いばらに咲く~第四章~/みさとの記録
夢を見た。
ただひたすらに絵を描いている私がそこにはいた。
薬は少しずつ、けれど徐々に増えていった。
沢山飲んでいた時期は1日で30錠は飲んでいた記憶がある。
「薬だけでお腹がいっぱいになりそうだ」と両親や友達に言われる位、30錠を超える数の薬を処方される位精神が不安定だったのだと思う。
最初は抑うつと診断され、鬱、そして解離性障害と診断された。
ADHDや広汎性発達障害と分かったのはまだ今から7年ほど前で、何がどうして解離性障害と診断されたか理解出来なかったけれど、いわゆる「健忘」が酷かった。
今思うとADHD故のしんどさや生きづらさ、否、生きづらさというよりは生きる事が難しいと常々感じていたから、それがストレスで記憶を留めておく事が難しかったのだと思う。
気が付いたら家に着いていた、気が付いたらA駅で降りる予定がC駅まで行ってしまっていた、そんな事が日常的によくあった。
身長は昔から低かったが、体重も1kcalでも気にした食生活をしていた為40kg強位だったので、よく声を掛けられたりしたが、その頃は自分自身を大切に、自分を愛するという事が出来ずにいた為、声を掛けられた相手の車に乗ってしまったり、そのまま付いて行ったりなんかもしていた。
振り返ればそれはそれは色々あったけれど、大きな、いわゆる事件性に繋がる様な事は私の中ではなかったので奇跡としか言い様がない。
その頃はただただ考え事が脳内を文字で埋め尽くすような感覚がしんどく、かつ昔から自己探求をしてきた為自分とは何かを考え続け、迷走し、自暴自棄に陥り、いわゆる一見隙だらけの女性に見えてもいいやと投げ出していたのだと思う。
ある日猫の画集を見るまでは。
MISATO.N
点描画アーティスト(点描画セラピスト)
点だけで描く点描画を独学で降ってわいた時にマイペースに描いている人。特に動植物を描くのが好き。
煙草は吸った経験はほとんどないのに、左手には根性焼きの痕が複数ある人。
(ここから下に初めて描いた猫の点描画が載っています)
病気も、自分らしくいられるにはも、どちらもどうすればいいか分からないまま、気が付けば20代半ばになっていた。
相も変わらずバイトは続かない。親は私に相当手を焼いていたと思うし、4歳下の弟にもそれは迷惑を掛けた。
家で、部屋で泣きながら自傷行為をしていた際、弟のなんとも言えない深い溜息が未だに鮮明に記憶に残っている。
それだけでも弟はしんどかっただろうが、1kcalを気にして外食を嫌がり、食べすぎたと思ったら摂食障害の気からお手洗いに行く私の不自然さにも家族は気付いていただろうけれど、ずっと耐えに耐えて向き合ってくれた。と今は思う。
そんなしんどい日々の中である日猫の画集に出会った。
何故か分からないが、凄く惹かれて「描いてみたい」そんな思いに駆られた。
ボロボロの心身だった私が3日掛けて描いたネコの点描画が私の点描画の第一歩になったが、あの絵は私の心が自由に生きたい、という想いが詰まった作品になった。
あの3日間は人生の中で暗闇にいた私の心に光が確かに差した瞬間だった。
生きたい。
私の心は、自分の価値を見い出せなくとも、生きている価値があるのかと自問自答の日々の中でも、希死念慮に苛まれても、やっぱり絵を描いて将来誰かの希望に、社会に役立ちたい、生きていたい、そんな想いが根底にあった。
死にたいの裏返しは愛して欲しい、ただそんなシンプルな事なのだろう。
今しんどい人に何か灯火になればいい、私はずっとそう思っている。
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