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淑女のゴルフを目指して/「私の全英」への道〜マグナ・カルタが教えてくれたもの

ロンドン観光で感じたこと

ロンドンらしい写真

ロンドン市内に着いて、まず感じたのは道路の舗装がきれいなこと。
日本では隅まできれいに舗装された道が当たり前ですが、外国だとたとえ首都でも、舗装はされていても、隅が雑に施工されていたり、歩道に傾斜があったりで歩きにくいことがよくあります。
ゴミも外国のわりに(言い方が悪いですが)少ないと思います。

タクシーのぼったくりもないし、治安も他のヨーロッパ諸国に比べると、ぜんぜんいいんじゃないでしょうか。普通に気をつけていれば安全に過ごすことができる町という印象です。

戴冠式も行われたウエストミンスター寺院
町中のハイドパークでもリスが
バッキンガム宮殿が見えます

ロンドン観光と言っても二泊三日。
ロンドンに早朝に着いて、2日後の午後にはスコットランドに移動するので、中一日というハードスケジュールです。観光内容は写真を見て頂くとわなるように、よくあるルートですが、私なりのスケジュールなところもあります。

大英図書館はよく知ってるものだらけ

大英博物館はよく耳にするけど、大英図書館はご存知でしょうか?日本で言う国会図書館みたいな感じかと思いますが、もう少し観光客に向けた閲覧に力を入れている気がします。「大英博物館展」は時々日本で開催されますが、「大英図書館展」はやってない(笑)。

大英図書館

イギリスの歴史的な書物だけでなく、シェークスピアの初版本からベートーベンの楽譜、楽譜といえばビートルズの楽譜まで展示されていました。

ベートーベンが使った音叉
オセロとオフェーリアの初版本

そして国立の美術館、博物館は無料で、もちろん大英図書館も無料です。
歴史好きな私にはまさしくヨーロッパの歴史の宝庫。
ここで一番見たかったものは

マグナ・カルタ説明文
1225年ヘンリー3世のマグナ・カルタ

マグナ・カルタ大憲章、だいけんしょう、ラテン語: Magna Carta / Magna Carta Libertatum、英語: Great Charter of the Liberties、直訳では「自由の大憲章」)は、イギリス(連合王国)の不成典憲法を構成する法律の一つであり、イングランド王国においてジョン王の時代に制定された憲章である。
イングランド国王の権限を制限したことで憲法史の草分けとなった。また世界に先駆け敵性資産の保護を成文化した。成立から800年が経過した21世紀の現在でもイギリスの憲法の最も基本的な部分として有効である。

"Wikipedia"より

マグナ・カルタの構成
イギリスの現行法令集(Halsbury's Statutes、ハルズベリー法典)に載っている条文は、1225年のヘンリー3世の時代に作られた新しいマグナ・カルタを、1297年にエドワード1世が確認したものである。前文と4か条が廃止されずに残っている。前文 国王エドワードによるマグナ・カルタの確認
第1条 教会の自由
第9条(1215年の原マグナ・カルタの13条に相当) ロンドン市等の都市・港の自由
第29条(原39条および40条) 国法によらなければ逮捕・拘禁されたり、財産を奪われない(デュー・プロセス、適正手続)
第37条(1225年のマグナ・カルタの37条および38条に相当) 盾金、自由と慣習の確認、聖職者および貴族の署名

"Wikipedia"より

歴史的には回りの貴族に追い詰められて公布したとは言え、1215年ジョン王により公布され、その後の王たちが何度も修正されながら、現在もイギリス憲法の基本的な部分となっているマグナ・カルタ。

世界史の授業で習ったときは、なんだか正直わからなかったんです。
急に「ジョン王が1215年マグナ・カルタを公布」とか書かれても意味がわからない。大雑把な書き方だと、それまで王として君臨して貴族たちを好きに動かしていたけれど、彼らが反発して、王が歩み寄った結果として発表された憲章です。

御成敗式目とマグナ・カルタ

1215年といえば、日本では鎌倉幕府が出来て3代将軍源実朝の頃。ちょうど大河ドラマで北条義時が権力を持っていたときです。
そして、日本では1232年「御成敗式目」が制定されています。

御成敗式目
源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、武家政権のための法令式目)である。

"Wikipedia"より

「御成敗式目」は上に立つ幕府が武士たちを統括していくために作った法令。
「マグナ・カルタ」は上に立つ王様の権限を制約した憲章で、それを自ら公布している。
ほぼ同時代に作られた、それぞれの国家を治めるための文章ですが、この違いは国民性なんでしょうか?

自らの権利を縮小して相手の自由を認めるマグナ・カルタ

マグナ・カルタの文章を見ると「自由」という文字が目につきます。
貴族に命令していた王様が反乱にあい、相手を認めて共生する道を選んだ。そして、それを文章にして公布し、それが修正されながら今も生きている。

ゴルフ「発祥の地」となる地形的なことは前回書きましたが、ゴルフのルールにも共通するような、なんだか精神的なベースが脈々とあるんだなと感じました。



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