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こうしてわたしは挫折した ―ピアノ調律師に必要なこと(2)―

以前の記事で、ピアノ調律師に「なること」自体はそこまで難しいことではないということを書きました。

ただ、「自分がなりたいようなピアノ調律師になること」は
非常に難しいと思います。
わたしはピアノ調律師にはなれましたが、
わたしがなりたかったピアノ調律師にはなれませんでした。

このシリーズでは、わたしが働いてみてピアノ調律師に必要だと
感じたことを挙げ、なぜわたしが挫折したかを考察していきます。

ピアノ調律師に必要なこと:運動神経

ピアノ調律に運動神経が重要と言われると驚くかも知れません。

わたしはヤマハの運営している研修所で調律を学びました。
ヤマハは社会人野球が盛んだそうですが、ヤマハで働く調律師には
社会人野球をするために入社し、年齢を重ねて引退した選手が
意外にも結構いるようです。
わたしの先生もそのケースで、背が高く、肩幅も胴回りもがっちりしていて
手なんかもわたしの倍はありそうに大きくてごつごつした人でした。
全くもって繊細な調律ができそうには見えない雰囲気でしたが、
間違いなく腕の良い技術者でした。

なぜ運動神経が重要なのかというと、ピアノの弦の張力を調整するのが
非常に難しいからです。
ピアノの弦は鋼鉄といういわゆる金属でできており、材自体硬いものです。
それらは1本につき90 kg程度の張力がかかっています。
このような弦の張力を調整するには、ある程度の強い力が不可欠です。
一方で、整った音階をつくるためには繊細な操作が必要になってきます。
つまりピアノ調律には、強い力で繊細な操作をする能力が必要なのです。

強い力で大胆な操作
弱い力で繊細な操作

これらと違って強い力で繊細な操作をするのは、例えば、

140 km/h で飛んでくる球をバットの特定の場所で捉えて打ち返す
50 m 先のゴールの角にディフェンスをかいくぐるようにボールを蹴る

みたいな難しさがあると考えられます。
そんな理由から、運動神経抜群の元野球選手が調律師として
活躍しているのだと思います。
わたしの同期で最も優秀な調律師は、クラシックバレエの経験者で、
その他の運動をさせても、軽々と人並み以上はできるような
運動神経抜群な人でした。

わたしはというと、真面目にスポーツをやった経験はありません。
学校体育でのパフォーマンスから評価するに、基本的な身体能力そのものは
人並みだと思いますが、前述のような運動神経はどちらかというと
悪い方だと思います。
特にラケットなどの道具を使った球技は苦手です。

調律の研修では、一番最初に姿勢や力のかけ方など、
身体の使い方に気を付けることの重要性やその方法を習います。
しかしわたしは、退職までにこれを完全にはマスターできなかったと
感じています。

「練習」が下手だった

わたしがマスターできなかった原因に、そもそも「練習」が下手だった
ということがあると思います。
つまり回数を重ねればいずれできるようになると考えていて、
頭を使って工夫することを怠っていました。
回数を重ねれば到達できる場所はもちろんあると思いますが、
わたしが到達したかった場所に行くにはそれだけでは足りませんでした。
そして、そのことに気づけませんでした。

練習を難しく感じさせるものにも

  1. できるようになりたいことが明確でない

  2. できるようになるために自分に欠けていることが分からない

  3. どうすれば欠けていることを習得できるか分からない

という、異なる段階があると考えています。
そしてわたしの場合、1. できるようになりたいことが明確でなかった
ために、上手く練習ができていなかったのだと思います。
要は、どんな調律師になりたいのか、どんな音を作りたいのかということを
具体的に突き詰めないまま、ただ「一流になりたい!」という野望を
胸に抱いて何もしないでいたのです。

当時の自分を一応弁護すると、練習の重要さは認識していましたし、
可能な限り時間も割いていたと思います。
今の自分から見ると、もっとできることがあっただろうに、と思って
しまいますが、当時の日記などを見ると自分なりに限界まで努力
していたことが分かります。
ただやり方を知らなかっただけです。
過去の自分のことを引っ張ってきてチクチク言うのは簡単ですが、
個人的には「頑張ってたね」「今はもっとできると思えるくらい
成長したよ」と抱きしめてやりたいと思っています。

なぜなりたい調律師像を自分の中で作り出せなかったかというと、
調律師であるにもかかわらず音に関する感度が低かったからです。
それについてはこちらの記事で詳しく考察しています。

身体性の軽視

現在のわたしが一歩引いて考えてみると、当時のわたしはあまりにも
身体性を軽視していたと思います。
スポーツの経験はおろか、身体を使ったアクティビティの経験も
ほとんどもなく、進学校に通って良い成績をとることが最も重要だった
わたしにとっては、身体を使うことより頭を使うことの方が
断然クールでした。
(前節の「練習」の下手さと矛盾していますよね!苦笑)
調律だってピアノの構造さえ理解してしまえば問題ないと、
頭のどこかでそう思っていたのでしょう。
いわゆる頭でっかちでした。

身体性に興味を持ったきっかけは、ダンスを習い始めたことでした。
ダンスをやってみると、自分の身体は案外自分の意志で動かせないものだ
ということに気づきました。
頭では先生のやっている通りに真似をしているのに、
鏡や動画で自分の動きを確認してみると先生のようにかっこよく
踊れていないのです。
自分の身体の動きすら正しく認識し操作できないなんて!
思考と行動の齟齬を初めて体感した瞬間でした。
(その後数年は、自分の頭の中に小さな操縦席を想像して、
 ガンダムを操縦するように自分の身体をいかに思い通りに動かすか、
 認知と現実の齟齬をどうやって埋めるか、という個人的な研究活動に
 勤しんでいました。)

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