見出し画像

暗中模索の日々。

 生き急いでる気がする。というか、実際そうで、毎日何かが確実にすり減っている。
 楽しいはずなのに、なんだか満たされなくて、私の頭は妄想よりも毎日鬱々としたことを考えることに注力しているみたい。

 年末が近づくと、繁忙期だーとそわそわする。昼も夜も、とにかくバタバタと仕事をして、いつの間にか帰省の日を迎えるのは毎年同じ。
   この帰省、楽しみではあるけれど要注意だ。いつの間にかお酒はカパカパ開けているし、ご飯ももりもり食べてしまう。体重上昇と二日酔い、そして気が緩んだところに風邪やらに付け込まれないように、緊張感をもって楽しむ必要がある。

 繁忙期前になると、私は遊び納めのために、すごい勢いで予定を入れまくってしまう。絶対、“ハイになっている”ってやつだ。
 自慢にならないけれど、今週も来週も舞台を観に行く。既に映画も2本予約している。年末に帰省する前にちょこっと洋服と化粧品も買わなくちゃいけない。これは映画のついでに片づけるつもり。
 さらに、会社の人とファンタビ(私は2回目)を観に行く予定も確定していて、それまでにしておくことはハリーポッター全作の履修。これは、今日を含めて10日間でやらなくてはいけない。
 舞台の前にはもしかしたら仕事が入るかもしれないし、なんだかんだバタバタしそうだ。別に、仕事は好きだからいいのだが、いつ休めばいいのか分からない。
 先週の土日も1日中予定があったから、ほとんど休めていない。遊びと仕事、半分ずつではあるのだけど。

 とにかく、予定が入っていると私は安心するみたいだ。夏くらいは、いかにダラダラするかに尽力していたのに、寒くなってきたら真逆の気持ちがわき上がってきたらしい。
 あれか、人肌が恋しい季節ってやつか。空っぽなのが寂しいのか。寒いからかずっと眠いし、ヤル気は逃げ出してから帰ってこない。いつもなら30分で終わる書類の作成も、1時間くらいかけてダラダラとしてしまう。10月くらいからの倦怠感が抜けなくて、正直困っている。
 最近、朝にカレーを食べるようになったら眠気にはグッバイできるようになったけれど、ヤル気は迷子のまま。それに反して入ってくる仕事を、とにかく片っ端から限界にはならない程度に引き受けていると、毎日あっという間に過ぎていく。
 土日は朝から映画を観に行くか、働くか。だらだら寝坊はできない。
 これを生き急ぐと言わず、なんというのか。

 たとえば、ほとんど返信のないメッセージのやりとりとか、空中分解した友人との約束とか。
 ここ2カ月くらい、私は自分のなかに生まれたドロドロをじっと観察していた。
誰も返信なんてしないんだから、私から何かを発するのは無駄なんだと思ったし、約束まで取り付けても私から声をかけない限りは実行されない友人とのそれは私を落ち込ませた。
 私が発したい言葉とか気持ちはどこにぶつけたらいいのか。そもそも、私は何を言いたいのか。そんなことすらも分からなくなる。
 悲しいとか、寂しいとか、そういう名前がついた感情は分かりやすくオモリになって、それ以外のぐちゃぐちゃした“何か”はねっとりと胸の内を汚していく。
 そうしたら、ますます分からなくて、書いて発散することもできなくなった。その間にやったのは、とにかく働く、たくさん映画を観る、読書、少しだけ蔵書の整理。
 やることがあるというのは、大変好ましい。私の存在に意義を与えてくれる。近しい人たちですら誰も私に興味はなさそうだけど、仕事があるから社会には繋がっていられる。
 だから、私は仕事が好きなんだな、とすとんとしこりが一つお腹のなかに落ちてきた。
 家に帰ればお気に入りの漫画や映画、本、そして買ったばかりのぬいぐるみが迎えてくれる。なんだ、これでいいじゃんって思える。
 こうして文章として並べると、ずいぶんひねくれていると思う。けれど、私の精神年齢は15歳くらいでストップしていると思う。少し、大目にみてほしい。

 ところで、そんな陰鬱とした私を救ってくれているのは『ボヘミアン・ラプソディ』だ。
    やっと観れるぜ!と喜び勇んで観たら、これがもう私ドストライクだった。たまらなかった。ラスト30分は涙と鼻水を垂れ流して、スタンディングオベーション!……したかったくらい。
 仕事中も気が乗らなくなったら、QUEENを流して倦怠感の打破を試みている。私が生まれる前にフレディは亡くなっている。しかし、これまで私にはほとんど馴染みのなかった音楽との出会いは私をのめり込ませるのに充分すぎるほどの魅力を放っていた。
 作中、最初から最後まで流れる音楽がめちゃくちゃイカしてるっていうのも大きいけれど、この映画にはQUEENメンバーのフレディへの愛が感じられる。
 劇中のフレディがめちゃくちゃなのに、憎めないのがその証拠だろう。
 メンバーにとってフレディは欠けてはいけない存在で、フレディにとってもそれは同じことだった。
 それが伝わってきて、劇中のフレディの気持ちひは痛いくらい共感してしまって、頭の片隅で毎日この映画のことを考えている。
 今は見えないだけで、私の周りにだって愛は溢れているはず。もう少しクリアな視界を持てれば、とか、自信がないのがアカンのか、とか、そんなことも考えながら、私は今日も仕事をして、ため息をついている。
 分からなくても目標があるのなら目の前のことを片付けていくしかない。それでいいのだと思う。コツコツと埋めることしか、私にはできない。
 それに、やってみなくちゃ分からないし、私の人生を好きに出来るのは私しかいないんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?