みさと@点描画セラピスト

解離性障害・ADHD・広汎性発達障害などハンデはありますが、いかに生きやすく楽しく過ご…

みさと@点描画セラピスト

解離性障害・ADHD・広汎性発達障害などハンデはありますが、いかに生きやすく楽しく過ごすか、ハンデをどう工夫して乗り越えるかなど考えながら、人並みが難しい私が人様より楽に出来る事=点描画を描いている点描画アーティストです。サブ垢→みさと(@misato_xmagicx)

最近の記事

いばらに咲く~第四章~/みさとの記録

夢を見た。 ただひたすらに絵を描いている私がそこにはいた。                                        薬は少しずつ、けれど徐々に増えていった。 沢山飲んでいた時期は1日で30錠は飲んでいた記憶がある。 「薬だけでお腹がいっぱいになりそうだ」と両親や友達に言われる位、30錠を超える数の薬を処方される位精神が不安定だったのだと思う。 最初は抑うつと診断され、鬱、そして解離性障害と診断された。 ADHDや広汎性発達障害と分かったのはまだ今か

    • いばらに咲く~第三章~/みさとの記録

      長い長い真っ暗なトンネルを歩き続けている感覚だった。 長いトンネルの先に、いばらの様なこの険しい道の先に、光が、自分らしく居られる場所があるのだろうと信じていただけまだ救いがあった。                                        * 高校に入ると同時に、掛かっていた病院の小児科の勧めで同じ病院内の神経精神科に母に付き添って貰い通い始めた。 まさかそこから今に至るまでずっと心療内科や精神科に通う事になるとも思わなかったけれど、ただ 「自分は世

      • 絵描きとして/みさとの日常

        こんばんは、今日もお疲れ様でした(◍´꒳`◍) みさとです。 今日はこの間の記事から色々あったので、その事について書いてみようと思います。 前回記事で私は「何か受賞歴があるか、プロなのかと問われたら難しいラインでは~」と書きましたが、日頃から大変お世話になっている私のメンター、先生に 「みさとちゃんはオーダーを受けて、対価を頂いて絵を描いている時点でプロだから!自覚持って!」と言って頂き、また「自分自身に自信がなくてもいいから、みさとちゃんの描く絵には自信を持って下さい!

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        • いばらに咲く~番外編~/みさとの日常

          こんにちは。みさとです。 今日は「いばらに咲く」を書くにあたって気をつけている・意識している事と、何故今になって自分の過去を書き出したかなどの経緯を書いてみます。 後、現在の日常などなど。 元々は何かの形で、今までの振り返りをしてみたいなと思っていました。 そんな折素敵なnoteに出会ったので、文才もなく文章もまともに書いた事がないけれど、書けるだろうかと、ちまちま書き出したのがきっかけです。 私の経験してきた事は決して平坦な道のりでも、好んで選んだ選択肢でもないですが、

        いばらに咲く~第四章~/みさとの記録

          いばらに咲く~第二章~/みさとの記録

          ーーそれは突然訪れた。 父方の親戚の訃報。 まだ若かった。成績も優秀な人だった。賢いが故に祖父にも期待されていた人だったが賢い人故の苦悩もあったのだろうか、未だに亡くなった理由は分からない。 両親、特に父はその一報があった際に言葉を失っていたと母から聞いたが、当時中学生の私もその訃報は衝撃的だった。 人の死とはこんなにもあっけないものなのか…。 何故かは分からないが、命の尊さと同じ位、あっけなく人の死は訪れるのだなと感じ、私の中の"いい子でいないと"が砂の城が崩れる様

          いばらに咲く~第二章~/みさとの記録

          いばらに咲く~第一章~/みさとの記録

          頭の中は常にフル回転だった。 ADHD特有のそれからかどうかは分からない。 ただ脳内に浮かぶ事をそのままのスピードで言葉にしていたら「お喋りなみさとちゃん」と定着してしまった。 ただ小説を速読しているか、パソコンで高速でタイピングしているかの様に頭の中はいつも考え事が文字として埋め尽くされている様な感覚だった。それが当たり前だったし、周りも当たり前なのだろうと思っていた。 だけど、そうではないらしい。 本当は出来るならば、自分の世界にぼんやり浸りたかったし、学生時代も合

          いばらに咲く~第一章~/みさとの記録

          いばらに咲く〜序章〜/みさとの記録

          ーーーただ愛されたかった。 ーーただ私だけの何かを見付けて認めて欲しかった。 ただそれだけの事が余りにも難しく、あまりにも高い壁に思えて悲しかった。 1982年12月20日。 長女として生まれ、両親はそれは嬉しかったそうだ。母方の祖父母も初孫で大層可愛がってくれた。けれど、生後半年で点頭てんかんになった。お風呂の最中に目が虚ろになり泡を吹き、大阪の大学病院に運ばれた。 厳格な亡き父方の祖父は、両親にこう言い放ったそうだ。 「こんな子を産んで」 幼少期に両親が離婚し

          いばらに咲く〜序章〜/みさとの記録

          お久しぶりです。

          こんばんは。お久しぶりです、みさとです。   あれから精神的にキャパシティオーバーして統合失調症の重度の症状が出て入院したり、退院後、訪問看護師さんに来て頂いたりと、落ち着きつつもバタバタしておりましたが、今やっと落ち着いていますと言えるまでになりました。 それは、入院前から通っていたメンタルクリニックの先生との出会いが良かったこと、重度の幻覚幻聴の症状に戸惑いながらも懸命に対応してくれ支えてくれた親と彼、周りの支えがあってこその今があります。 入院前から通っていたメン

          初めまして

          もう1つのアカウントでVALUなんかの事を書いています。みさとと申します。 こちらの垢では、自身の精神の障害や発達障害故の生きにくさと、その生きにくさをいかに打開して楽しく生きていけるかを書いて行こうと思います。 ちなみに私が患っている病気は、てんかん・解離性障害・広範性発達障害・ADHD・睡眠障害です。これらの説明もまた追い追いしていきます。無理のない範囲で。 無理できないのがこれらの障害の特徴でもあるので。ちなみに私は精神障害者手帳2級です。 ハンデを持った方が皆