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「自分のため」から「誰かのために」書く生き方を。ライター1年目を振り返って

渋谷の路地で、友達に泣きながら電話をしたのは、ちょうど1年前だった。「わたし、やっぱりライターになりたい......」ありったけの声をふり絞って、嗚咽が混じった声で受話器越しに伝えた。

ライターになりたいから、会社を辞めたと言っても過言ではない。2019年の始まりは、ライター人生の始まりでもあった。

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新卒一年目の12月。

ビジネスマンとしても、ライターとしても、新米のわたしに仕事なんてあるはずがなかった。社会の枠組みから外された疎外感に押しつぶされそうになりながら、明日からどうやって食べていこう、と考えることから始める日々。(そもそもそれを考えずに会社を辞めるなんて無謀すぎる......)

バリバリ働きたいと思う一方、会社で働くことを想像すると「怖い」と恐怖が自然と浮かんだ。適応障害と診断を受け、新卒で入社をした会社を退職した経緯がフラッシュバックする。どうしても会社で働く自分がイメージできなかったのだ。

こんな状態では、会社で働くことはできない。まずはフリーランスのライターと名乗り、食べていけるまでは飲食店でアルバイトをすることにした。今思うと、「組織」と「自分」との相性が合わず、絶望していた社会から距離を置きたかったのかもしれない。


2019年が明けてすぐ、わたしがにらめっこしていたのは「ライター募集」と書かれた企業やメディアの問い合わせページだった。中には募集していないところにまで。「自分がなぜライターになりたいのか」「ライターになってどうしたいのか」「どんなライターになりたいのか」を800字ほどにまとめて送りまくった。

学生や20代の生き方の選択肢を広げたい。そのために「生き方や働き方」をテーマにした取材記事が書きたい。

実績を作るため、まずは身近な人を取材してnoteにまとめたり。「書いてごらん」と有り難いことにチャンスをくれた方からいただいた仕事をひとつひとつのこなすことから始める日々が続いた。


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あの日から、約1年が経とうとしている。

「ライターになる」と決めてから、1年。

わたしは相変わらず、毎日「書いて」生きている。ご縁あって入社した会社でライターをしながら、(なんと!また会社員に戻るとは......!)復業でもライターをしている。ご飯と寝る時間以外のほとんどを、「書く」にあてる日々。

飽き性な自分のことだから、やりたい!と言ったくせに途中で投げ出してしまうのではないか。正直そんな心配がないわけではなかったけれど、飽きるどころか書けば書くほど、文章の世界に魅了されていった。


しあわせだな、と思う。

憧れだった。なりたかった。ライターになるきっかけをくれた人の背中を追いかけて。喉から手が出るほど「書いて生きる」肩書きがほしかった。

そして、本当にライターになれたのだ。書いて、食べて生きている。やりたかった「生き方」や「働き方」をテーマにした取材執筆の経験ができた。好きな人たちと仕事をする楽しさと苦しさを、味わえた。

どんなに辛くても、書くこと自体がわたし自身を満たしてくれていた。社会から取り残されたように思っていた疎外感も、書いていれば忘れられた。書くことで、生かされていた。


ライターであれることが、嬉しい。


だからこそ。もっともっと、文章が上手くなりたいと強く思えた。


朝から晩まで書いても、足りない。書けば書くほど、自分の実力が至っていないことが露骨になった。悔しかった。怖かった。恥ずかしかった。その度にまだまだ、と静かに闘志を燃やしているそれは、「自分のためにライターになった自分」とそろそろお別れする合図のように思う。


自分のために書いて満足していた自分から、「誰かのために書きたい」と踏ん張る自分へ。


脱皮する苦しさは、わずかながら0から1へ成長した証なのかもしれない。


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2020年は、「誰かのため」に書いて生きるライター人生をスタートさせる。

好きなことを仕事にすると、苦しかった。夢が自分の可能性を狭めているのではないかとさえ思うこともあった。ライターになるきっかけをくれた憧れの人にはなれない、自分の道を切り開いていかないと生き残れないと気づいたときは、その残酷さをひとり静かに受け止めた。勢いで会社を飛び出したときに想像した何百倍も、世間は厳しかった。

悔しかった。悔しかった。悔しかった。


それでもわたしは、書きたいと思った。

だからこそ、書きたい。

はっきりそう、思えた2019年。


言葉でこの世界に、少しでも愛を残したいから。

伝えたいことを「伝わる」ように、書く。

ライターに、わたしは必ずなる。

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