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「夜は何を食べよう」×「卵」×FFF799

 例えば、コーヒーを飲み終えたカップに緑茶を注ぐとか、二人しかいないのにポットにたっぷりのお湯を沸かして一気にお茶を淹れてみたりだとか。彼女にはそういう大雑把なところがある。

 だけど、正直彼女のそういうところは嫌いになれないし、というかむしろ好きだし。

 すっかり冷めた緑茶をすすりながら、ペラペラと資料をめくる彼女の姿を眺める。大雑把なくせに片付いている部屋とか、笑うときは口元に手を添えるところとか、彼女のことは誰よりも知っている気がするのに。

 するからこそ、なのだろうか。

 俺と彼女の関係は近くも遠くもなくて、どっちつかずの感情に名前を付けられないまま時間だけが通り過ぎていっている気がする。

 大学のグループ課題を進めるために、朝から彼女の家に押しかけた。

 昨日バイトだった彼女は、グループの話し合いにははまっていない。週末を迎えた今日は、逆に5人グループ中彼女と俺以外がすでに予定を詰め込んでいた。恋人とのデートや、友達と日帰り旅行やバイトだとか。

 たまたま二日とも暇な俺はグループで話し合いをし、それを聞いていない彼女とすり合わせるためにこうして駆り出されているわけなのである。ついでに、進められるところは進めておけという指示付きで。
「やったじゃん。」
 ある男友達は言った。
「鴨居の部屋で二人きりだぜ?何か間違いが起こっても、おかしくないって。」
 他人事だから、そんな簡単に言えるのだ。
「……そんなことできるかよ。」
「田上、お前の悪いところはそのネガティブ思考だ。勢いで行っちまえよ。若いんだから、なんとでもなるだろ。」
 大げさに音を立てて、背中を数回叩かれる。むせながらも、適当に返事をすると満足そうな笑顔を浮かべて、そいつは離れていった。背中を見送って、一度ため息をつく。
 “勢い”でなんとかなるのなら、もう何とかしている。鴨居とは、一年のころからサークルやら授業やら、学生生活のほとんどの時間を一緒に過ごしていた。

 彼女の趣味はラーメン屋巡りで、女一人で入りにくい店に行くときはよく駆り出された。
「田上くんって、ちょうどいいのよね。」
 彼女はいつも朗らかに笑う。勝気に見えるくいっと上を向いたツリ目が、笑うと目尻に柔らかい小さな皺を作って雰囲気を変える。
「ちょうどいいって、どういうこと?」
 たびたび発せられる言葉の真意を探ろうと、一度だけ尋ねたことがある。
「そのままの意味。良くも悪くもなく、ちょうどいいのよ。長くお付き合いできそうってこと。」
 そんな中途半端なことを言わないでくれ。そう思ったけれど、彼女に伝えることはしなかった。伝えられていたら、もう一緒に話すこともなくなっていただろう。

 それに、困った笑顔を見せられたら俺も困ってしまう。眉を思い切り提げて、口端をゆがめて笑われると、俺はなんていえばいいのか分からなくなって頭が真っ白になる。“ちょうどいい”のが、俺たちの関係で、それ以上にする勇気もなく、それ以下になる覚悟も俺は持ち合わせていなかった。
 だから、こうして部屋で二人きりになるのは結構緊張するのである。
「鴨居、明日なんだけどさ。図書館で待ち合わせる?この間、そんで昼にでも近くのカフェで飯食うか?」
「今月、ピンチだし。それに、休みの日に朝から出るなんてことしたくない。今日のバイト、日またぐかもしれないし。待ち合わせは危険な気がする。」
「……朝帰り?」
「お客さんがね。私は、遅くても0時に帰れるけど。」
「そう。じゃあ、どうする?」
「そういえば、この間田上くんが観たいって言っていた映画のDVDを手に入れることが出来たの。ほら、あの……マイ、プライベート?」
「マイ・プライベート・アイダホ?」
「そう、それ。」
「マジで?あれ、前に単館の企画の時に観てさ。もう一回見たかったんだよな。キアヌとリヴァーだよな!」
「うん。課題終わらせて観ましょうよ。だとしたら、外で会うよりも私の部屋に来てもらったほうがいいかな。部屋、わかるよね。」
「わかる、けど……。」
 鴨居は、俺の性別をなんだと思っているのだろうか。彼女は、俺が部屋に入ることをなんでもないことのように言う。
「鴨居、俺だけしか行かないの分かってる?」
「分かってるけど。それとも、私が田上くんの家に行ったほうがいいかな?」
「いや、俺ん家は兄弟もいるし、たぶん弟たちの友達が遊びに来てうるさいから。」
「ね、じゃあ私の部屋でいいじゃない。そういうことで、私次の講義に行かなくちゃ。連絡する。」
 当然だと言わんばかりの態度に、何も言えなくなる。

 “俺、男なんだけど。”

 その一言が喉で引っかかって、うまく出ない。ぐっと腹の底に沈めて、その代わりにため息をついた。

 課題がはかどっているのか、はかどっていないのか正常ではない頭では判別がつかない。朝、彼女の部屋を訪ねると、顔色一つ変えずに招き入れてくれた。こんなにも意識されていないのだとへこみながら、ジュースやお菓子の入った袋を掲げた。
 いつもは結っている髪が、今日は肩のあたりで無防備に揺れている。動くたびにさらさらと肩を流れるさまに、胸が高鳴る。大きめのラウンドのフレームの眼鏡も似合っていて、いつもより子供っぽさがにじんで、それを何度も確かめるように視線を投げた。お気に入りのゆるキャラのTシャツに、ショートパンツにレギンスを合わせた、いわゆる“部屋着”のような恰好は、訪ねてくる相手が俺だからなのだろう。

 そんな風に、気を許されているのはうれしいような悲しいような。誰も知らない彼女の姿を見れたのだから、ラッキーなのかもしれない。だけど、もう少し危機感を持ってほしいというのは、贅沢なのだろうか。
「田上くん、このデータって」
「ああ、ここは前年とは状況が違っていてさ。法令的にも大きな改定があったから、影響が出やすかったみたいだ。」
「なるほど。だから、みんなここで注目してるのね。だったら、今日のうちにグラフも作っておこうか。パワポは1人最低8枚ずつでしょ?ある程度、まとめてもらったからグラフくらいは作っておく。」
「それしてもらうと、みんなかなりありがたいと思う。昨日までの結論に大きな反論はある?」
「んー、大きく気になるところはないかな。」
 そういいながら、昨日までのことをまとめた資料をじっと眺めて首の後ろを掻く。それに合わせて、黒い髪が揺れる。俺の気持ちなんて、彼女は何も知らないのだろう。だから、こんな風にかき乱しても平気な顔をしてられるのだ。
「じゃあ、グラフは週明けまで作っておく。明日もどうせ暇だし。ほかにグラフが欲しいところはピックアップしてもらいましょ。みんなメッセージくらい読めるよね。」
「大丈夫じゃないか。」
「田上君は、どこのグラフが必要だと思う?」
「そうだな。24ページのデータとか。あとは、やっぱり前年比があるものは欲しくなってる。さすがに、全部を鴨居に任せるのは申し訳ないから、半分はやるよ。パソコンも持ってきてるし、今目星が付くのは済ませてしまおう。そんなにかからないだろ。」
「ありがと。助かる。」
「おう。じゃあ、俺は後ろからやっていくな。」
「りょーかい。」
 黙々とページをめくって作るべきグラフを確認していく。それほど多くはならなさそうだ。
「お昼はオムライスでいい?」
「ラーメンじゃないの?」
「近所に美味しいお店ないんだもの。お弁当も売ってるカフェがあるから、お互いに5つ作ったら散歩がてら買いに行きましょう。」
 ちらっと彼女は視線を上げて、俺のそれと絡む。返事を促すように目を見開いて、微笑まれる。
「そうだな。」
「ところで、夜ご飯は何にする?」
「……まだ昼飯も食ってないんだけど。」
「お昼ご飯食べながら、次の食事のことを考えられる?合理的に決めてしまえば、後々困らないじゃない。」
「まぁな。」
「映画見ながら食べることになりそうだから、やっぱりジャンキーなものがいいわね。」
「ピザとか?」
「賛成!コーラ、いやビールにピザにフライドチキンにポテト!」
「太るぞ」
「明日からダイエットするから。」
「それ、ラーメンを食いに行くたびに聞いてる。」
「気のせいよ。」
 髪を耳にかける彼女の指を見る。ほっそりとした白い指に、骨が浮き出た手首。ウエストも太いとは思わないけれど、やはり女の子は気になるらしい。

 彼氏気取りで、「気にしなくてもいい」と一言掛けたいがそれが出来ない。というか、言えていたら、今頃俺と彼女の関係はもうどうにかなっている。
 真剣な目で資料を睨む彼女の姿を目に焼き付けるようにして見る。理由もなく、俺の隣を歩いてくれないかな。ラーメン巡りならいくらでも付き合うし、むしろ旨い店を俺が率先して見つけてくるし。ずっと近くで見てきたから、彼女の好みだって知ってる。誕生日プレゼントだって、誰よりも喜ばせる自信だってある。
「……鴨居。」
「んー」
「彼氏っている?」
「……嫌みか。田上くんのほうこそ彼女いるの?って、いた事実があるからなぁ。」
「俺の話はいいんだよ。」
 2年前に、先輩と付き合っていたことを持ち出されると何とも言えない。結局、彼女は新入生という物珍しさだけで俺に近寄っただけで。バイトやらサークルやらで大学生活に俺が馴染んでいくにつれて、俺から消えた新鮮味に嫌気をさしてすぐに別れてしまった。互いに、そこまで興味がなかったのだろう。プライベートに入り込むこともなく、話し合いとも言えない会話で関係をリセットしたのだ。
「私、あのときちょっとショックだったんだよね。」
「は?え!?」
 じろりと睨まれて、軽く謝る。大きな音を出されるのは不快なのだと、以前言っていた。
「なんで?」
「彼女いる人とごはん行けないでしょ?あのとき、少し控えてたもん。」
「そういうものか。」
「そういうものです。……だから、今は結構ありがたいよ。」
 ふふっと、いたずらっぽい顔で笑う。きゅうっと胸が締め付けられて、抱きしめたい衝動に駆られる。落ち着け、俺。それやったら、絶対殴られるから……!
「だ、だったらさ」
 やばい。ちょっとだけ声が上ずった。変に思われてないだろうか。唇をなめて湿らせる。心臓の音が加速していくのを実感する。
「俺と付き合わない?」
 投げかけた言葉に、真っ赤にした顔で反応する。
「俺だったら、鴨居の好きなものも知ってるし、むしろ今までとあんまり変わらないかもなって思うし。だけど、やっぱり手とかつなぎたいし、今だって抱きしめてぇなとか思っちゃったし……って何言ってんだ、マジで」
 みっともないくらいに取り乱した自分が恥ずかしくなって、思わず手で顔を覆うといつになく熱くなっている。これ、かなり赤くなってるだろうな。指の隙間から彼女の様子を窺うと、口をぱくぱくしながらせわしなく視線を惑わせている。
「ど、どう?」
 追い打ちのように返事を促すと、顔を下に向けて消え入りそうな声で答えてくれた。
 夜、俺はずっと握りたかった彼女の小さな手を取ることが出来たということだけ、ここに報告しておこう。

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なんだか久しぶりの企画更新。春だから(すでに暦の上では夏を迎えましたが……)少し甘酸っぱーい青春みたいなものを書きたくなったのです笑

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