためいきで浮かんでるやつはフィリピンですね。

ーー金魚とためいきがフィリピン…なるほど、『海の中に祈りを溶かす』もですか?

ホンマ:あれはフィリピンとハワイ、どちらでも祈っています。

ナブチ:まあでも、あまりどこで作ったかは関係のない作品なので、自分の中の海の記憶とかを思い出したりしてほしいですね。

ホンマ:そうっすね。場所性は殆ど関係ない作品ばっかりですね、今回は。

ーー撮影しながら見ていて、とても瞑想的というか、ピースフルな空間になっているなと思いました。

ホンマ:でも実は今までで一番、命懸けの作品だったような気はするけど(笑。

ーーそれは制作のプロセス的な意味でってことですか?深い潜水が物理的に危険みたいな?

ホンマ:そうそう(笑。本気で祈っていると、自分がどこまで沈んでいるのかわからなくなるんです。底が見えないような海で祈っているので、下手すると普通に死ぬ、命懸けの作品です。



キュンチョメ『海の中に祈りを溶かす』:ハワイとフィリピンで撮影された映像作品。「シューッ」「ブクブク」という吸気音と排気音のみが聞こえる。画面上部からゆっくり潜水してくるホンマは、画面外に消えるまでずっと声に出して「祈っている」。海中に溶けるその祈りが音声として聴こえることはないが、であるが故に想像力に強く訴えかける。



ーーその甲斐あって、と言うべきか、あの泡はとても美しいものでしたね、単純に、視覚的に。呼吸音と気泡の振動音も凄く瞑想的に響いていて。

ホンマ:泡を見てもらいたいなあ、という作品です。本当に声に出して祈っているので、泡そのものが祈りの形をしているんです。

ーーどういう祈りなんですか?

ホンマ:会場に写真が3枚展示されているのに気が付きました?泡の写真。

ーーああ!はい、はい。あの三点の。

ホンマ:そうそう、あれのタイトルは左から『「死なないで」「幸せでいて」「海が青いままでありますように」』。私が沈みながら祈っていた時に、唱えていた言葉です。この写真はそれぞれ、その言葉を唱えたことでできた泡なんです。だから、祈りの形をした泡ですね。

ーーそれで繋がりました。あれが祈りの泡なんですね。



キュンチョメ『死なないで』『幸せでいて』『海が青いままでありますように』:前傾『海の中に祈りを溶かす』で潜水中に撮影された写真作品。タイトルはホンマが祈っていた言葉だという。ホンマによれば、潜水は(祈りを象徴する)「この泡を見るため」でもあったとのこと。



世界には愛が足りない

ナブチ:さっき、ピースフルって仰ってましたが、あれすごく良い言葉だなと思うんですね。なんて言ったらいいのかな、今回は、展覧会で少し脱力するような感じになってもらえたらいいなと思っていて。わりと今まで、ぼくらの作品は、観ている人を少し強張らせたり緊張させたり鑑賞者に負荷がかかるようなものが多かったんですけど、なんか…もう、そういうのはいいかなって。

ーーもう、そういうのはいい!卒業ってことですか(笑。

ホンマ:ふふふふふふ(笑。

ナブチ:うーん、卒業っていうか(笑、いやまあ、アーティストってやっぱり、その時代に足りないものを補っていく役割を担っている気がしていて、でも、いま、緊張するとか身体が強張ったりする状況って、わりと普通にあるじゃないですか。ってか、ありすぎて困っちゃうくらい日々身体は緊張させられていて。

ーーそうですね、あらゆる局面で存在しますね。戦争も侵略も次々起きるし、パンデミックもあるし。

ホンマ:情報に溢れていて、自分のこと、例えば自分の呼吸のこと考えたりする時間って殆どとれてない気がするんですよね。夜中にボーっとしてる時間とかがそうなんじゃないかと思いきや、Netflix観ちゃったりね。ぼーっとすることさえも、実は難しいんだなと...。


(ここで尺戸氏が、『記憶のアイスクリーム』と同じくサテライト作品である『地球コーヒー』をサーブしてくれる)


キュンチョメ『地球コーヒー』:40ヶ国60地域、コーヒーを育てている土地から一粒ずつ集めた60粒のパックから抽出した展覧会オリジナル・コーヒー。癖がなく、さっぱりとして飲みやすい。取材日は提供しているカフェが休みだったため、特別に一杯提供して頂いた。



ーーあっ、そしてこれが噂の。

尺戸&ホンマ:『地球コーヒー』でございます。

尺戸:すいません、ちょっと今日はお店が休みなので、私が(笑。

ーーありがとうございます。凄くさっぱりしてますね。爽やかというか。

ホンマ:そう、めっちゃ飲みやすいんです。地球上のありとあらゆる場所で育ったコーヒー豆が集まった結果、丸い味になるという。



キュンチョメのナブチ(左)とホンマエリ(右)。美術館入り口脇のベンチにて。取材中、『地球コーヒー』を飲みながら。



ーーどのくらいの地域から豆を集めてるんでしたっけ?

ホンマ:40ヶ国60地域!コーヒー豆を育てているほぼ全ての場所から一粒ずつ選んだコーヒー豆を使って一杯のコーヒーを入れるんです。一杯のコーヒーって、だいたい60粒くらいの豆で出来てるんです。だったら世界中から60個の豆を集めて一杯のコーヒーを作ったら、どんな味になるんだろうって気になっちゃって。

ーーそれで40ヶ国60地域。

ホンマ:ひたすら色んなところから集めて、豆一粒ずつパックにして、それを抽出して淹れてるのが、この地球コーヒーです。世界中の味をまとめた味!

ーーそれだけ沢山豆を入れてるのに、この癖のなさって、不思議ですねえ。棘がない…。

ホンマ:混ぜる前に、一種ずつ飲んでみたんですけど、やっぱりそれぞれめっちゃ違うんですよ。すっごい酸っぱかったり、めっちゃ濃かったり。全ての平均になった結果、超飲みやすくなった!わたしは今までブラックでコーヒーを飲めなかったんですけど、この地球コーヒーは普通に飲める。というか超おいしい。

ナブチ:色々な個性が集まると調和が生まれるというのが示唆的ですよね。地球のように味もまん丸。

尺戸:まろやかに、まんまるーくなって。

ホンマ:コーヒーの栽培って、山が重要で、標高が高ければ高いほど味が良くなるらしくて。60地域、全部調べたんですけど、1200メートルくらいが普通で、高いと2000メートル以上の高地で育てられてるんです。みんな太陽に近いところで育てられている。しかも、火山で育てるとよく育つらしいんです。コーヒーって地球のパワーの塊みたいだなって。

ーーその貴重なコーヒーを、来場した方は歩いてカフェまで行って、サテライト作品として飲めるんですね。

ホンマ:そうです。美術館から離れてカフェまで行ってもらうのが超重要。こーんなふうに外でアイス食べてボーっとしたり、カフェまで散歩してコーヒーを飲んだりみたいなことをしてほしい。「作品を観る」というよりも、自分のこと考える時間を作ってもらいたいですね、今回は。私たちの作品は、そのための入口になれたらいいなと思っています。

ーーそのノリというか、方向性っていうのは、今後も続けていくんでしょうか?他者へ緊張を強いるようなメッセージを出す作品ではなく、自身に対して視線を向けていくような作品が増えていくというか。

ホンマ:うん、大事にしたいっすね。だっていま、世界には愛が足りないっすからね!

――愛が足りない!(笑。

ホンマ:足りない(キッパリ)。

ナブチ:まあ、なんだろう、美術館へ行って美術館だけで終わるんじゃなく、この地球コーヒーを飲むために海沿いのカフェまで歩いて、そこで地球を感じてもらえたらなと。今回は海がテーマになっているし、この場所の海も見て欲しいし。

ホンマ:海だけじゃなく、外を見て欲しいよね。そこの葦とかね。トンボ飛んでるなー、とか。なんかね、そっちの方が「作品を一生懸命見るより大事じゃない?」っていうふうに思ってますね。

ーーそうすると、葦のところの作品(下掲載写真『いま、すべての生き物が呼吸している』)も「外」を意識させる誘導を目的にしてるわけですね。

ホンマ:うん、外とか、人間以外のものに意識を向けて欲しいですね。



キュンチョメ『いま、すべての生き物が呼吸している』:美術館敷地内に設置された看板作品。書かれたテキストによって周辺の自然に観者の意識を向けさせる意図があり、ひいてはそれらを取り込んだ全体が作品といえる。取材時は生い茂った葦でテキストが覆われる寸前になっていた。



キュンチョメ『『いま、すべての生き物が呼吸している』(部分):葦に覆われかけた状態。尺戸氏によれば、予想以上の成長だったため、設置位置の調整を行ったという。



呼吸に全振りすること――対話ではなくタイパの悪さが幸せを生む

ナブチ:なんていうか、自分自身の呼吸とこの世界がリンクしてるんだってことを、一瞬でもいいから感じて欲しいんですよ。

ーーさっきホンマさんも仰ってましたけど、普段は全く意識しなくなっちゃっているという…。

ナブチ:呼吸って、人間にとってもっとも重要なものじゃないですか。止まると死にますし。でも、本当にいま、一番忘れちゃってることの一つかなと思っていて。

ーーだから会期中に実施するヨガのワークショップ(『深呼吸を持ち帰る』)も呼吸に着目してるんですね。

ホンマ:そう、呼吸へ全振りしてるヨガです。ワークショップは『深呼吸を持ち帰る』ってタイトルにしてるんですけど、ヨガの先生と一緒に呼吸だけに特化したヨガを考えて。その呼吸のためのヨガを一時間半みっちりやるんです。それをやると次の日、肺の周りが筋肉痛になるんですよ。肺の周りが筋肉痛になるなんて生まれて初めてで。あっ、私こんなに呼吸サボってたんだって分かる。ちなみにあの看板の作品の周りに生えている葦、夏からどんどん伸びていて、看板の位置を高くしたんですよ。葦も、めっちゃ呼吸して、成長してた。

尺戸:予想以上でした。

ナブチ:葦はもちろん、ぼくらも、そもそも誰かから「呼吸」を教わることってないですからね。なんで誰にも教わってないのに呼吸できてるんだろうって…。だから、みんなすーごい呼吸が浅いんですよ。

ーー呼吸が浅い?

ナブチ:肺の10パーセントか20パーセントくらいしか使ってなくて。

ホンマ:呼吸が浅いし、早いよね。深く呼吸をする瞬間もほとんどないし。人間って、生まれた瞬間は息を吸うんです。そして、死ぬ瞬間は息を吐く。普段の呼吸って、そんな特別な「吸う」と「吐く」のあいだにある呼吸なんですよね。でも普段は呼吸を意識することなんてほとんどないから、自分の呼吸だけを見る時間を作りたいなと思ったんです。ゆっくり限界まで吸って、ゆっくり限界まで吐いてみたり。そういう時間って心身両方にとってすごく大事だなとおもっていて。

ーーできるだけゆっくりと身体を動かす、と。最近のトレンドとは完全に逆を行く感じですね。いまは可能な限りこう、マルチタスクというか…、コスパどころか全部タイパを考えろ、ですから。Netflixも5秒飛ばしで観て、字幕で全部情報出して、全てがTikTok的なものに収斂されていく。

ホンマ&ナブチ:タイパ!(笑。

ホンマ:今回の展覧会はTikTok的なものとは真逆ですね。

ナブチ:タイパがとても悪い展示っていうか…タイパが悪いことが幸せを生む展示って感じかな。

尺戸:黒部市美術館に来ること自体がもう、めちゃめちゃタイパが悪いですから。東京方面からであれば金沢21世紀美術館のある金沢駅かあるいは富山駅に直行で、黒部はそのまま飛ばされちゃいます(笑。

ナブチ:今回の展示は、可能な限り情報を減らしてるんですよね。人間の会話とか対話って疲れるなって最近凄く思ってるんです。僕らって、今までは人の声を作品に取り入れるってことも多かったけど、今回それをしていない。

ホンマ:そもそも、わたしたちの初期の作品って全然対話してないよね。それに、対話が多い作品、例えば『声枯れるまで』とか『完璧なドーナツをつくる』とかも、実は対話そのものよりも、叫んだり食べたりすることの方が大事だった。なんか対話より、そういう原始的な行為をわたしは信じているんだと思う。

ナブチ:対話って思ったよりも大事じゃない可能性もあるなーって。海の中って喋れないんだけど、だからこそ僕は海の中が好きなのかもしれない。



キュンチョメ『海の中に祈りを溶かす』:座椅子に寝転びながら鑑賞することができる。



ホンマ:海の中って会話できないけど気持ちは伝わるもんね。なんか今は、多くの人が「対話」以外の繋がり方を必要としているんじゃないかと思っていて。だってね、Twitter(現X)とかもう大変じゃないですか

ーーああ、はい、大変ですね(苦笑。

ホンマ:対話って「具体」なのでどんどん逃げ道がなくなる。正解か、不正解か、みたいな。だから苦しくなるんですよね。今はもっと、抽象的なものを大事にした方がいいと思うんです。

ーー絶対分かり合えないところがあるのに、分かり合えるかのように思い込んで「対話」してもどんどん酷いことになって、永遠にすれ違うレスバをしているみたいなのが今のSNS上のぶつかり合いですからね。

ホンマ:うーん、そうですね、ほんとに。



他者救済を諦めない―こと――ブッダは「上がらない」

ーーじゃあ、そうだとすれば今回の生じた変化というのは、ある意味、絶望に根差してるんでしょうか?

ホンマ:ああー、でもまあ、キュンチョメってわりと、ある意味全て絶望に根差してる気もするよね。愛を語るには絶望が必要というか、愛はそれを乗り越えるためのものだと思ってるから、わたしは。だから多分、絶望には根差してるんでしょうね。

ーー自分たちが今まで作ってきたものへの絶望もそこにはある…?

ホンマ:ははは、キュンチョメの作品は超大好きなので、自分の作品に絶望することはないです(笑。むしろ自分で作った作品に、自分自身がエンパワーメントされることの方が多いですね。

ナブチ:キュンチョメがやってることは、生とか死とか祈りとか、あるいは海とかジェンダーとか、ずっと変わらないんですよ。今は、すごくシンプルだった初期の頃に戻りつつあるって感じかなぁ。

ーー今後は、もっとシンプルになる?

ホンマ:どうなんだろ、それは。意外に反復横跳びみたいに、具体と抽象を行ったり来たりする方がいいかもしれなくて。なんか、昔の僧侶(修行僧)の生き方ってめっちゃ芸術家に近いなと思っていて…。

ーー僧侶?

ホンマ:、昔の仏教の修行僧って、一人で山にこもって修行する期間と、里におりてきてめっちゃ人の話を聞く期間を交互に繰り返していたらしいんですよ。つまり、抽象と具体、ノンバーバルとバーバルを交互に繰り返していたんですね。その感じって凄く芸術家に近くて。わたしたちも同じなんじゃないかなと!

ナブチ:静と動を行ったり来たりすることで、悟りに辿り着こうとしていたらしいんですね。ただ単純に静というか…情報量のない自然と向き合っていればいいのかっていうと、そうじゃない。

ーー人によっては、自然の中に籠ったまま、アートから遠ざかるってこともありそうですね。

ホンマ:そうですね、それ、我々が「上がりの状態」って呼んでるパターンです。もう、そういう名称までつけてます、勝手に。

ーー上がりの状態!(笑。仕上がっちゃってると。

ホンマ:そうです、自己救済が終わったアーティストがアートから離れていく状態、それを「上がりの状態」と我々は呼んでいます。でも、「ブッダは上がらないよね」って話をよくするんですよ。うちら芸術家としてリスペクトしてるのはブッダなんで。ブッダは多分、どんだけ自己救済が完了して幸せになっても、それで満足しないと思うんです。他者を救済することを絶対に諦めない。この世界を忘れないんですよ。

ナブチ:他人を忘れないんだよね。

ホンマ:芸術家の本当の使命はそこなのかな、って。

ーーなるほど、確かに自己救済が目的なら、それが完結しちゃえば目的を失うっていうか、「上がり」ですしね。

ホンマ:幸せになれちゃうからね。

ナブチ:だからオノ・ヨーコとかマジですげえなあ~って、多分死ぬまで他者のことを考えてるんじゃないかって。

ホンマ:彼女、他者救済し続けてるから。

ーー自己救済が他者済にもつながっているのかもしれませんね、オノさんは。



キュンチョメ『魂の色は青』:会場入り口。物販コーナー。展示作品『洗濯物美術館』にも使われているTシャツやドローイングが販売されている。


キュンチョメ『魂の色は青』:会場入り口。物販コーナー。展示作品『洗濯物美術館』にも使われているTシャツ『野良犬を着る』。イラストはホンマエリ。


キュンチョメ『魂の色は青』:会場入り口。物販コーナー。ホンマによる水彩、ドローイング作品が販売されている。



もっと、人の想像力を信じたい

ーーここまでお話しを伺っている限り、キュンチョメは今回の『魂の色は青』での展示に止まらない、重大な転換の時期を迎えているように感じられます。

ホンマ:どうなんだろうねえ。本筋は変わらない気もするけど…変化してるのかなー?

ーー今まで自分たちがやってきた代表的な制作の手法を選ばなかったり、削ぎ落としたりしてますし。

ホンマ:まあ確かに、一年半前の自分と話したら絶対に話合わないから、変わってるんでしょうね。(笑。

ーー一年半前だと、コロナ真っ只中ですね。唾液で花を育てるやつ(クチがケガレになった日、私は唾液で花を育てようと思った ,2021)とか、(鳩と虎の(トラを食べたハト,2018-2020)とか…。

ホンマ:唾液の花はいまに近い、 『トラを食べたハト』は遠い…非常に盛ってるもんね。

ナブチ:喋りすぎだよね。自己批判するわけじゃないけど、やっぱね、何かを伝えようとしすぎていた気がする。

ホンマ:「わたしの作品を見て!」だったもんね。今はあんまり、思わない。あんまりどころか、なんだろ、わたしの作品なんて見なくていいから、空を飛んでる鳥を見て!って心の底から思いますね。

ナブチ:「作品見て!」っていうよりもね、明確に伝えたい具体的な何かがあったんだと思うんだよね。今は、もっともっと他人の想像力を信じたいなって。

ーー人の想像力を信じたい。

ホンマ:人の想像力を信じていなかったわけじゃないんだけど、力みすぎていたって感じかな。

ナブチ:ただ、そうではない作品もつくっていたはずで。

ホンマ:初期の初期はむしろ今に近くて、それこそ非常にシンプルで、緊張にも緩急があった。編集とかが必要ない映像だったりするし。遠吠えの作品(『遠い世界を呼んでいるようだ』(2013))とか。

ーーそもそもユニット結成も震災がきっかけですしね。遠吠えで言うと、チンポムの『気合い百連発』と、直接の関係はないし、ベクトルは違うんだけど、呼びかけるって意味でどちらも凄く記憶に残っています。

ナブチ:『気合い百連発』なんかも、出てくる高校生が言ってることはなんだって構わないわけで、でもそれって逆にいうと言葉じゃなくて言葉以上のものが重要だってことなんですよ。

ホンマ:そうそう、ほんとにそうだよね。言葉だけみて「原発最高」ってところを取り上げたら、そりゃ酷い作品だと感じるだろうけど、全然違うんだよ、って。

ナブチ:やっぱり、そこがアートの一番大事なところなんじゃないかな。



超スローな環境の中でアートを―観る――黒部市美術館


黒部市美術館(外観):展示は美術館周辺の自然や公園も組み込んだ構成になっている。



ーーすっかり聞き忘れていましたが、黒部市美術館で展覧会をやることになったのは、どういう経緯なんですか?

尺戸:わたしがお願いしました。是非、やって頂きたかったので。

ナブチ:この美術館のことは2019年に『コンクリート組曲』をやった風間サチコさんのときに初めて知って、東京でも大阪でも金沢でもない場所で現代美術やってる珍しい美術館があるなと、興味は持ってたんです。風間さんにも「黒部ダムがやばかった」みたいな話を一時間くらい聞かされて。

ホンマ:そこでめっちゃ興味湧いたよね(笑。

ナブチ:それを覚えてたんで、じゃあ是非、みたいな。

尺戸:十年前に美術館の指定管理者が入れ替わって、わたしたちが入ってから現代美術をやるようになったんですけど、地域性とか文化とか、交通が不便とか、そういうある種土地の個性みたいなものと向き合いながら展覧会をやっていくうちに、人間以外の物事に視点を置いて見ていくようなこととか、大きな世界の循環みたいなものに気付くようになってきたんです。だから、近年はそういうことに想像力を持った作品や、関心のありそうな作家さんに着目して展覧会をお願いしてきたんです。キュンチョメさんの場合は「他者」とか「自分の外側のことを考える」みたいな観点からの展示を当初想定していたんですが、結果的にそれを超えてもっとこう…美術館がずっとやってきたテーマと深く結びついた展覧会になって、驚きと共にご縁を感じました。

ーー確かに、どの作品も驚くほど美術館を取り巻く環境にあってますね。

ホンマ:海も近いし、山も近いし。都会のど真ん中でやるのとは全然違いますね。(都会だと)そもそも、あの看板(『いま、すべての生き物が呼吸している』)を建てるのもなかなか難しそう。

ナブチ:現代美術を都会に閉じ込めすぎてるよなってのが僕の感覚としてあって。でも、じゃあ、地域芸術祭だったらいいのかと言うと、あれはお祭りで、お祭りの感じにほだされるところもあるし、作家も作品も多いから一生懸命観て回らなきゃいけなくて、結局地域じゃなくアートばっかり観ちゃう。

ーーマップと睨めっこして、「やばい!バスの時間が!」「結局、全然見れてない」とか(笑。

ナブチ:なんか忙しいんすよ、あれは(笑。もっとゆっくり、いつまでもコーヒー飲んで、空見て、みたいな、超スローな環境の中でアートを観たほうが面白いんじゃないかと僕は最近思っていて、その点でこの場所って凄くマッチするんですよ。人間のことを忘れられるっていうか。

ホンマ:もっとポツンとしてたいよね。

ーーあれも結局タイパってことなんでしょうね、さっきの話に引きつけるなら。できるだけ色んな作家選んで、色んな作品出して、色んな場所で展開して、色んな媒体に取り上げられて、みたいな。

ホンマ:もうこうなったら、アーティスト側から丸一日かかるワークショップとか提案しちゃう方がいいのかもしれない(笑。

ナブチ:まさに今回の黒部のキュンチョメ個展は、一人芸術祭みたいなもんで…。

ホンマ:そう、丸一日かかる、観るのに(笑。

ナブチ:美術館を観て、洗濯物(展示作品『洗濯物美術館』)を見物に行ったりして、それでアイス食べて海沿いまでコーヒー飲みにいって、それで1日が終わる。これくらいの規模感なら、芸術祭と呼べなくもない。



キュンチョメ『洗濯物美術館』:美術館の立地する黒部市総合公園内に設置されるTシャツと、それが乾くまでのゆったりした時間を取り込んだインスタレーション。使用しているTシャツは、キュンチョメがフィリピン滞在時に交流した野良犬の生き方をプリントした作品『野良犬を着る』。海をテーマにした館内の作品と並んで、展覧会の精神を現わすような印象を受ける。



黒部市美術館提供の洗濯物美術館画像



ーー立地的に、突然来てすぐ帰る、ってわけに行かないですもんね。

ホンマ:「じゃ!」ってならないですからね(笑。

ナブチ:気軽に行ける場所が少ないから(笑。

ーーなんならあんまり人来ない方がいいんじゃないかな、って感じさえしましたね(笑。いきなり修学旅行のバスが何台も来て、高校生が何百人もドドドーって来て、一瞬で帰っていく、みたいな光景は違うんじゃないかな、と。

尺戸:のんびりと来てほしいですね。



一生懸命にならないこと――救済のための美術とは

ーーあと、こんなインタビューをしておいて何なんだという感じですが、この展覧会は、観に来る方も「聞きすぎない方がいい」のかなあと。尋ねすぎない。「これはどういうコンセプトなんですかっ?」みたいな。

ナブチ:ぼくらが喋りすぎることで、人の想像力を奪ってしまう面もありますね。

尺戸:でも、さっきお話しされていた、要素を削ぎ落とすという話だと、削ぎ落とすことで抽象的な表現になっていくし、メッセージとしては含められるものが逆に多くなっていくんだと思います。この展示にはそれを強く感じます。

ホンマ:今までの作品だと、はいっ、これはジェンダーの作品ですね、とか、あー沖縄の基地問題ですね、って言うふうに一瞬で理解されてしまう。今回は鑑賞者によって、見えてくるものが結構違うんじゃないかなと思うんです。

ナブチ:『地球コーヒー』を飲む時も、地球のこと考える人もいれば、戦争や労働問題を考える人、山のことを想う人もいるかもしれない。むっちゃ間口の広いものになってるんじゃないかな。

ーー逆に、すぐに理解したい人とかは苛々するかもしれませんね。一瞬で理解させろ!って。

ホンマ:今のところそんな感じの人には会っていませんね。むしろ「最近のアートは一生懸命観なきゃいけないのばっかりだったけど、この展示は全然違って良かった!」って言ってる人がいて、印象に残っている(笑。

ナブチ:東京からわざわざ黒部まで来て、一生懸命になりたくないよね(笑。

ホンマ:でもさあ、東京のアートだってほんとはそうな気がする。一生懸命になるために美術館へ行く状態ってどうなんだろう、ってちょっと思っちゃう。

ナブチ:本当は美術って、人々を救済するために教会とか寺とかにあって、美術そのものを忙しく観て回るようなものじゃなかったはず。

ホンマ:美術館って、教会や寺に行ったときと同じバイブスになれる場所であってほしいよね。

ナブチ:でも最近の教会は、やることめっちゃ多いよ。説教聞いて聖歌歌ってランチ食べて、最後になんか次のチャリティのためのパッキングとかして。忙しい。

ホンマ:あー、現代アートも教会も同じ状態か。社会自体が忙しいから、全部に答えようとするとああなっちゃうんだろうけど、本来宗教って非常に抽象的な形で全ての疑問に答えられるようなところが凄いところだったと思うんですけど、それがどんどん具体的になって、なればなるほどやることが増えて、抽象の力が失われていくっていう不思議な現象になってる気がしますね。



脱時間的なものの大事さ―「それが幸せの近道」


キュンチョメ『曖昧なランドマーク』インスタレーション・ビュー:キュンチョメがフィリピンの田舎町に滞在していた時期、各家屋に正確な住所がないため、曖昧な目印のやり取りで郵便物を受け渡したり、道を尋ねたりしていたことから着想した写真とテキストの作品。ホンマは「郵便的愉しみ」、ナブチは「お互いの想像力を信じ合う瞬間」が極めてユニークだと語っていた。



キュンチョメ『曖昧なランドマーク』:「曖昧なランドマーク」を伝えるテキストと写真。「私の家は、白くて大きな牛がいる空き地を右に曲がったところにあります」。



ーーフィリピンに滞在してらっしゃったときの写真作品、住所がないから目の前にある適当な目標を伝えるっていう作品も、脱時間的というか、ゆっくりとかのんびりとか言う点で響き合ってますよね。辿り着けばいいや、みたいな。

ホンマ:あれも非常にゆっくりしてますね。「郵便的不安」を完全に織り込み済みの「郵便的愉しみ」がある。

ナブチ:現代的なシステムと抽象が合体してるのが凄いなと思って、あれは。

ホンマ:住所がなくてもちゃんと荷物が届くからね。それもまた驚きというか、五分後には無くなるかもしれないランドマークを頼りに何となく荷物って届くんだなぁと。なんだなあと。

ナブチ:お互いの想像力を信じ合う瞬間みたいなのがいいんだろうね。

ーー滞在先は全般的にあのシステムなんですか?住所を設定する気はないんでしょうかね。

ホンマ:全般的にあんな感じです、ほんとに。住所を設定する気は…なさそう。

ナブチ:無くても成立すると言うか、いや、たぶん成立して無いんだろうけど(笑。みんなが成立していると思い込んでいたら、それは成立しているということなので。

尺戸:地元の人も誰がどこに住んでいるか知っていて、郵便屋さんも新規の人には届けられないけど、それ以外は分かってるみたいです。

ナブチ:それで面白かったのは、Airbnbで家を一か月レンタルしたとき、オーナーさんに住所を教えてって言ったら、その辺にいるおじさんに聞いてって答えられて(笑。海沿いに行けばおじさんが必ず昼寝しているから、声をかけて、って。なんかRPGみたいだなって思ったんですよ。

ホンマ:しかもさあ、ホントにいっぱい寝転んでて、声かけたら、一人一言ずつ教えてくれるんすよ。「右」とか「坂登って」とか(笑。それで辿り着けちゃう。

ナブチ:そういうのを体験すると、なんで住所があるんだろうって考えちゃいますね。

ホンマ:アートも同じで、タイパ悪く行きましょう、ってね。それを楽しんだ方がいい。

ーー今日、繰り返し出てくる言葉ですけど、そういう一石の投じ方、面白いですね。

ホンマ:それが意外に幸せの近道なんじゃないかい?って思うんすよ。

ーー展示のテーマですもんね、幸せ。

ホンマ:そうなんです、幸せはいま、圧倒的に足りていない。なかなか最近、美術館に行っても幸せになることが少なくて。なんなら悲しくなって終わるみたいな。

ーー色々の問題を提起して、観る側になるべく傷を残すみたいな目的で設計されてる展示も多いですからね。三秒で理解させてしっかりダメージを与える!みたいな。

ホンマ:今って知りたくもない情報がどんどん流れてきて、ニュースの見出しを見るだけで三秒で傷付く。そういうように社会が設計されちゃってる。毎日信じられないほど傷ついたり、傷つけられているから、愛と幸せが圧倒的に必要。



孤独を埋めるもの―幸せのためのアート


キュンチョメ『ヘソに合う石』:ホンマが海辺で自らの「ヘソに合う石」を探し、ヘソにピッタリとハマった石と、石をはめて寝そべる様子を描いたイラストを展示。観客による応用も推奨されるが、石の多様性がある場所を探すところから始まり、実は一筋縄ではいかないという。



キュンチョメ『ヘソに合う石』:ホンマによるヘソに石をはめる様子を描いたイラスト。



キュンチョメ『ヘソに合う石』:ホンマが実際に海岸で拾ってきた石。さまざまな形がある。



ーー幸せのためのアート。時間を忘れようと。

ホンマ:そうですね、普通の時間からずれた時間を楽しんでほしい。そういえば、結構たくさんの人が「今度、海に行ったら自分のヘソに合う石を探します!」って宣言して帰ってくれるんで、何気に嬉しいんですよ。この人はきっと、来年海に行ったら思い出してくれるんだろうなあって。

ナブチ:あれもね、マインドセットするまでに一時間くらい本当はかかるんで、海に行ったらすぐできるわけじゃないんですよ(笑。

ーーマインドセット(笑。

ナブチ:浜辺に行って「ヘソに合う石」をただ探せばいいってもんじゃなくて、探そうかなって気持ちになるまで一、二時間くらいかかる。

ーー起きたらすぐ外に出れるとか、帰ったらすぐ家事に取り掛かれるわけじゃない、みたいな話ですか。

ホンマ:そうそうそうそう(笑。心と体をととのえる。

ナブチ:イージーなものではないんですよ(笑。探し始めたら探し始めたで、自分のヘソにあう石なんてなかなかないし、海沿いか、川沿いで、石の多様性がある場所を探すところから始めなくちゃいけないから、ただそこらの海や川に行けばいいってものでもない。

尺戸:わたし、ちょっと甘く考えてました(笑。のっければいい、ぐらいなのかなと。

ナブチ:それに、結構哲学的なとこもあって、石をもったまま、「あれ?そういえばヘソってなんなんだろう?」みたいなことを考え始めるんですよ。ヘソって、人間が孤独になった証なんだよな、みたいな。

ホンマ:臍の緒でつながってますからね、最初は。

ナブチ:胎児の頃は、母という他者とヘソの緒で繋がっていたわけじゃないですか。ヘソって、それが切れて孤独になった証なんだって。

ホンマ:ひとりぼっちの証がお腹の真ん中にあるって、凄いよね。でもそれをさ、石っていう全くの他者というかさ、この世界がスッと埋めてくれるのが超いいんですよ、あれ。めっちゃ幸せになる。

ナブチ:そういう哲学的な気分になれる作品でもあるってことです(笑。

尺戸:夏だったら絶対そのワークショップやってみたかったです!キュンチョメさんのヘソの孤独のお話し込みで…。



キュンチョメ『一粒の海と歩く』:美術館入り口に置かれたガラス鉢と海水=海、海水を「一粒」とるための棒で構成されるインスタレーション、および「一粒の海と歩く」体験のための作品。



ーー最後に、入り口にある『一粒の海と歩く』を体験させて頂こうかなと思うんですが、あれは、どうやって歩くと海を感じられるものなんですか?

ナブチ:指先にこう…一滴(一粒)乗せて…美術館の周りの公園をぐるっと歩く。

ホンマ:海と一緒に散歩する、というイメージです。



キュンチョメ『一粒の海と歩く』:ガラス鉢と、鉢の中の黒部の「海」。



キュンチョメ『一粒の海と歩く』:「海」と歩くための、ナブチによる実演。



ーーああー!一周してみるぐらい歩くんですね。数歩ってレベルじゃなくて。

ホンマ:散歩しながら、いつまで乗せてられるかなーって。海っていつなくなっちゃうんだろうなーって。無くなっちゃうと、キラキラした何かだけ残るんですよ。それが不思議で。

ナブチ:一滴(一粒)と向き合う瞬間なんて、他にないよなって。

ホンマ:このパースペクティブで海を見つめるのが面白いんすよね。

ナブチ:しかも五分くらいすると指先の海に対してめっちゃ感情移入してくるんですよ(笑。死ぬなー!って。非人間的、非生物的なものと対話するというか…。

尺戸:せっかくなので、洗濯物美術館のところまで歩いてみてください!

ーーそうします!ありがとうございました。



キュンチョメ『一粒の海と歩く』:「一粒の海」を見つめながら歩くナブチ。しばらく見つめていると、不思議な感情移入が起こるという。



キュンチョメ『洗濯物美術館』:美術館の立地する黒部市総合公園内に二か所、晴れた日に展示される。『一粒の海と歩く』を体験しながら訪れることもできる。



――インタビュー後記

「幸せのための作品」と聞いて、それは何かしらスピリチュアルな要素を含むのだろうかと、展覧会を観る前は僅かながら考えてもいたが、完全に杞憂だった。「幸せ」とは、宣言されていた通りのものだった。それは乾くのを待つ野良犬たちのTシャツ、記憶と引き換えのアイスクリーム、誰も考えつかなかったアイデアを実現させた不思議なコーヒー、そしてフィリピンやハワイの深い海と黒部の空の青を眺める時間なのだった。そこに言葉はほとんど、存在しない。
これまで発表してきた作品で、鋭く、かつユーモラスな言葉を駆使して現実への介入を試みてきたキュンチョメが、今回は可能な限り言葉を排除している。インタビューでも、「もう人の身体を強張らせる表現はいい」「何かを伝えようとしすぎていた」「僕らが喋りすぎることで人の想像力を奪ってしまう」「いま、本当はみんな、対話以外のつながりを必要としているんじゃないか」
などと具象の言葉に対する否定を次々述べていて、表面的にみたら上記は単にネガティブな自己批判なのだが、そうした言葉への逡巡を経た後、今回新しく差し出された作品の無言の雄弁さとでも表現すべき豊かさを体験すると、変化自体の必然性、ポジティブさを想わないわけには行かない。
【アーティストってやっぱり、その時代に足りないものを補っていく役割を担っている気がしていて】というナブチの判断は「正しい」のだと。それは人に押し付けられてくる類のものではなく、今後も、ただただ示され続けてゆくのだと思う。




キュンチョメ個展 魂の色は青
黒部市美術館
2023年10月7日(土) - 12月17日(日)
休館日:月曜日(但し10月9日開館)、10月10日・11日、11月24日
開館時間:午前9時30分 - 午後4時30分(入館は午後4時まで)
https://kurobe-city-art-museum.jp/2023/08/08/キュンチョメ個展 魂の色は青/

「地球コーヒー」
期間:10月7日(土) - 12月17日(日)
販売場所:北洋の館 カフェ(黒部市生地芦崎字下浦330)
営業時間:10:00 - 17:00
定休日:火曜日、水曜日
販売価格:500円 *キュンチョメ展チケット半券提示で400円




取材・撮影・執筆:東間 嶺 
美術家、非正規労働者、施設管理者。
1982年東京生まれ。多摩美術大学大学院在学中に小説を書き始めたが、2011年の震災を機に、イメージと言葉の融合的表現を思考/志向しはじめ、以降シャシン(Photo)とヒヒョー(Critic)とショーセツ(Novel)のmelting pot的な表現を探求/制作している。2012年4月、WEB批評空間『エン-ソフ/En-Soph』を立ち上げ、以後、編集管理人。2021年3月、町田の外れにアーティスト・ラン・スペース『ナミイタ-Nami Ita』をオープンし、ディレクター/管理人。2021年9月、「引込線│Hikikomisen Platform」立ち上げメンバー。


レビューとレポート第52号

 



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