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いばらに咲く~第二章~/みさとの記録

ーーそれは突然訪れた。

父方の親戚の訃報。
まだ若かった。成績も優秀な人だった。賢いが故に祖父にも期待されていた人だったが賢い人故の苦悩もあったのだろうか、未だに亡くなった理由は分からない。

両親、特に父はその一報があった際に言葉を失っていたと母から聞いたが、当時中学生の私もその訃報は衝撃的だった。

人の死とはこんなにもあっけないものなのか…。

何故かは分からないが、命の尊さと同じ位、あっけなく人の死は訪れるのだなと感じ、私の中の"いい子でいないと"が砂の城が崩れる様にサラサラと流れる音と共に終わりを迎えた。

相変わらず中学では浮いていたが、それが明確な理由ではないにしても、気を遣うのが面倒臭く感じ始めた。

恋愛やアイドルの話で盛り上がる女子。
思春期特有か下ネタで盛り上がる男子。


理解は出来たが内心では合わせるのが面倒だと感じていた私の何かが

「もう良いか」

となった。


MISATO.N
点描画アーティスト(もしくは点描画セラピスト)
点だけで描く点描画を独学で降ってわいた時にマイペースに描いている人。特に動植物を描くのが好き。
今は落ち着いているが異食症。白い絵の具は無糖のヨーグルト風の味。緑系はドクロマーク付きなので舐めるな危険。

           *

昔から爪を噛んだり唇の皮をめくったり、瘡蓋を剥がす癖などはあったが、中学2年頃から自傷行為が始まった。
苛々を他者に向けたくはなかった、そこが大きかった。傷付いた際、苛々した際、些細な自傷行為から始まったそれは徐々にエスカレートしていく。
今にして思えばそれは間接的に私は苛々している・傷付いていますというアピール、間接的な八つ当たりにしか過ぎない。直接言わずに自己に向ける分質が悪い。
しかし、当時の私は「今、その時その時がしんどかった」。精一杯だった。

優等生面していた中学生時代。
避けられ浮いていた真っ暗なそれは、耐えられない苛々から授業中に手の甲にシャーペンを突然刺し、「こいつはまずい奴だ」と波の様に同級生が引いて終わりを迎え、同時に昼夜逆転生活から元々デコボコで五角形にならない成績が「美術以外」下がる事で成績が全体的に下がり美術科への進学が途絶える事となる。

両親は美術科に行きたかったと反発する反抗期の私に「上には上が山ほどいる。美術科に進んでも」と嗜めたが、色々心配をかけ我儘を言う私に今も根気強く付き合ってくれている。

亡き母方の祖父はいつも言っていた。

「勉強出来んでも生きてれば、好きな事があれはそれでええ。みさとはやれば出来る子や」

父方の祖父は決して器用な性格の人じゃなかったが、晩年こう言っていた。


「勉強が全てじゃない。健康で親や自分達より長生きしてくれたらそれでいい。あの時は悲しくて悲しくて仕方なかった。だが、みさとや周りにどう伝えていいか表現が分からなかった」

言葉は言霊というが、母方の祖父も父方の祖父も言いたかった事は同じ筈なのに、この込み上げる感情はなんと表現すればいいのか…。

私も父もきっと愛されたい想いは同じだ。

嬉し涙でも悲しみの涙でもない歯痒さから涙が流れた。



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