いばらに咲く~第一章~/みさとの記録
頭の中は常にフル回転だった。
ADHD特有のそれからかどうかは分からない。
ただ脳内に浮かぶ事をそのままのスピードで言葉にしていたら「お喋りなみさとちゃん」と定着してしまった。
ただ小説を速読しているか、パソコンで高速でタイピングしているかの様に頭の中はいつも考え事が文字として埋め尽くされている様な感覚だった。それが当たり前だったし、周りも当たり前なのだろうと思っていた。
だけど、そうではないらしい。
本当は出来るならば、自分の世界にぼんやり浸りたかったし、学生時代も合わす必要がないならば、ずっと窓の外でも眺めていたかった。
けれど、いつの間にか「お姉ちゃん」かつ「初孫」の私は周りに気を遣うのが当たり前になり、"いい子"でいようと頑張っていた、つもりだった。
だからこそ気を遣い喋っている私の意に反して「お喋りな子」という印象が長年私を苦しめた。
実際お喋りだと私自身も自覚はあるが、間が怖いから話してしまうのも事実だ。
ただ唯一の救いは、定期的に病院で検査などを先に済ませていたせいか、学校での予防接種などは受けずに済んだ為、1人その時間だけは教室に残って窓の外を見ていた。その時間は幸せだった。
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父は祖父が嫌いだったが、両親に育てて貰っていないからか酷く不器用な人の様に今も思う。
まるで絵に描いたいらち(いらいらせっかち)な人だ。父の世代では晩婚だった為、娘である私を相当可愛がってはくれていたが、沸点が低いのか瞬間的に怒り、昔は母と喧嘩すると家を出て車の中でしばらく過ごしたり、物に当たったりする様な人だった。今は比較的丸くなったが私から見た父は兎角喜怒哀楽が忙しい人、そんな風に見えている。
父も母も子供時代はそれぞれ苦労し大変だった様だが、特に父は実の父である祖父に育ててもらえずにきたせいか感情のコントロールが不器用なのか、幼少期泣いている私に「俺の前で泣くな」と言われ、私はその記憶が酷く悲しく、消化するまで30数年掛かった。父も父なりに苦しかっただろうと思う。
泣いたら怒られるんじゃないか。泣いたら嫌われるんじゃないか。ずっと尾を引きずり続けた。
ただ、構って欲しい時や心配して欲しい。
そんな時だけわざと泣いていた。転んだりした時などは特に痛くもないのにわざわざ報告していたように思う。
けれどやはり「小学生でいつまでも泣いていたらダメだ」と言われた記憶がある。
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MISATO.N
点描画アーティスト(もしくは点描画セラピスト)
点だけで描く点描画を独学で降ってわいた時にマイペースに描いている人。特に動植物を描くのが好き。
過去にネカフェのお手洗いでライターで左手を炙ろうとしパーカーを焦がし(小火を起こし)た経験がある人。
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どうしたら認められるのか、どうしたら世間に馴染めるのか悩んでいた。
幼稚園~中学に入るまでは美術教室に通い絵は描き続けていたが、0から1を生み出すのが苦手な私は脳内のイメージを絵にアウトプットするのが苦手な為に、中学で絵が技術的にも表現力でも上手い人が沢山いる事を感じ、幼馴染みに誘われるまま漫画部に入った。しかし脳内アウトプットが苦手な私には漫画は向いていないと早々に悟る事となる。
それでも中学に上がっても同級生に気を遣う性格は直らず益々馴染めないまま浮いていた私は、絵を描ける事が幸せだった。
頑張ればなんとかなる。
根拠はないがやれば出来るはず、ただただいつか「凄いな」とそう言われたい、それだけだった。
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