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レーで高山病になった話

ボクは過去に二回、高山病になったことがある。一度目は1994年9月、北インドのレーという町へ行った時。二度目は2004年10月、チベットのラサに行った時だ。今回はレーでの話。

レーまでは、ダラムサラ、マナーリー経由でバスで北上した。レーは標高が3500m?ぐらいあるので、陸路でゆっくりと標高を上げた方が、デリーからいきなり飛行機で入るよりも高山病になりにくい、とのことだった。

なのにですよ!? マナーリーからバスで少し上がっただけで、ボクは高山病の様相を呈し始めたのだ。レーまでは、山中でのテント泊を含む、一泊二日もある旅程だというのに。

休憩のためにバスが止まって、売店で何か補給しようとステップをおりたところで、「あ、歩けないや…」と座席に戻った。目が回ってしまっていて、誰かに支えてもらわないと無理そうだった。

めちゃくちゃな悪路を丸一日進んで、宿泊ポイントに着いたが、バスからおりることができない。車内をチェックしにきた人に、具合悪くて動けない旨伝えると、手を貸してくれるどころか、車内泊追加料金100ルピーとか言って余分に金を取られ、置き去りにされた。

夜中、寒くて寒くて、手持ちの服を全部着込んだ。不意にオエッときて、歪んでて動かない窓を必死でこじ開け、胃液を吐いた。夕飯にもありつけなかったし。でも振り仰ぐと、満天の星空!! 宇宙だ!!

ふと気づくと、少し前の席にもう一人、白人が車内泊していた。彼は視線に気づいたのか、ゆっくりとこちらを振り返り、「お前もか。がんばろうな」という表情で頷いた。拈華微笑じゃんか…。
幸いにも、尿意も便意も催さなかった。

翌日もクソな悪路!! クソクソクソな悪路!!
ケガしないように必死で窓枠をつかんでいるその手が、ひからびていく…人間ってこうやって乾いていくんだな…と妙に落ち着いていた。やたらめったら痰が出た。

夕方、レーの町のすぐ外に着いた。死物狂いでバスからおりて、うずくまった。ホテルの客引きが寄ってきて、200ルピーと言われた。ずっと200円ぐらいの安宿に泊まってきたので、800円は高いな、と思ったけど、宿探しなど到底できなかった。ボクはその客引きの後ろをソソソ、ソソソソ、ソソソと、休み休みついていった。案内された宿はすぐそこだった。

宿の人が、医者に連絡を入れてくれたらしく、荷物を置くと、歩いて数分の診療所まですぐに案内してくれた。

診療所はもう閉まっている時間だったが、ラダック人のお医者さんがとんできてくれて、丁寧に診察してくれた。ありがたかった。

このあとボクは、急性肝炎も発症し、なかなかのハードモードな一週間をレーですごすのだが、長くなるので、いずれまた書きます。ドルからルピーへの両替を誰にも頼めなくて、それがちょっとたいへんだったかな。あと、飢えちゃったこととか。

ラサでの高山病の話も、今度また。
(ラサでは、その後に平均標高4000mのチベット高原をランクルで南下して、カトマンズまで行く旅が控えていたので、充分に高度順応しておく必要がありました。)

そう言えば、感電した話、まだだったな…。

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