いびつな愛を、この手に

 『女王陛下のお気に入り』を観てきた。
 といっても、勘違いしてほしくないのは、オリヴィアがアカデミー賞に輝いたからではない。それにしても、オリヴィアのスピーチはかわいらしかった。私たちが目指すべきは、ああいうチャーミングさなのよね。
 話を戻して。3人の女優、オリヴィア・コールマンを筆頭に、レイチェル・ワイズ、エマ・ストーンが共演。これだけで、話がめっちゃつまらなくても観る価値はある。結論、話もめっちゃくちゃ面白かった。
 観に行った当日は少し疲れ気味で、しんどいかもなーなんて思ってたあの日の私をひっぱたいてやりたい!そのしんどさも心地よいくらいに面白いなんて、大げさすぎる?ゴリ押しで行きますけど。

 日本公式さまの予告から持ってくると「英国版大奥」。
 よしながふみ先生の大奥以外を知らない私ですので、この作品が“イギリス版大奥”なのかは断定できない。しかし、人間関係に愛と欲望を入れて、大きな鍋でぐつぐつ煮込みました!的な、そんな濃厚さは確実に楽しめる。
 爽やかさはゼロ!しかし、そこにあるのは混じりけのない純粋な欲望なのである。メインとなる人物は3人。オリヴィア・コールマン演じるアン王女、レイチェル・ワイズ演じるサラ、そしてエマ・ストーン演じるアビゲイルである。それぞれが自分の心を、理性とか関係なくぶっ貫いているのが清々しい。
 人道的にさ……というこちらの窘めなどおかまいなしに、自分の欲望を満たすためだけに他人の心を翻弄す3人の女に、ニヤニヤしちゃうし、考えこんじゃう。監督、絶対私たちで遊んでるでしょ!もう!大好き!!

 物語はエマ演じる没落貴族の娘・アビゲイルが親族であるサラを訪れたこといよって始まる。
 レイチェル演じるサラは、完璧な女性だ。アン王女の幼馴染である彼女は、王女の右腕として政治を動かしていく。そして、狩りなんかもこなしちゃう。めちゃくちゃカッコよすぎない……? 麗しい姿にうっとりしちゃうし、これは惚れるのも仕方ない。
 サラが仕えているアン王女は、よく言えば“無邪気”。言葉を選ばなければ、“子ども”だ。自由奔放なんて、そんな可愛いものじゃない。
 サラの愛情を独り占めしたいし、公務中でも私のことを見てほしい。彼女は彼女で、苦しい過去を背負っているわけだが……それにしても眉をひそめてしまうシーンが多い。2時間、アン王女の数々の暴挙を楽しんでみていられるのは、ひとえにオリヴィアに圧倒されるからに他ならない。ガキ臭さすら、愛しく思えてくるのである。
 アビゲイルはというと、自身の地位を戻すために必死の画策をする。それが、サラのポジションを奪うことだ。
 アン王女とサラが特別な関係であることを知った彼女は、自身の目的を達成するためにありとあらゆる策を練る。言葉巧みに、身体も使ってアン王女の視線を自分に向けようとする。
 人間の心など、彼女にとっては駒の一つに過ぎない。そのクズさ加減が清々しいし、何より演じるエマが最高だ。基本的に真っすぐで芯のある(今回もあるけど)彼女しか知らない私にとって、彼女の悪い表情は新鮮。
 コメディ的要素もある本作において、彼女の仕草や間の取り方は完璧。そして、ドレスを身に着けたエマは絵画のような美しさでスクリーンに彩を添える。

 アビゲイルには愛がない。いや、わからないのかもしれない。
 彼女の持つ背景については作中でも語られている。しかし、どこまで本当なのかわからない。冗談めかしているが、すべて本当なのかもしれないし、それが事実だとしたら、彼女が愛を知らないことも当然といえてしまえる。
 愛ではなく、彼女が動くのはあくまで自分のため。泣くことも、笑うことも、誰かの味方になることもなく自分だけのためにできる。
 それは、ある意味“強さ”だろうと思える。しかし、そんな彼女の本心をつかむことは難しい。ラストシーンに見せる、あの表情こそが本当のアビゲイルなのだろうか。
 対するサラは、とても愛が深い。一見淡々としていて辛辣な人のように見えるが、それは公私の区別がついているだけ。
 国のため、アンのために仕事をしていくが、その彼女のペースはアビゲイルによって崩されてしまう。公私をはっきりと分けていたサラがなぜ、アビゲイルによってペースを乱されたのか。
 それは、彼女にはアン王女への愛があったからに他ならない。
 アン王女とサラは特別に深い関係だった。代替のきいてしまう欲望も満たしていた。そうなると、アビゲイルに漬け込むすきができてしまう。
 性欲をだれで満たすか、それは個人の価値観によるだろう。大好きな人だからこそ、満たせない――そういう人も、広い世界のなかにいるはずだ。
 サラは、アン王女とのその関係を含めて大切にしていたのではないだろうか。しかし、アン王女はその欲をサラ以外の人物で満たせてしまった。心身ともに満足しているのかはさておき、少なくともアビゲイルによって身体の欲は満たされてしまった。
 このときのサラの気持ちを考えると、胸がざわざわしてくる。
 どんな姿になっても、サラはずっとアン王女を見据えていた。そのくらいに、彼女の愛は深かった。彼女がどんな人物なのかを知っていて、駄目なとこすらも愛しいのだと嘘は言わずに接してきたのだ。
 サラは最後まで美しかった。背筋をピンと伸ばして、誰相手にも目をそらさない彼女はただひたすらに美しかった。

 人間はモノではない。しかし、私たちは支配したいと思うこともあって、どうして理解してくれないのかと憤ることもある。それが悪いことなのか、私にはまだわからない。それは、もしかしたら愛の片鱗かもしれないから。
 彼女のお気に入りになりたい女と、お気に入りのままでいたい女。選ぶ女は何を思ったのか。ラストシーンに囚われてしまう。
 スクリーンに映し出される愛のアンバランスさが、3人の女優によって紡がれる。愛とは、そもそも均整などとれるものではないのかもしれない。むしろ、その歪みこそが美しさを生み出すのかもしれない。
 切り替わっていく美しい英字を見て、そんな考えに浸っていた。


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