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福島移住5年目。「ローカルエディター」と名乗ってみる。

こんにちは。佐藤美郷です。
このページでは、はじめましての方向けに、私の日ごろの活動やなぜそれをしているのか、そしてそれら名前のつきにくい活動の諸々をまるっとまとめて、「ローカルエディター」と名乗ることにした経緯について、ご紹介していこうと思います。
少し長くなりますが小見出しからスキップもできますので、ぜひお好きなところから見ていただければ幸いです。


まずは、簡単なプロフィールから。

【地元嫌いが地元に戻るまで】

福島県南相馬市小高区(旧:小高町)出身で、高校卒業後に大学進学のために上京しました。大学では主に語学(英語・スペイン語)を学び、新卒で日系航空会社のグランドスタッフとして成田空港で勤務。しかし入社2年目に起こった東日本大震災で地元が大きな被害を受けたことをきっかけに、がらりと方向転換することとなります。「地元のために何かできる人間になりたい」と、それまで全く興味のなかった「地方活性」に目覚め、兵庫県淡路島での地域活性化事業に参加を決意。一年間の期限付きで〝半農半芸〟による地域おこしを実践しました。その後も全国各地(時には海外)を転々とし、仕事を変えながら「いつかは福島に帰って役に立つんだ」という想いだけを糧になんとかここまでやってきた、という感じです。
(福島に戻ってくるまでのストーリーは書ききれないので、ご興味のある方はこちら↓のブログからどうぞ)。

【〝衣食住美〟がポリシー】

2019年に夫の故郷である福島県須賀川市にJターン移住という形で住みはじめ、同時に空き家をリノベーションした宿の開業準備もはじめました。それまでの経験から、福島の持続可能性な未来のためには「衣食住美」が大切だという独自(過ぎる)ポリシーを培っていたため、リノベーションに関するあれこれも、だいぶこだわりを詰め込んでつくっています。偶然出会った地元の木工作家さんに大工仕事をお願いしたり、布物作家さんに宿全体のファブリックを制作してもらったり、老舗ガラス店さんに窓ガラスをオーダーメイドしたり…。本当に〝偶然という名の奇跡〟に助けられ、地産地消かつ唯一無二の空間を完成させることができたのでした。宿の名を、私が淡路島時代に働かせてもらっていたカフェの名を受け継いで『guesthose Nafsha』とし、2021年4月にグランドオープンしています。

guesthouse Nafshaの客室

次に、なぜ私たちがここ(福島県)でゲストハウスをしているのか、その理由をご説明します。

【〝ゲストハウス〟をやりたいわけではない】

福島に戻って来るということ、かつゲストハウスをやりたいんだということを福島の人に話すと、決まってほとんどの人が喜んでくれました。「じゃあ外国の人も泊めるの?」「賑やかになるね〜」などなど。しかしそういった好意的な反応をもらいながら、どこか私たち夫婦は違和感をぬぐい切れないでいたのです。それは一般的な「ゲストハウス」のイメージと私たちのやりたいそれとが、ちょっと違っていたから。そのことに気づいたのは、しばらく後になってからでした。
私たちが「ゲストハウス」をやろうと思った理由、それは端的に〝場〟をつくりたい、という想いからです。20代前半というまだまだ多感な時期に3.11が起こり、若いながらも色々と学んだり活動してきた私たちは、人と人が出会い、語ったり言葉を交わす〝場〟の大切さを肌で実感していました。だからまず自分たちが福島でできるのは、「外と中の人が出会える場づくり」だと、それはもう、すっきりとなんの違和感もなく合意できたのです。
みなさんも経験ありませんか?疲れた日常や抱えてる悩みを、すーっと、まるっと受け入れて、溶かしてくれるような〝場〟の体験。震災後の有象無象の中ですっかり疲れ切っていた私たちにとって、結局信頼できるのは大切な人と過ごす温かな時間だけ。難しい話も専門的な議論も、結局は美味しいごはんと安心して寝れる家がなければ、なんの役にも立たないという、極論めいた答えに行きついていたのです。だから単なる宿ではなく、〝場〟としてのゲストハウスをつくりたかった。

【リノベーションは、〝住〟と〝美〟への挑戦】

このことを「はじめまして」の人にどこまで伝えられるだろうと、正直悩みました(というか今でも悩んでいます 笑)。シンプルにスタートアップだと割り切ってしまえば、リノベーションももっと安く、効率的にできたと思います。そんなにこだわらなくても、それっぽいもので設えてオープンさせることもできたかもしれません。だけど、そこは「衣食住美」。建物という〝住〟、そしてお客様を迎える〝美〟をつかさどる部分への挑戦として、私たちのスキル・財力そして何よりアイディアが試される時だと感じました。加えてそれをどこまで〝サステナブル〟にできるのか、限界までやってみたかった。
地元の工務店に話が通じなくて苦労した、とかいう失敗も、もちろんありましたが、偶然出会った地元の木工作家さんと一緒に、木を選ぶところから空間づくりをすることができたお陰で、結果としてとても学びのある〝リノベーションプロジェクト〟にすることができたのです。

リノベーションを通して感じたことや考えたことは、こちらにまとめています。

【〝お手紙予約〟をしている意味】

オープンした後の運営方法についても、さんざん考えました。一日一組(しか泊まれないキャパシティ)、一日数本しか走らないうえに土日は運休のバス、車がないと絶対に来れない場所にあって、しかも周りにこれといった名所もない。そもそも「じゃんじゃん来てもらってお金使ってもらおう〜」という消費型観光へのアンチテーゼ(もうそうゆう時代じゃないっすよ精神)が根っこにあるので、普通のお宿のようなサービスでなくてもいい。だけどじゃあ代わりにどんな価値を提供できるか…。あれやこれやと考えたすえに出てきたのが、〝お手紙予約〟という方法でした。

〝お手紙予約〟とは、その名の通り「お手紙を書いて予約する」という予約方法です。
詳しくはNafshaのHPをご覧いただければ分かるのですが、とにかく「紙に書いて郵送」という原始的なやり方なので、予約完了までに時間がかかります。手紙を用意して書いて、投函して、返事を待つというプロセスは、「インターネットでポチリ」に慣れ切った私たちデジタルネイティブ世代にとって、まさに氷河の流れのごとし。でも、オープンして3年経った今となっては、この方法で良かったとハッキリ言えます。いただいたお手紙ひとつひとつに個性があり、想いがあり、それは例え時間がなくて「さっ」と書かれたでものであっても、伝わるものがあるからです。忙しい現代で、こんなにも面倒なプロセスを踏んでまで予約をして下さるお客様が、その時点でもう愛おしい(ちょっと気持ち悪いですね)。デジタル文字では決して感じることのない、筆圧や筆跡からその人のお人柄を想像するのも、なんとも豊かな時間です。いただいたお手紙は、もちろん全て大切に保管してあります。私たち夫婦の何にも代えられない宝物です。

【〝旅と暮らしの間〟の新しい滞在のカタチ】

消費型観光ではない、新しい旅のかたちを提案したいという意味で、Nafshaのコンセプトは〝旅と暮らしの間の宿〟としています。特別な観光地もファンシーなお食事もないけれど、ここには一面に広がる田園風景と、福島の暮らしを潤す疎水、そして何百年も前から培われてきた里山文化があります。〝旅と暮らしの間〟なんてつけちゃって、まだまだ私たちも新参者なのに背伸びしすぎたなぁ…と、オープン当時は気後れしていましたが、3年経った今では、あの時より少しだけ、ここでの〝暮らし〟を体現できているのではと自負しています。そして3年経ってもなお、やっぱりここでの暮らしは大好きなままです。

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ゲストハウスのほかに、私個人としては「文章を書く」ということも生業にしています。
「いつか福島に戻る」を胸に抱いて走り続けた20代のうちに、細々と積んでいた経験のひとつがライター業でした。「文章を書くこと」あるいは「言葉を紡ぐこと」にできることって、実はたくさんあると思っていて、そのあたりのことを次からはお話していこうと思います。

【福島発のエシカル系Webメディア『ff_私たちの交換日記』】

『福島から〝私たちのエシカル〟を伝える』をコンセプトに、福島に暮らすメンバーがそれぞれの言葉でサステナビリティを考え、発信するWebメディア『ff_私たちの交換日記』(以下、ff)。ゲストハウスでも大切にしている「衣食住美」を軸にして、メンバーが独自の視点で選んだ「これって100年先の福島にも残していきたいよね」というヒト・モノ・コトを紹介しています。

【持続可能な未来を自分たちで考える】

ffをやりたいと思ったきっかけは、「福島には大切なことを発信する人が少なすぎる」という焦りからでした。震災後に活躍したり、地域のために頑張ってくれている人はもちろんたくさんいて、そういった人たちは当然のようにメディアに取り上げられています。それはそれで良いのですが、同時に「いつもの人たちだな」という物足りなさを感じていたのも事実。前に出なくとも素敵な人がたくさん居ることを知っていたので、こういった人たちの存在も、もう少し知ってもらえたらという気持ちが芽生えたのです。
これもゲストハウスをつくった時と同じで、単に「メディアをやりたい」という自己顕示欲求というよりも、「私たちの目指す〝持続可能な未来〟につながる活動・人を取り上げたい」という想いがベースにありました。
〝持続可能な〇〇〟って、最近では印籠のように使われてしまっていますが、私たちは本気で「100年先の未来に残していきたい」ことだけを考えて、選んで、残すために活動しています。コンセプトに〝私たちのエシカル〟とあえてカッコ付きで表記しているのも、そこに理由があるのです。〝持続可能な〟あるいは〝サステナブル〟って現状、はっきりとした定義がないんですよね。ちょっと前の「エコ」とか「ロハス」のように時々の流行として消費されて、なんとなく消費されないためにも、私たちは〝自分の頭で〟一体なにがサステナブルなのかを考えなければいけない。これは大変なことです。だって〝エシカル〟って日本語に訳すと〝倫理的な〟って意味ですから、抽象度が高すぎます。でもそこで分かりやすさに逃げず、考えることをやめないということが、本当の〝持続可能な未来〟のために必要なプロセスだと思っているのです。

『ff_私たちの交換日記』のメインビジュアルは〝強く、しなやかに、美しい〟福島の女性をイメージした。

【女性が暮らしにくい…?福島県】

メディアを運営することには、もう一つの理由があります。それは〝書くこと〟を福島の、特に女性にもっと取り組んでもらいたいということです。〝書くこと〟をもっと広げて言うと、〝表現すること〟となるでしょうか。福島県の20代前半女性の県外流出率は、2020年時点で全国ワースト5位となっています。多くは進学や就職が理由だろうと見込まれているのですが、結局のところ若い女性とって暮らしやすい地域ではないということです。この点については、移住をしてきた当初から実感していました。20代前半ほど若くなくとも、30代前半、既婚・子なし・フリーランスの私の社会的な居場所は、ほぼありませんでした。アウェイが全く気にならない性分なので、同じような仲間を見つけて楽しく暮らせているのですが、それでもかなりのマイノリティだという自覚は今でも消えません。
また、福島に帰ってきて印象的だったことのもうひとつが、女性の自己肯定感がとても低いという点です。はっきり言って、福島の女の人って美人が多い。全国津々浦々見てきた私が言うのですから、そこは間違いないと思っています(笑)。しかも丁寧で能力があって謙虚。結婚も早いので妻として母として働く女として、たくさんの役割をこなしているスーパーウーマンばかりです。
でも、なんです。みんな軒並み前に出たがらない。二言目には「私なんかが…」という反応。超常現象並みの不可思議さです。これは完全な私見ですが、若い女性の流出率からも察するに、福島での女性の活躍の場はとても限られていて、その中でも色々な理由から「残る」という選択をした女性は、その狭い選択肢や恵まれているとは言えない条件下で必至にやっていくしかないのではないでしょうか。新卒から15社は転職してきた私が言うのもなんですが、本当にみなさん優秀です。東京に行ったらもっと好条件の仕事がなんなく決まるレベルです。居場所が違うだけでこんなにも活躍のチャンスが変わってしまうということに、移住当初の私は勝手にショックを受けていました。

【〝書くこと〟で女性は自由になれるかもしれない】

〝書くこと〟そして〝表現すること〟の効果は、こういった前に出ないことに慣れてしまった福島の女性に、とても有効なのではと考えています。実際にとある地元企業様で1日限りのライティング講座をやらせてもらったことがあるのですが、書く前には「何をどう書いたらいいのか分からない…」と困惑ぎみだった生徒さんが、書いてもらうとその出来栄えが素晴らしく、度肝を抜かれたということがありました。文章力も構成力も表現力も豊かで個性的で、「こんなん隠し持ってたのかーー!」という感じです。
2022年からWebメディアをリリースし、現在私を含めて4名のメンバーがffに携わっています。それぞれ〝書くこと〟であぶりださせる自分の癖や傾向にあたふたしながらも、確実に「内面を耕せているな」という変化を記事の中で見せてくれているのが、嬉しいところです。
自分の頭で何が〝エシカル〟かを考え、それを自己満足ではないカタチで世に出すということは、簡単なことではありません。だけど、だからこそメディアとして発信する意味があるし、そういった「表現していい」という空気を、私は福島の女性の中にどんどん育てていきたいと思っています。だってみんな本当に美しいんですから。

【〝ローカルエディター〟と名乗ることにしました】

ゲストハウス、メディア運営(とその他もいろいろ)という活動をこの3年間続けてみて感じているのが、「思ったより伝わらないな~」という切なさです(苦笑)。どれも流行りの逆を行っているし、分かりにくいやり方をしているという自覚もあるので、しょうがないと言えばしょうがないのですが…。でも、ひとまずゼロからイチに形したことを、これからはもっと色んな人に知ってもらうようにしたいなと思っています。なにより私たちが「なんでこれをやっているのか」をきちんと伝えねばなと。
色々と考えた結果、ゲストハウスやWebメディア、その他もろもろ含めた地域での活動に名前をつけることにしました。その名も「ローカルエディター」です。「佐藤さんって、何やってるんですか?」の質問に「えーっと、ゲストハウスとかライターとかやってます(ぼそ)…」という、曖昧な感じで答えていたのが自分でも引っ掛かっていたのですが、そういった活動をまるっとまとめて「ローカルエディター」としてみることにします。これは別に何かかっこいい肩書きが欲しいというわけではなくて、良いことをやっているという自負があるので、それをもっと分かりやすく伝えるために入り口を設えてみた、という感じです。まあ「ローカルエディターです」って言われても、「それって何ですか?」となるとは思うのですが(苦笑)。

【地域の魅力を〝見つけて・紡いで・表現する〟】

「ローカルエディター」とは、現時点では完全たる私の造語なのですが、つまりはこれまで紹介してきたような「地域の魅力を見つけて、紡いで、表現する」人のことを指しています。私たち夫婦はゲストハウス以外にも、「講」と称した季節ごとのイベントを開催したり、地元議員の選挙のお手伝いをしたりと、日ごろから様々な形で地域を盛り上げるための取り組みをしています。周りから見たら「あそこはなんであんなに熱心なんだ?」と不思議がられる夫婦ですが(笑)、その根底には未来の子供たちに〝誇れる故郷をつなぐ〟という使命感めいた想いがあるのです。「ここは何もない」「こんなとこでやっても無駄だ」という使い古されたつまらないネガ発言には、目もくれません。それって〝見方〟を変えたら可能性ですよね?魅力じゃありません?とういことが、ほとんどだからです。
働き方の多様性も物事を見る視野も限られていては、すでにある良さに気づくこともできません。そんなもったいないことはない。だから地方には、すでにある魅力を「見つけて、紡いで、表現する」というプロセスが絶対的に必要なのです。そしてそういったことを真剣にする人が、本当に足りていない。まだ名前のないそういった取り組みに「ローカルエディター」と名をつけることで、その大切さを伝えたいという想いもあります。

季節ごとに開催しているイベント「講」。こちらは藤沼湖での秋の芋煮会。

ゲストハウス、Webメディアのほかに、この数年以内には飲食店もオープンさせたいなと思っています。実は草の根では活動を始めていて、地元産の米粉で焼き菓子をつくって売ったり、ヴィーガンサンドを開発したりしているところです。これは「衣食住美」の〝食〟の部分。とにもかくにも、ここ須賀川市で、私たちの理想の〝未来に誇れる故郷〟をつくるために奔走しているという毎日です。

最後に

ながーーい自己紹介文を最後までお読みいただきありがとうございました!
このnoteでは、ローカルエディターとしての活動のあれこれ、私の雑感などを徒然に書き残していこうと思っています。ゲストハウスやWebメディアなどの活動はマガジンにもまとめていますので、ご興味がありましたらそちらもぜひどうぞ♪

2023年12吉日
ローカルエディター
佐藤 美郷

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